DeNA梶谷 覚醒呼んだ「弱さ認める強さ」=ギリギリの心を支えた中畑監督の信念

村瀬秀信

不安に負けそうな心 起用し続けた中畑監督の思い

不調の時期には“おびえ”もあった 【(C)YDB】

 梶谷の心は、完全に折れていた。
 シーズン終盤の9月22日広島戦。梶谷はライトスタンドに逆転3ランを放ち、生まれて初めてのお立ち台に招かれた。笑みを浮かべ「いい眺めです」と言った初めてのヒーローインタビュー。しかし、内心では直前まで「ヤジられるんじゃないか」とおびえていたというから、その傷は相当の深さだったことが伺える。本当にギリギリだった。

「結果が出ていないのにスタメンに自分が使われる。監督からの期待はありがたかったですよ。でも、それに応えられない歯がゆさが…もう、正直なところ、悔しいを通り越して、恥ずかしかったです。やめてくれ、スタメンから落としてくれ、2軍に行かせてくれ、そんなことばっかりを考えていました。
 僕はこれまであまり人の目を気にしたことはなかったんですけど、今回はさすがにそれじゃ済まない感じというか……周囲の目が本当に気になってしまって。ファンの人からのヤジは相当にこたえました。直接言われたこともそうですけど、最後の方にはイニング間のキャッチボールで出ても『こいつまだいるのかよ』って声が聞こえてくるような気がして……。それ以上にチームメートに申し訳ないというか。何かを言われたわけじゃないですけど、僕が他の人の立場であれば『なんでこんな打てない梶谷をずっと使うの? それで勝てるわけねぇだろ』って絶対に思いますからね。もう完全に心は折れていました。でもギリギリのところで踏み止まれたのは、周囲からボロクソに言われても、これだけ僕を使い続けてくれた監督の期待に応えたい。『この人のために打ちたい』。その気持ちだけでした」

 この年、どんなに打てなくとも、ポカをしようとも、中畑は執拗に梶谷の起用にこだわり続けた。完全に自信を失っている梶谷を起用し続けることで、「ナゼ梶谷を使う?」と非難の的にさらされることもあった。

「まず、俺はこのチームを預かった時点で、このチームにスター選手を作らなきゃいけないと思っていたんだ。平凡なプロ野球選手というのは数多くいるんだよ。ただ、スター選手というのは常人とは掛け離れた特徴や能力を持った人間にしかなれない。梶谷には片鱗(へんりん)を感じたんだよ。周りがいろいろ言うのは当然だと思う。もしかしたら、他のチームメートからやっかみもあったかもしれない。でも、梶谷の才能を伸ばしてやれるのは俺しかいないんだよ。賭けるには危険度がものすごい高い選手だよ。だけど、ダブって見えるんだよ。俺自身、危険度のものすごい高い選手だったからな。そんな俺がなんでレギュラーになれたか。長嶋(茂雄)さんが我慢して使ってくれたからだよ。あの時、長嶋さん以外が監督だったら、俺はレギュラーは取れなかっただろうし、今野球界にもいられなかっただろ。素材を伸ばすために、調子やミスを飛び越えてでも作らなければいけない選手がいる。だけど、大前提として素材としての魅力がないとギャンブルはできない。俺はカジの能力であり、俺の眼力に賭けた。それだけのこと。だから俺は、『このチームで期待している選手は誰か?』という質問には常に『梶谷』と答えてアピールしてきた。だけど、それが結果的に裏目だった。去年のアイツは精神的に弱くて、受け身になってしまう、弱気の虫だったんだからな」

もがきの中で、持ち続けた打撃スタイルへの信念

試行錯誤でたどり着いたバッティングスタイル。曲げない信念がひとつ、ここにあった 【(C)YDB】

 悪夢の12年、出場80試合、打率1割7分9厘、2本塁打。オープン戦では盗塁王を獲った自慢の快足も、シーズン5盗塁8盗塁死という無残な結果に終わった。
 9月30日。1軍戦終了を待たずして梶谷は登録選手を抹消され、来季へ向けて宮崎のフェニックスリーグへとひと足先に送られる。「明日から2軍に行け」その報せを聞いた時、梶谷はホッとしている自分に気が付いたという。

「もちろん、悔しいんです。シーズン中、ずっと俺の力はこんなもんじゃない。俺はもっとできる……そう思いながらやっぱり結果が出ないので自分に腹が立って、悔しい思いを抱えていたんですけど、最後、落とされて正直ホッとしたんです。“これでこの場から逃げられる”って。
 冷静になってから、振り返ると後悔だらけです。心のどこかで『これは俺の数字じゃねぇだろ』っていう気持ちがあるんですよ。認めたくない、何でかは分からないんですけど、『俺はもっとできるよ』っていう……ヘンな確信はあるんですよね。誰も信じてはくれないでしょうけど」

 梶谷は自嘲気味に呟いた。
 それもしょうがなかったのかもしれない。12年ボロボロに追い詰められた梶谷の下には、ありとあらゆる非難が寄せられた。
「足があるのになぜあいつは振り回すんだ」、「上からボールをたたいて転がせ」。
 そんな声がスタンドのファンだけでなく、評論家、球界OBから梶谷に何度も向けられた。
 シーズン中、梶谷は混乱していた。気持ちが弱っていたこともあり、打撃も守備も盗塁も、何が正解なのか、分からなくなってしまっていた。だが、そんな中でも絶対に譲らないものがあった。バッティングスタイルに関しての信念。それだけは梶谷はどんなに気持ちが弱ろうとも、周囲から諌言されようと断固として聞き入れなかった。

「これだけ打てないと、いろんな人が“なんとかしたい”とアドバイスしてくれる。その気持ちはありがたかったんですけど……大前提として、僕はバットを短く持ってちょこちょこ当てるタイプの打者じゃないんです。それはこれまでの5年間で散々試行錯誤してきました。短く持って大根切りみたいに上からたたくこともファーム時代にやりましたよ。でも、自分には合わなかった。コーチと散々話し合って、他のバッターを研究しながら、“強く振り切る”今のスタイルにたどりついているんです。絶不調の中で、いろいろ言われることはしょうがないです。グリップの位置やステップなど微調整はしました。でも、バットの軌道だけは断固拒否しました。僕は最短距離でバットを出すと、打球に力が伝わらない。スクエアに出してボールを線に乗せるイメージで、強く振り切って、強い打球を飛ばす。それが僕の理想です。でも、今年は悪い方に考えすぎてしまったことで、積極的な姿勢が全部死んでしまった。もっと思い切り振ればよかった。スタートを切ればよかった。三振が怖くて安易に当てに行って凡打して、何をやってるんだって。三振なら三振でいいじゃねぇか。どうせなら全部ホームラン打つぐらいの気持ちでやれよって、シーズン中の自分に言ってやりたいですよ。

 今年1年で思い知りました。僕はハートが弱いんです。心技体で、なぜ心が一番上に来ているのか。その理由が分かったような気がします。

 だから、この経験を生かさなきゃいけない。来年以降も同じ壁は絶対に来ると思うんです。その時に、今年の経験を生かせるかどうかですよ。来年、プロ野球選手として本当の勝負の年になります。レギュラーを獲りますよ。これで獲れなければ、引退するしかない……それぐらいの覚悟ですよ」

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著者プロフィール

1975年8月29日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。プロ野球とエンターテイメントをテーマにさまざまな雑誌へ寄稿。幼少の頃からの大洋・横浜ファン。

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