松井大輔、ディジョンで陥った予想外の苦境=困難を乗り越え、もう一花咲かせることはできるか

木村かや子

カクタの加入でさらに狭まる枠

1月からチェルシーからカクタ(青)が期限付き移籍で加入。ライバルが増え、ポジション争いはし烈を極める 【Getty Images】

 これを機にディジョンの“つなぐサッカー熱”はやや冷めたように見えるが、真相は定かではない。松井がけがをした10月1日から、練習に復帰した12月と、活動不能だった期間は実に2カ月以上。その間に正メンバーはいっそう明確になり、さらに水面下では、技術に優れた新しい選手のスカウト活動が始まっていた。

 長い交渉の末、ディジョンは1月にチェルシー所属のプレーメーカー、ガエル・カクタを6カ月の期限付きで獲得した。並外れた技術とパス能力を誇り、16歳でチェルシーに引き抜かれたこの20歳のフランス・ユース代表選手は、通常トップ下だが、サイドもできる。彼もチェルシーでプレーチャンスを得られず、ここ2年ほどレンタルでイングランドを巡っていたのだが、開花を目指してディジョン移籍を決意。初試合ではFKからゴールも決めていた。

 故障で試合勘が再び鈍り、さらに新選手が加わったとなれば、チャンスを得るのはいっそう難しくなる。松井がレギア・ワルシャワ行きを考慮したのも、それがあってのことだろう。松井と話し合いの場を持ったカルトロン監督は、基本的に移籍に同意した。相変わらず穏やかな口調ながら、シーズン前と比べ、その言葉のトーンは変わっていた。
「いま、ディジョンではプレー時間がない。冬の市場で新しい選手も獲り、彼のプレーチャンスがさらに減少するので、よそに行きたいなら行かせることにした。松井、彼の代理人と1月に話し合いの機会を持ち、そう決めた。何がいけなかったか? 彼はピッチ上でわたしの期待に応えなかった」

 能力をジャッジできるほどのプレーチャンスを与えていない、と言いたい気にもなるが、サンテティエンヌ時代のルセイ監督と違い、カルトロン監督はそう理不尽なタイプではない。思うに監督にとっての決定打は、おそらく故障による長い不在だった。故障は不運であり、本人次第ではないが、故障をしないことも能力のひとつ、と言う者もいる。「確かに故障は不運だった。でも監督、チームが必要としているときに応えられるよう準備を整えるのが選手の務めだ」と監督は言い添えた。

すべては本人の気持ちと実力次第

 最後の重要な問いは、松井の今後である。西欧の移籍市場が閉じた今、このままいけば少なくともあと6カ月、松井はディジョン残留ということになる。レギア・ワルシャワの監督は、キャンプ地であるキプロスのピッチがひどすぎ、選手の技術を正しくジャッジできないとぼやいていたが、ポーランドの新聞によれば、レギアが松井を獲得しなかった第一の理由は、クラブに松井の給料を負担するだけの財政的余裕がなかったためだった。
レギアにはグルノーブルで松井のチームメイトだったダニエル・リュボヤがいるのだが、彼の負担が大きいため、クラブはリュボヤの代わりに出場できるFWか、彼にアシストを提供できる選手を探していた。ところが松井が参加したキャンプ中にリュボヤが故障し、これでFW獲得が最優先に。松井を獲ると財政的にもうひとり獲得することができないため、「実現は困難」と地元紙は報じていた(しかし実際にはFWすら獲らずに終わっている)。

 このポーランドへの移籍話消滅が、残念なことか、そうでないかは神のみぞ知ることだ。松井は連続的にプレーしてこそ調子を上げていくタイプ。プレーできるクラブですぐにピッチに飛び出していくことが、復活への最短距離という見方もある。しかし困難に挑戦するのもまた道のひとつ。残ると決まったのであれば、松井には、ここディジョンで一発奮起し、状況を覆してもらうしかない。監督は、「新選手も入ったので、競争は非常に厳しいものになるだろう」と前置きした上で、またこうも言っていた。「もしわれわれのもとに残ると決まったら、もちろん彼の頑張り次第でチャンスはある。松井はほかの皆と同様に、彼のチャンスを擁している」

 ちなみに控えウインガーのコルニョー、サイドもできるアタッカーのマンダンヌ、若い攻撃的MFジュフロは、この冬に下部クラブへ期限付き移籍した。カクタが入ったとはいえ、その分ポジションがかぶる選手が数人抜けている。「もう30歳だから……」が最近の松井の口癖だが、30歳を過ぎても活躍している選手は大勢おり、すべては本人の気持ちと実力次第。ネバーギブアップの精神で、もう一花咲かせてほしいと願うのである。

<了>

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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