“カオス”のシーズンを制したベッテルの底力=居場所を失った可夢偉が迎える苦境

田口朋典

自力で表彰台に立ってみせた可夢偉

日本GPで表彰台に立った可夢偉(左)だが、ザウバー残留とはならなかった 【Getty Images】

 そしてもうひとつ、唯一の日本人ドライバーとして奮闘を続けた可夢偉についても2012年を振り返りたい。

 開幕戦のオーストラリアGPで6位とまずまずのスタートを切った可夢偉だったが、自身がリタイアした第2戦マレーシアでチームメイトのセルジオ・ペレスが2位表彰台を獲得。さらに第7戦カナダ、第13戦イタリアでもペレスが表彰台に上がったことが影響したか、可夢偉への周囲の風当たりは強まっていった。メキシカンドライバーを強力にプッシュするテルメックスというチームスポンサーの存在も大きく、当初は自らのポジションに絶対の自信を見せていた可夢偉も揺らいだ。

 そんな中、鈴鹿で可夢偉は感動的な3位表彰台をつかみ取る。ギャンブル的な戦略、あるいは急激なコンディション変化をうまく味方にしたケースが含まれたペレスの表彰台とは異なり、鈴鹿での可夢偉はレース序盤から上位陣と互角に渡り合い、自力で表彰台に立ってみせた。これはひいき目ではなく、率直な感想だ。

 だが、その鈴鹿のレース後に初表彰台の感想を聞かれ「良い思い出ですね」と語った可夢偉は、来季に向けたシート争いについての苦境を現実のものととらえていた。

残るシートは限られているが

 それからの可夢偉はザウバーに残留すべくスポンサー活動を行い、ザウバーも可夢偉側に猶予を与えるかのように、ドライバーの発表をシーズン末まで先送りにした。しかし11月23日、ブラジルGP開幕の金曜日にザウバーは、リザーブ兼テストドライバーを務めていたエステバン・グティエレスの来季レースドライバー昇格を発表。発表済みのヒュルケンベルグと合わせてザウバーの来季シートは埋まり、可夢偉の居場所はザウバーにはなくなってしまった。

 これからの数週間、可夢偉は自身がスタートさせた「KAMUI SUPPORT」で活動資金を募りながら来季に向けたシート争奪に全力で取り組むこととなる。ひょっとすると数週間ではなく、来季開幕まで続く長い戦いとなるのかも知れないが、最終戦ブラジルでタイトル争いの渦中にあるアロンソやベッテルをオーバーテイクしてみせた可夢偉ならば、と今は期待し続けるしかない。

 ロータス、フォース・インディアなど残るシートは限られているが、「戦えるチームで走らなければ意味がない」と語る可夢偉が、彼にふさわしいシートをつかめるよう祈りたい。F1にとって、日本のモータースポーツにとって今や可夢偉はなくてはならない存在と信じられる、それだけのことを可夢偉はわれわれに見せてきてくれたのだ。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。大学卒業後、趣味で始めたレーシングカートにハマり、気がつけば「レーシングオン」誌を発行していたニューズ出版に転職。隔週刊時代のレーシングオン誌編集部時代にF1、ル・マン、各種ツーリングカーやフォーミュラレースを精力的に取材。2002年からはフリーとなり、国内外の4輪モータースポーツを眺めつつ、現在はレーシングオン誌、オートスポーツ誌、CG誌等に執筆中。自身のブログ“From the Paddock”(スポーツナビ+ブログで)では、モータースポーツ界の裏話などを披露している

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