「暗黒時代」を支えた地域による支援の輪=奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第3回

吉田誠一

広がりを見せた金銭ではない支援の輪

「クリーニングすわん」によるユニホーム洗濯サービス。広告を出す代わりに無料で洗濯をしてもらう形でクラブを支援してもらった 【写真:ヴァンフォーレ甲府】

 今年1月には県から買い取り、完全にクラブの「ホーム」となった。ちなみにトイレは洋式に変わり、洗浄機までついている。もちろんエアコンも完備されている。この寮づくりに限らず、海野は地元から金銭ではない支援を仰ぐことで、結果的に経費を落とす経営戦略を徹底した。

 地元の企業も商店もピッチに広告看板を出すほどの余裕がないところが多い。だから、海野は小さな支援を頼み込む。無料でクリーニング屋にユニホームを洗濯してもらい、美容院に選手の散髪をしてもらい、温泉施設に選手の入浴料をタダにしてもらい、製氷会社にアイシング用の氷を提供してもらい、パン屋からパンを、農家からブドウや桃やスモモなど果物を差し入れてもらい、レストランや旅館に食事会を開いてもらった。

「01年はリーグ戦が44試合もあったので、洗濯代を計算したら、看板を出してもらうのと同じような額になった」と海野は話す。そういう話題をクラブの公式サイトに掲載し、新聞やテレビでも取り上げてもらうと、「ウチのブドウも食べてください」という具合に、支援の輪がさらに広がった。

 狂牛病が問題になった際は、焼き肉屋で食事会を開いたことがマスコミを通して伝わり、「選手が食べているのだから大丈夫」という声が起きた。その食事会が、普段から支援してもらっている焼き肉屋へのささやかな恩返しになったわけだ。

多くの支援が積み重なり、初の黒字を計上

 中島によれば、当時は選手とファンとの距離が近かったため、個人的に選手を支援しているファンも少なくなかった。軽自動車を貸す者がいたり、中島自身、娘が使わなくなったバイクを選手に提供したという。「まだ、選手の収入が増えそうな感じはなかったし、チームが強くなりそうもなかった。選手たちの未来は見えない状態でしたから」(中島)

 01年も戦績はさえず、8勝2分け34敗の最下位(12位)。ボランティアは試合後、一部の観客から罵声を浴びた。「選手もスタッフもサポーターもみんな一緒に悩んでいた」と中島は振り返る。「ボランティアの仕事は今より大変だった。でも、楽しかったのは、なぜなんでしょうね」

 チームは沈んだまま浮上はできなかった。だが、経営は一気に改善された。営業収入は前年度比約7000万円増の約2億5000万円、営業費用は約2億4000万円で、わずかだが、法人化後初の黒字を計上した。1試合平均3000人の入場者、5000人のクラブサポーター会員、5000万円の広告収入という目標をクリアし、クラブの存続が決まった。この01年度以来、甲府は12年連続の黒字を続けている。

 それはもちろん、地元企業や住民それぞれの可能な限りの支援が積み重なった結果、成し得ていることである。いくら小さな支援でも、クラブにとって、ありがたみは変わらない。数限りない助力を得て、クラブの基盤が強固になった。そして地域の人々は支えることの喜びを感じている。地元のクラブが消滅の危機に陥るまで知らなかった喜びを。

<第4回へ続く>

(協力:Jリーグ)

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