競泳界のプリンセス・種田恵=北京の星
4月の日本選手権で100m、200m平泳ぎで代表切符を手にした種田恵。その素顔に迫る 【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】
(掲載日:2008年6月17日)
周りが見えないくらい集中できた100m決勝
4月の代表選考後に行われたジャパンOPでは、200m平で優勝。北京に向けて弾みをつけた 【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】
100mは、完全に代表を狙っていなかったわけではないんですが、(得意の)200mに向けていい泳ぎができればいいと思っていました。一番を取れるとも思っていませんでしたし、(派遣標準)タイムも切れるか不安でした。でも集中して200mにつなげようと思っていたので、予想外に(結果が)良かったのでびっくりしました。
――泳いでいる時は何か考えていましたか?
いつもは(後半型の)私がレースを先行する感じではないですし、100mの前半は追いつけないくらい離されて焦ってしまうので、周りを見ないように泳いでいるんですね。でも、あの100m決勝の時は全く周りも見えなくて、もしかしたら(自分が)一番かもしれないと思っていたくらいでした。(50mの)ターンの時も全然見えていなかったです。でも泳ぎながら一番かなと思っているくらいなので、多少の余裕があったのかなと思います。
――そのような感覚で泳いだことは、これまでもありましたか?
ないですね。(2007年9月に200mで)日本新を出した時でさえ、隣は見えていました。そんなに集中して、周りが見えなかったということは初めてです。
100m決勝の時は、泳ぐ前からいい緊張感がありました。緊張ももちろんしていたんですけど、リラックスもしながら周りの様子も見えていて。普段、レース前は緊張していることが多いんですが、今回は緊張とワクワクした気持ちが半分半分という感じでした。
――100mで北京五輪の切符をつかんだことで、落ち着いて200mに臨めたのでは?
代表が1つ決まって、(200mは)普通に泳げば代表に入れるんじゃないかと周りからも言われていましたし、自分でも行けるという自信がありました。でも、もっと余裕が持てるかなと思ったんですが、そうでもなかったんです。
100mは(北京五輪に)行きたいし行くんだと思っていましたが、現実的には(当時の自己)ベストは派遣(記録)を切っていませんでした。2番に入れても派遣を切らなければ意味がないので、どうかなという緊張感がありました。
200mになったら、今度は(コーチの竹村吉昭)先生と一緒に(五輪に)行きたいという気持ちが強くなっていました。100mはぎりぎり派遣記録II(※1)を切っただけなので、先生と一緒に代表に入るためには、もっと上の記録を出さないと(担当コーチが選手と一緒に五輪へ行くのは)厳しかったので。自己ベストでは(派遣記録の)Sも切っていたんですが、自分で勝手にプレッシャーをかけて、追い込んでしまった感じの結果(派遣記録I突破)になってしまいました。守りに入ってしまって、リラックスが足りなかったと思います。
自分が一番オリンピックに行きたいと思えた
「練習以外のことでくよくよすることがたまにある」と種田 【スポーツナビ】
みんなが(五輪に)行きたいという気持ちで練習していると思いますが、実力のある選手がいっぱいいる中で、全員がそこに行けるわけではないですよね。私は、自分が一番オリンピックに行きたいという気持ちが強いと思えるくらいで、だからこそ行けたんじゃないかなと思います。
――日本選手権に臨むにあたって、今までと気持ちの持っていき方や練習方法に変化はありましたか?
毎年の選考会に臨むのと同じように、代表に入りたいと思って練習していましたが、不安もありました。心の浮き沈みというか――不安がある日もあれば、(北京五輪に)行けるかなと思う日もあり、私が行くんだと強く思う日もあって……。不思議な感じで、気持ちの波がすごくありました。でも、きつくてもオリンピックに行くための練習だと思っていましたね。毎年そうやって練習してきているので、そういう面では一緒だと思います。
――平泳ぎは競泳の中でも、昔から日本のお家芸とも言える種目です。現在では北島選手という金メダリストもいますが
北島選手はオンとオフの切り替えがすごいと思います。私は切り替えがうまくできなくてひきずってしまうこともあれば、練習以外のことでくよくよすることもたまにあります。でも、彼にはそういうことがあるのかなと思うくらい「練習は練習」と割り切っている感じがしますね。泳いでいるところを見ると、北島選手はもっと改良点があると思っているのかもしれないですけど、私からしてみれば機械かと思うくらい違う泳ぎですね。