田口がメジャーで示した存在感=Uターン組が日本にもたらす影響は?
2006年、カージナルスでワールドシリーズ優勝を果たし、チャンピオンズリングを受け取る田口 【Getty Images】
その中でも注目されるのは田口である。2002年のカージナルスを振り出しにフィリーズ、カブスとチームを変え、メジャー8年間で672試合に出場、打率2割7分9厘、19本塁打、163打点を残した。イチローのように記録を達成したわけでもなく、松井秀喜のように派手な活躍でメディアをにぎわせたこともない。しかし、田口には何といっても2度のワールドシリーズ優勝の経験があり、ビッグネームとはひと味違ういぶし銀的な存在感がある。
あらゆる役割でチームのワールドシリーズ優勝に貢献
「日本で10年間やっても、こっちでは1年目ですからね。みんなが来る前にしっかり準備をしておかなくては」と、彼は生真面目(きまじめ)にいった。
しかし、開幕メジャーはかなわず3Aからのスタート。6月にはメジャー昇格を果たすが、わずか4試合で降格。8月には2Aに落とされた。
「とうとうこんなところまで来ちゃいましたよ」と、田口は自嘲(じちょう)気味に言った。名門イェール大学がなければ、全米にその名を知られることのないような町、コネチカット州ニューへブン。取材に訪れたその日、街外れにある古びた球場で、1000人にも満たない観客の前で彼はそれでも腐ることなく1番打者として2本の安打を放った。
田口はそうやってメジャーリーガーとしての地位を少しずつ固め、06年のワールドシリーズ優勝に大きく貢献することになる道を歩んでいった。地味ながらも、走攻守全てにおいて06年のカージナルスには「田口壮」という選手が必要とされていた。レギュラーが故障したときにはその穴埋めの先発出場。代走、代打、守備固め、あらゆる起用に応えるプロフェッショナル。実際、優勝パレードの日、現役最多勝監督のトニー・ラルーサはセントルイス市民を前にしたスピーチで、真っ先に田口の名前を挙げて貢献をたたえた。
08年、移籍したフィリーズで田口は再びワールドシリーズ優勝を味わう。しかし、シリーズには一度も出場のチャンスを与えられなかった。それでも、チャーリー・マニエル監督は選手として田口を高く買っていた。
「ウチは彼のような控え選手がいるからこそ強いんだよ」
好影響はオリックスだけにとどまらずに…
オリックスへの入団会見で笑顔を見せる田口壮 【共同】
「再び強いチームにするための一つの歯車になれるなら、これ以上幸せなことはありません」
戦力的にはもちろん、8年間のメジャー生活で培われた野球に対する姿勢や技術、経験は有形無形のプラスを生むに違いない。それは、おそらくオリックスというチームの枠にとどまらないだろう。
「アメリカ野球のいいところ、そして考えさせられる部分、同時に日本野球の素晴らしさや、アメリカが日本野球から学ぶべきものなどが見えてきた」と、自身のホームページで語っている。
野茂英雄が約30年ぶりの日本人メジャーリーガーになって以来、日米間のハードルはチャレンジャーが出てくるたびに確実に下がってきた。そして、今度は田口のようなUターン組によって、精神的な距離はさらに縮まり、ハードルそのものも一段と下がるに違いない。日米両コミッショナーの間で取沙汰(ざた)されている“リアル・ワールドシリーズ”の実現に向けた動きと連動する現象の一つとしてとらえてみると、彼らの動向はよりいっそう興味深くみることができそうだ。
<了>
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