暴力問題の温床となった金メダル至上主義=日本柔道界に求められる決断

折山淑美

信頼関係を築けず、思いは一方通行

「何としても金メダルを」とのプレッシャーが暴力行為の一因と語った園田監督 【スポーツナビ】

「自分としては選手たちとコミュニケーションを取る時間も持ったし、意思疎通ができているものだと思っていた。だが、それに反感を持つ選手が多いということは、自分の気持ちを伝える能力が不足していたとも言える」

 1月31日の記者会見でそう語った柔道女子日本代表の園田隆二監督は、後日全日本柔道連盟に進退伺を出す予定だと話したが、女子監督の辞意の意志は固いようだった。
 30日に表面化した“パワハラ、暴力”問題。報道によればその経過は以下の通りだ。
 ロンドン五輪後に全柔連が、園田監督が五輪へ向けた選手指導の中で暴力行為やパワハラをしていたという情報を入手し、本人と当該選手に聞き取り調査をしたところ、事実だったと判明した。

「暴力という観点で選手に手を上げたことはない。力はあるのに、もう一つ超えられない壁を作ったりしているので、それを何とかしてほしい、ここで頑張ってほしいという気持ちになって手を上げてしまったことはある」と話す園田監督は、それまで合宿中でも一度は食事会をして、リラックスした気持ちで何でも話してくれるような機会を持つなど選手との信頼関係を作り上げていると思っていた。しかし、選手の発言でそれが一方通行になっていたことを思い知らされたと言い、五輪後の全柔連から監督続投の要請を受けたときも迷ったという。それでも他の関係者にも相談をした上で続投を決めた。

選手たちは密室での解決に危機感

 全柔連は昨年11月5日に監督続投を発表した後、園田監督を厳重注意に処して始末書の提出を求めた。さらに全柔連は、幹部の立ち会いの下で園田監督が当該選手に謝罪したことで、事態が収束したと判断した。新体制もそれまでコーチが少なくて選手に目が行き届かなかったことなどを反省し、監督を含めて6名だったスタッフに特別コーチとして塚田真紀と園田教子(旧姓・阿武)氏の2名を加えた。さらに無記名アンケートでは「指導に威圧的なものを感じる」という回答が複数あったため、全柔連強化部に選手の相談窓口を設けたりもした。

 だが、選手側は12月に入り、15人の連名でJOC(日本オリンピック委員会)に園田監督らを告発した。それに対して全柔連は園田監督から再び聞き取りをして、JOCに暴力行為に関しての報告書を提出したのみ。そのため選手たちは年末にはJOC女性スポーツ専門部会にメールで、「倫理の見直し」と「問題解決までの合宿凍結」「第三者の調査」の3点を挙げて体制見直しの嘆願書を送付し、今年1月には4選手が出向いて被害を訴えた。

 そのために強化合宿中の1月14日には、園田監督が選手たちに「思っていることをすべて話してほしい」と要望しての話し合いがもたれた。そこで意志の疎通もできで解決したと判断した全柔連は、園田監督やコーチ6名に戒告処分を下し、「二度と暴力は行わない」ということも徹底された。

 だが、それでも選手たちの反感は溶けず、27日には5名の選手がJOCに出向いて被害を訴えるなどして、この暴力事件が表面化することになったのだ。

 選手たちにしてみれば、自分たちの訴えから始まった問題がすべて密室の中で解決されようとしていたことに危機感を募らせたのだろう。もし強化合宿中の話し合いが公開されるなど、すべてをオープンにしての問題解決を図るなどの行為をしていれば、両者は違う形で前に踏み出せていたのかもしれない。

金メダルの重圧から暴力に……

 柔道界では「気合を入れる」という口実で多少の暴力行為が蔓延していたのは事実だろう。それを暴力と感じるかどうかは受け取る側によっても差はあるだろうが、園田監督も「日本代表監督として金メダル至上主義もあり、それに追い詰められていた部分もあったと思う」と言うように、「何としても金メダルを取らせなければいけない」というプレッシャーで「このくらいなら」という暴力行為や言葉によるののしりがエスカレートしすぎていたことも十分に考えられる。

 さらに、選手たちは北京五輪後に国際柔道連盟がランキング制を採用したことに振り回され、常に大会へ出場しなければいけない状況にも追い込まれた。合宿と大会の連続で肉体的にも精神的にも厳しかったのは事実だ。さらに女子の場合はハイレベルな代表争いが繰り広げられていたことも重なり、その疲弊度は周囲が想像する以上のものがあったはず。その中で「厳しすぎる」と感じるような指導に対しての不満が充満していたのだろう。

 ロンドン五輪の結果は、男子は金メダル0で銀2、銅2。金メダル量産を期待されていた女子も金1、銀1、銅1という結果に終わった。これは「金メダル7個」を目標にしていた日本にとっては大惨敗という結果であり、お家芸の危機とも言える状況だった。

 その中で暴力問題は吹き出した。リオデジャネイロ五輪へ向けての復活を急務としている全柔連が選手の訴えを若干軽視した部分もあっただろうし、解決を急ぎすぎたこともあっただろう。それが問題を、ここまで大きくしてしまった原因でもあると言える。

 日本発祥とはいえど、今や国際化している柔道。金メダルを狙うのはアスリートとしては当然の意識ではあるが、日本柔道界としてもそろそろ、あまりにも凝り固まった“金メダル至上主義”から脱却すべき時期なのかもしれない。その余裕こそが、指導者や選手を伸び伸びとさせ、好成績にもつながるのではないだろうか。

<了>
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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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