進化を続ける義足のスプリンター山本篤「まだまだ記録は伸びる」=パラリンピック・インタビュー

瀬長あすか

走り幅跳びで金メダル、100メートルでもいい色のメダルを

山本は大学院での研究が競技にも生かされると説明した 【Photo:吉村もと(MA SPORTS)】

 その後、めきめきと力をつけ、100メートル、走り幅跳びで日本記録を更新。北京パラリンピックの後は、大阪体育大の大学院に進み、現在は体育学博士課程で運動力学を研究する。自らの動作を科学的に解析し、昨年、100メートル、200メートル、走り幅跳びの3種目で自己ベストを更新。パラリンピックイヤーの今年は、走り幅跳びで6メートル24の日本新記録をマークしている。

――大学院に進み、運動力学を本格的に学ぼうと考えるようになったのはなぜですか?

 大学4年のとき、地元・静岡の企業であるスズキに入社し、翌年の北京パラリンピックが終わって、スズキの会長に報告に行く機会がありました。そのときに「現役時代は、今のまま頑張ればいいけど、その後のことを考えろ」と言われたのが強く印象に残っていて、将来のことを突き詰めて考えました。それで、何をしたいか考えたときに、「指導者になりたい」という答えに行き着きました。自分の経験を生かして、パラリンピックのコーチになれれば理想的。コーチになるのなら、海外に出られる職業がいいし、大学の先生になって、大学では健常の陸上部を見ながら、義足の選手が集まってくる拠点になればいいかなと考えるようになりました。そのために、今のうちから、いつでも博士号を取れるように準備しておこうと思い、大学院に進みたいと思いました。それに、何よりも自分の動作分析をすることでもっともっと記録が伸びると考えていました。大学院での研究は、すべて競技につながってくる。周りも理解してくれて、大学で練習をしながら、運動力学の権威、伊藤章教授のもとで大学院生としての研究をすることにしました。

――動作解析によって自分の走りのどんな点を修正したのですか?

 短距離も走り幅跳びも、歩幅を広げるためには、義足側の足をもっと高く蹴り上げて走らなければならないので、義足の関節部分に強いバネが入っているのですが、その膝の部分を、従来の曲がりにくく伸びやすいものから、曲がりやすく伸びにくいものに変え、走りのリズムを改造しました。義足が曲がりやすくなった分、膝を戻すときに自分の筋力が要るので、義足側の股関節周りを中心に筋力アップに励みました。また、スピードを上げるために、骨盤の動きを意識して練習するようにしています。伊藤先生とも、骨盤を前にしっかり出してキックするほうが、強いキックができるようになるのではないかと話しています。

――トラック競技の100メートル、200メートルの課題は?

 100メートルについては、スタートダッシュをしっかり決めること。いつも1歩目はいいんですけど、そこからトップスピードにきれいに乗っていく感じがまだないので、そこを自分のものにできれば記録は出ると思っています。200メートルは、コーナーからストレートにかけてのピッチアップを特に意識して練習してきて、順調にタイムが伸びているので、後はラストの40〜30メートルからをしっかり走れるように追い込んでいきたいです。コーナーが不得意なので、楽に速く走れる走り方ができるようになればいいなと思います。

――走り幅跳びでは今シーズン、6メートル24の日本新記録をマークしています。好調の要因をどう分析していますか?

 とにかくスピードに乗った跳躍ができるようにしています。助走の目安にするマーカーを4歩目と8歩目に置いているのですが、スピードを出しながらもそこをしっかり踏めるようになったことが大きい。北京のときよりも、足を合わせる技術が上がっていると思います。

――ロンドンの目標を聞かせてください。

 走り幅跳びで金メダル、できれば100メートルでもいい色のメダルを取りたいです。昨年は、100メートル、200メートル、走り幅跳びの3種目ともベストが出たのに、今シーズンは調子が上がらず、走り幅跳びしか記録が伸びていない。実は北京のときも、パラリンピックの前の年は調子が良かったのに、08年は調子が悪かった。今回も危ない可能性はあるけれど、例えば、走り幅跳びで失敗しても、100、200メートルで挽回できる、そんなレースができればいいと思います。

 走り幅跳びは記録が伸びているし、100メートルはタイムこそ出ていませんが、練習中の最大スピードはベストを更新しているんですよね。速いスピードで走れているので、スタートから加速した状態へつなぐ部分がうまくできるようになれば、記録はまだまだ伸びると信じています。

<了>

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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