セルビア、名将が導いたW杯への道=“オルロビ”を復活させたアンティッチ監督

アンティッチがもたらした功績

セルビア代表を率いるアンティッチ。強い信念とともにチームを見事に本大会へと導いた 【Photo:ロイター/アフロ】

 セルビアが所属するグループ7には、フランスをはじめ、ルーマニア、オーストリア、リトアニアといった難敵がひしめき合い、決して簡単なカードなど存在しなかった。道のりは平坦ではない。フェロー諸島が唯一の弱小国だが、過去の失敗からセルビアは一瞬も気が抜けないことも分かっていた(ユーロ2008予選でカザフスタンに敗戦。格下のアルメニアにも引き分けるなどして予選敗退の要因となった)。

 しかし、ふたを開けてみれば最終節を残して7勝1分け1敗。21得点6失点というグループ最高成績で文句なしの首位通過となった。1分け1敗はフランス戦によるもので(アウエーで1−2。ホームで1−1)、欲を言えば強豪相手に白星を飾っておきたかった……が、こればかりは欲張りかもしれない。
 本大会出場を決めた10日のルーマニア戦では5−0と圧勝。試合直後、RTS(セルビア国営放送)のインタビューに答えていたアンティッチの下にスタンコビッチが駆け寄り、カメラに向かって叫んだ。
「この男がおれたちをW杯へ導いた! この男がセルビアをW杯へ導いたんだ!」
 興奮気味に話すスタンコビッチの隣でアンティッチはやわらかな表情を見せる。攻撃的なサッカーを貫き通し、選手に勇気と自信を取り戻す。選手への信頼があるからこそ、自分の信念も貫くことができる。

 実はアンティッチの成功はW杯出場権だけで収まらなかった。セルビアサッカー界にとって、もう1つ喜ばしいことが起きたのだ。それは、代表を応援するサポーターが増え、スタジアムに足を運ぶようになったことだ。
「予選第1戦目のフェロー諸島戦で1万人、第2戦のリトアニア戦で2万2000人のサポーターがスタジアムに訪れた(※代表の試合が行われるマラカナ・スタジアムは約5万5000人収容)。わたしはかねてから満員のサポーターとともに代表戦を戦いたいと望んでいた。その夢がかなって大変うれしい(※直近のオーストリア戦、フランス戦、ルーマニア戦はチケット完売)」(アンティッチ)

本大会ではドイツ大会とは正反対の成績を

 とはいえ、順風満帆のW杯予選だったからこそ、本大会へ向けて懸念される問題もある。それは国民の期待の高さである。前回大会では鉄ぺきの守備で予選を勝ち抜きながらも、本大会ではアルゼンチンに大敗を喫するなど、期待を見事に裏切った。「予選時の守備力はどこへ行ったのだ」と国民は憤り、監督や選手はメディアの批判対象となった。チームを取り巻く環境は急転し、メディアは代表の不甲斐なさをバッシングし続けた。チームを率いたペトコビッチは「国民やメディアからのサポートが感じられなかった」と語るなど、一体感のかけらもなかった。
 前回と同じく予選で好成績を収めた今回の代表にも、国民の期待やチームに課された使命が大きな重圧となってのしかかるだろう。国民、メディア、監督・選手・スタッフが共に尊重し合い、サポートすることが好成績をもたらす要因の1つであることは間違いない。

 アンティッチは南アフリカ行きを決めた夜、次のように語った。
「南アフリカへ観光目的で行くわけではない。W杯へは大きな野望を抱いて臨む。出場するだけで満足する大会ではないのだから」
 スタンコビッチが続ける。
「来年のW杯ではドイツ大会とは正反対の成績を収めたいね」
 最下位の反対、つまり――優勝というわけだ。
 ずいぶん大きく出たコメントだが、誇らしいではないか。予選序盤で彼が放った言葉――「僕らはそんなにも強いのかい?」を、彼は覚えているだろうか。今ははっきりと言えるはずだ。「Mi smo jaki(ミー・スモ・ヤーキ=僕らは強い)」と。

<了>

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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