【追悼】プロレスリング・ノア三沢光晴選手

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05年 川田との“感情戦”

ドームのメーンで川田と激突 【たかすつとむ】

 05年にも東京ドーム大会は開催され、三沢さんはメーンイベントで川田利明と対戦した。足利工大付属高校の先輩(三沢)、後輩(川田)にあたる2人は、ノア旗揚げに際し袂を分かっていたが、約5年ぶりにリングの上で再会。この日も全日本時代と同様に、激しい一戦となった。

 三沢vs.川田といえば、“感情の戦い”。三沢さんのエルボーは普段以上に鋭角に入り、川田も情け容赦なく顔面蹴りを浴びせる。あまりのエゲつなさに「あぁやっぱコレかぁ」と三沢さんが後述するほどであったが、後輩のすべてを受け止めて、最後はランニングエルボーで沈めてみせた。
 至高の名勝負となった小橋vs.佐々木健介という体と体がぶつかり合うセミファイナルとのコントラストもあり、全日本時代と同じく見る者の心に“澱(よど)み”を残す試合となった。

06年 高山復帰戦で

高山(手前)に情け容赦なくエルボー 【田栗かおる】

 06年は高山が脳こうそくという重病からの復帰戦をノアで行った。この試合もまた、三沢さんの器の大きさを物語るものではなかろうか。高山は復帰に際し、「やるなら第1試合かメーンがいいね。中途半端はいやだな」とコメントしていた。そして三沢さんが用意したのは「三沢&秋山準組vs.高山&佐々木」(当初、高山のパートナーは小橋であったが、腎臓がん発覚により変更)。これ以上ないカードで、“フリー”の高山を迎え入れたのである。

 試合も壮絶を極めた。脳こうそくからの復帰である高山に対し、三沢さんは渾身のフルスイングエルボーを幾度となく叩き込んでいく。さらにエメラルドフロウジョンまで放ってみせたのだ。試合後に高山は、これら三沢さんの本気の攻撃に感謝を述べており、リングに帰ってこれたことを実感したという。
 高山は元々ノア所属であったが、当時の総合格闘技「PRIDE」に挑戦するため三沢さんにその旨を申し入れている。すると三沢さんは、ノアにとって貴重な戦力であろう高山のために尽力し、円満に退団も了承。PRIDE参戦以降もフリーとしてノアマットに受け入れており、今日に至っている。筋を通す人間には筋を通して対応する。高山もまた、三沢さんの男気にほれ込んだ一人であろう。

07〜09年 MVP獲得、そして…

潮崎(左)とGTL制覇。そして―― 【t.SAKUMA】

 07年は前年末に丸藤正道からGHC王座を奪取すると、長期欠場に追い込まれた小橋に代わって自ら最前線に立ち続けた。社長業と並行しながらリングの上では森嶋猛や丸藤らの壁となり、興行のメーンイベンターとして活躍。9月には藤波辰爾との初対決を実現させ、深みのあるプロレスも披露している。年末には小橋の復帰戦にも出場し、厳しい攻めでリング生還を歓迎した。
 “ノアの象徴”として君臨し、年間通じて王座を守り抜いたことが評価され、この年プロレス大賞MVPを初めて受賞した。

 08年3月に森嶋に敗れて王座から陥落すると、表舞台からは一歩引いた形をとる。09年にかけて若手にチャンスを与え、潮崎豪が頭角を現し始めるや、「グローバル・タッグリーグ」でタッグを結成。自らのプロレス道を教え込みつつ、ともにリーグ戦を駆け抜けた結果、見事に優勝を飾ることとなる。そして、その勢いのままにGHCタッグ選手権に臨むことが決定し、6.13広島グリーンアリーナ大会へ――。

 リング内でもリング外でも、いつでも逃げず、真正面から受け止め、戦っていた男・三沢光晴。心よりご冥福をお祈りいたします。

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