J1川崎が重要視するメディア戦略=目指すのは「攻めて稼げる広報」

江藤高志

プロモーション部と広報部の連携

中村らスター選手も労を惜しまず、ファンとの交流を積極的に行っている。今後は広報活動においてJクラブの模範となることを目指す 【Getty Images】

 チームが成績を残し、メディアで選手が取り上げられる。そうすると、プロモーション部がイベントへの選手の出演を望むことになる。その段階に至って浮上してくるのが強化部との調整である。そもそも、Jクラブの本質的な目標は試合に勝ち、サポーターに喜んでもらうということ。その目標のために強化部が存在し、監督人事からチーム編成までの実務を遂行する。“試合に勝つ”という大義名分の下、強化部によっては選手のメディア対応、イベントへの出演を頑なに制限するクラブもある。しかし川崎は違う。

 筆者からの「強化部としては、選手は出したくないのでは?」との質問に対し、熊谷は間髪を入れず「うちの強化部は社会貢献活動にはできるだけ協力するという考え方を持っています。ただし、一番大事なのは選手のコンディションを最重要視するということ。やはりJクラブである以上、試合で結果を出すことが最優先されますから」と答え、だからこそ「プロモーション部と強化部のつなぎ役としても、ニュートラルな立場に立たなければならないんです」と話す。そのスタンスは、選手とメディアとの間に立つ際のものと同一のもの。また川崎は、強化部もプロモーション部も、チームを売り込むという意味のベクトルは同じだということが分かる。

 前述の4つのポイントを明確化させる中、天野が中心となって年間のイベントスケジュールを決め、それが会議で伝えられる。その瞬間に、各部署の担当者が何ができるのかを考え始める。それが熊谷にとって広報戦略のアイデアの源泉になるという。

「天野が『闘A!まんがまつりをやります』と年間のスケジュールを決めたタイミングで、それぞれの部ができることを考え始める。『グッズはこういう展開をしたらどうだろうか』とかいろんな意見が出てくる。そうしたいろんな意見が出てくるから、その会議に出ていると、そのときにどうPRすると面白いのか、ヒントが浮かんでくるんです」と熊谷。

 また天野も「企画の中でタレント性、社会性、公共性、地域性というのを自分の中で整理できていて、こういう媒体に対してアプローチをかければ載せてもらえるんじゃないかという相談をクマ(熊谷広報)に対して具体的にできる。それにより、クマの中にあるメディアのリストがぱぱっと出てくる。そこの連携はできるし、早い」と話す。

 つまり、天野と広報の垂直方向のつながりに加え、全社横断的なアイデア出しが、広報業務に良い影響をもたらしているのである。この件については熊谷が「うちのクラブは他のクラブに比べて横のつながりがすごく強いのではないかと思います。また同じ広報グループの2人(吉冨真人、米田和雄)のサポートも大きいです」と話す。そうした会社横断的な姿勢が、“トップチーム”というJクラブにとって最大の経営資源の有効活用に繋がっているのだ。

Jクラブの模範となる可能性

 クラブとして、非常にうまくイベントと広報活動とがリンクしているように見えるが、その点に関し熊谷は全く満足できていないと話す。

「現状、広報としては全然だめ。いろんな情報をいろんなメディアの皆さんに取り上げてもらっているけど、うちの情報量が多すぎて全然出し切れていないです(笑)」

 また、攻めの広報のいち形態として「稼げる広報」への進化を模索しているという。

「今はITの整備もされてきてサポーターとの関係が双方向になってきている。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がいい例ですよね。そういうところで広報が単なる情報発信だけでなく、クラブの原資となる収益をもたらせるよう考えていきたい。広報が営業とかプロモーションと、お互いのノウハウを出し合って、こういう売り方をしていけばもっと売れるんじゃないかと。お金稼げるんじゃないかという提案もするべきだと思う」と話す。

 川崎は、イベントや広報に関し成功事例の一つだと言えるクラブだ。ところが広報担当は、まだまだ貪欲さを失っていない。Jクラブの中には、広報業務を履き違えている広報担当は少なくない。それはたとえば、過度に選手を守る立場を取ったり、広報業務に携わる自らを“偉い人間だ”と勘違いする広報である。ところが川崎にはそうした勘違いはなく、むしろ積極的に情報を提供し、それによってメディア展開を促してくれることも珍しくない。そういう意味で、Jクラブの模範となる可能性を秘めたクラブの筆頭であると言えそうだ。

<了>

8月17日(土)放送のFOOT×BRAINでは、プロに学ぶ第1弾として「伝える」をテーマにサッカー専門誌を作るプロたちの熱きこだわりを紹介します。

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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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