マルキーニョス「いつかまた日本に戻りたい」=栄光の10年間と突然の悲しき別れ

大野美夏

日本を離れることは悲しかった

震災後に一度はチームに合流したものの、最終的には退団することが決定。「とても悲しかった」と当時の心境を語っている 【写真は共同】

――地震の瞬間は何をしている時だったの?

 練習を終えて、イタリアンレストランで仲間たちと食事をしていた時だった。突然激しく揺れだして、じっと座っていることもできなかった。すぐに外の広い駐車場に出たんだけど、激しい揺れはまるで終わりがないかのように長く感じられた。この世の終わりだと思ったよ。

 揺れが収まった後、クラブに集合して、これからどうすべきか話し合い、外国人たちは自国に、日本人選手も仙台を離れることにした。近くの町まで車で出て、そこからバスで東京に出て、成田から飛行機でブラジルに向かったんだ。

――飛行機の中ではどんな気持ちでいた?

 助かったという安心感と同時に、日本での10年間のこと、プレシーズンを一緒に準備してきたみんなを残して日本を離れることを思うと、胸が苦しくて悲しかったよ。

――ブラジルに着いて家族はさぞ安心しただろうね

 数日間、僕と連絡が取れなかったから、もう死んだんじゃないかと絶望的になっていたみたい。だから、本当に喜んでくれたよ。

――でも、あなたはしばらくしてまた日本に戻った。怖くはなかった?

 地震直後の時点では、家族を安心させるためにも一度ブラジルに帰ったけど、監督と約束したんだ。落ち着いたら、絶対に日本に戻るって。一度口にしたことは、絶対に守るのが男だと思ってるから、ブラジルの家族は心配したけど、日本に戻ったんだ。

――この時点で、日本を離れることを決心していたの? お別れのために日本に戻ったの?

 いや、この時は退団するなんて決めていなかった。仙台に戻ってみたら、余震がまだ続き混乱していて、いろいろ話し合った結果、ブラジルに帰ることになったんだ。とても悲しかったよ。

やり残したことがある気持ちでいっぱい

――いつかまた日本に戻りたいと思う?

 もちろん。まだやり残したことがある気持ちでいっぱいなんだ。日本での10年間は、僕の人生にとってかけがえのない時間だった。多くの優しさ、支えを日本のみんなからもらったことは決して忘れないよ。

――ブラジルに戻ってアトレチコ・ミネイロに入団した。今のチーム状況は?

 僕は途中でけがをしてしまったんだけど、今は復帰したところ。アトレチコは、ブラジル全国選手権で20チーム中15位(第32節終了時点)。次年度のリベルタドーレス杯の出場権は厳しいけど、スダメリカーナ杯出場圏内には上がりたいね。

――現在35歳だけど、次の目標は何かな?

 ブラジルでもリーグ優勝したい、そしていつか日本に戻りたいってことだね。

――では最後に、日本のファンへメッセージをお願いできるかな

 僕は日本のみんなのおかげで、素晴らしい10年間を過ごすことができた。心から感謝をしているんだ。日本が立ち直ることを心から祈っているし、いつか日本に戻って何かの役に立ちたいと思っているよ。

<了>

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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