現役引退の藤田俊哉が抱く大きな夢=指導者への転身、欧州クラブでの監督を目指す
W杯の出場はかなわず
日本代表では結局、W杯出場はかなわなかったが、今度は指導者として大舞台を目指す 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】
特に、代表定着へのラストチャンスととらえていたジーコ時代は、欧州組至上主義のような傾向が強かったことから、オランダへ渡ってチャンスをうかがうという思い切った行動に出た。
「僕の場合、代表デビューした95年のダイナスティカップ・中国戦(香港)でいきなり点を取った。そして同じ年のアンブロカップ・スウェーデン戦(ノッティンガム)でもゴールして、代表に定着するはずだったんだけどね……。タイミングを逃したのは自分のせいだと思っているけど。それでもサッカーをやっている以上、代表への執着は当然ある。30歳を過ぎてから活躍する人がいてもいいと思うしね」と当時の藤田は代表への渇望を口にしていた。そのもくろみ通り、30代になってからジーコに抜てきされ、2004年3月のドイツW杯アジア1次予選・シンガポール戦(アウエー)で決勝点を挙げる働きを見せた。彼自身、選手時代に最も記憶に残るゴールとしてこの1点を挙げるほど、世界の舞台への思い入れは強かった。しかし、最終的にドイツW杯メンバー入りはかなわず終わってしまった。
いざという時には心を鬼にできる
加えて、藤田は日本プロサッカー選手会会長を3期も務めるなど、サッカー界屈指の人格者としても知られている。誰とも分け隔てなく接することができる器の大きさとコミュニケーション能力、物事を多角的に見る視野の広さやインテリジェンスも併せ持っている。そういう優れた人間性は海外で指導者として活躍するのに必要不可欠な部分といえる。欧州トップクラブの指揮官になるには、少し性格的に優しすぎる嫌いがあるかもしれないが、厳しい環境に身を投じれば、臨機応変な対応もできるようになるだろう。実際、選手会会長として日本サッカー協会に言いにくい待遇改善要求をしてきた実績もあるだけに、いざという時には心を鬼にできるはずだ。その変ぼうぶりも気になるところだ。
カズ(三浦知良)、中山らとともに、Jリーグ創成期から現在に至るまで日本サッカーを力強く支えてきた名MF・藤田俊哉の新たなるチャレンジがどうなっていくのかは非常に興味深い。まずはこれまでの18年間の働きをねぎらうとともに、指導者としての今後に注目していきたいものだ。
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