変貌したロンシャンに息づく歴史と伝統=日本馬の攻略を許さなかった凱旋門賞の壁

橋本全弘

これが本当にロンシャン競馬場?

ロンシャン競馬場はどこを見ても「QATAR」の幟……10年前とは様変わりしてしまった 【撮影:橋本全弘】

 緑深いブローニュの森に佇むロンシャン競馬場に足を踏み入れたのは11年ぶりのことだった。前回の時はマンハッタンカフェが挑戦した2002年。その当時を思い出しながら訪れた決戦の地だったが、一歩足を踏み入れた瞬間、聖地は大きく様変わりしていた。
 あの時は確かフランスの巨大ホテルグループがスポンサーとなっていたが今はアラブの王国QATAR(カタール)。競馬場のどちらを向いても「QATAR」「QATAR」……と書かれた幟が目を引き、入り口を入ったところには特設舞台がしつらえられ、アラブの民族衣装をまとった真黒なミュージシャン達がさながら夏祭りのようにドンドコ、ドンドコ……と太鼓を打ち鳴らしながら踊っている。

 これが本当にロンシャン競馬場? 凱旋門賞当日なの?

 競馬場の建物やパドックの位置はそのままなのにそこに集う人々の姿形はもちろん人種も違う。まるで“タイムスリップ”したような不思議な気持ちになった。さらに驚いたのが日本人の多さだ。確かに、マンハッタンカフェの時も日本から応援に来ていた人はいた。だが、当時は、時折すれ違ってアイコンタクトで挨拶する程度だったが、今回はまるで銀座の歩行者天国を歩いているように右を見ても左を見ても日本人。オルフェーヴルの勝負服をデザインしたシャツを身にまとった一団、顔に日の丸のペインティングをしているグループ、新婚旅行のついでに立ち寄ったのであろう仲睦まじいカップル……。女性用の高級な帽子の販売ブースに殺到していたのはやっぱり日本人たち。オフィシャルグッズの売り場にも日本人の行列が出来ていた。

 10年前との大きな変化に私は驚くばかりだったが、しかし、これが日本馬が世界のトップクラスまでレベルアップした証だと感じた。凱旋門賞で日本馬が一番人気を背負い、何と遥か日本から6000人を超える応援団が詰めかけるのだから……。

フランス人歓喜の理由

優勝したフランスの3歳牝馬トレヴ、今年も地元馬が祖国の歴史と伝統を守ったのだ 【撮影:橋本全弘】

 マンハッタンカフェの時はスポーツ紙記者としての取材だったのでスタンドではなくパドック横のモニターで観戦した。今回は仕事ではなく純粋な応援。早々とゴールがすぐ目の前2階自由席を確保、長年競馬に携わってきた一員として“日本競馬史の歴史的一瞬”を瞼に焼き付けるつもりだった。
 地元の競馬ファンにとってもその席はベストポジションだったようで周囲はあっという間にフランス人で埋まった。馬券を握りしめフランス語の大歓声でまくしたてる人々に圧倒されながらいよいよ凱旋門賞のスタート時間がやってきた。

 東京競馬場のそれに比べたら3分の1もないような小さなターフビジョンに疾走する馬群が映し出される。息を飲むのむスタンド。
 フォルス(偽りの)ストレートを右に旋回して迎えた直線。各馬一斉に仕掛ける激しい攻防の中、赤い帽子、赤の勝負服のオルフェーヴルが馬群の中から出そうとしている。その外から、キズナの武豊騎手が仕掛ける。さあ……と勢い込んだがその遥か先にフランス馬トレヴの弾むように躍動する姿があった。脚色は断然。オルフェーヴルもキズナも、差すことはもちろん、追いつくことさえ、無理だ……と観念した。惜敗とは言えない2着と4着。声も出せずにガックリ肩を落とした私の周りはフランス人達の大歓声が渦巻いていた。

「やっぱり、我らがフランスの馬が一番強いんだ!」
「ジャポネの馬なんかには負けないんだ!」

 そんなことを叫んでいるように手に手を取って喜びあっている。馬券が当たったのではない。凱旋門賞というレースの歴史と伝統を今年もフランス馬が守った喜びでフランス人たちは歓喜に包まれていたのだ。

日本の競馬が世界に認められる時代

 日本馬の凱旋門賞挑戦は今年もまた失敗に終わった。疲れた身体で引き上げようとすると知り合いの旅行社の添乗員が「橋本さん、来年も日本馬はまた凱旋門賞に出走するんですかねえ?」と聞いてきた。今やこの時期の凱旋門賞ツアーは彼らにとってもドル箱ツアーなのであろう。私は少し寂しい気持ちになったが「きっと新しいチャレンジャーが名乗りを上げると思う。ここまで来たら、何かが勝つまではきっと毎年のように日本馬の挑戦はあると思うから」と小さく笑いながら答えた。

 2011年、東日本大震災の直後にドバイワールドカップをヴィクトワールピサが優勝した。これも日本競馬史を塗り替える快挙で日本サラブレッドの強さやクオリティーの高さがすでに世界レベルに達していることを知らしめた。あと、超えるハードルは、その先にある歴史と伝統という壁に守られた「凱旋門賞」。このハードルを乗り越える日本馬が出現した、その時こそ初めて日本の競馬が世界に認められる時代になるのだろう。
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著者プロフィール

 1954年生まれ。愛知県出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、スポーツニッポン新聞東京本社に入社。87年、中央競馬担当記者となり、武豊騎手やオグリキャップ、トウカイテイオー、ナリタブライアンなどの活躍で競馬ブーム真っ盛りの中、最前線記者として奔走した。2004年スポニチ退社後はケンタッキーダービー優勝フサイチペガサス等で知られる馬主・関口房朗氏の競馬顧問に就任、同オーナーとともに世界中のサラブレッドセールに帯同した。その他、共同通信社記者などを経て現在は競馬評論家。また、ジャーナリスト活動の傍ら立ち上げた全日本馬事株式会社では東京馬主協会公式HP(http://www.toa.or.jp/)を制作、管理。さらに競馬コンサルタントとして馬主サポート、香港、韓国の馬主へ日本競馬の紹介など幅広く活動している。著書に「名駿オグリキャップ」(毎日新聞社)「ナリタブライアンを忘れない」(KKベストセラーズ)などがある。

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