現地視察! 稲本と小野の邂逅 ドイツでの日本人対決に想う=吉崎エイジーニョの海外組・ウキウキウオッチング
ドイツにおける“ボランチ”稲本に対する評価
その経験から言わせていただくと、まず稲本がこの国でボランチとしてプレーしている点は、もっともっと注目を浴びるべき。なにせ、「後ろで守れて、攻撃もできる選手」に対するリスペクトがものすごい国なのだ。それはフランツ・ベッケンバウアー、ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメから続く伝統。80年代にドイツのプロでプレーした某日本人選手に取材した時、こんな話も聞いたことがある。
「90年代後半の天才と言われたMF、トーマス・へスラーとアンドレアス・メラーはいまいちブレークしきれなかったでしょう? 守備があまりできなかったからです。ほかの国なら2人は相当なスター選手になっていたと思う」
この国で嫌がられるのは、細かい技術のミスよりも、フィジカルコンタクトを避けることと、判断を間違えること。「どこで相手とぶつかるのか」を含め、その選手が「ゲームを理解しているのか」という点を、実にシビアに見極める国でもある。
この日の稲本には、後者にひとつだけ当てはまるプレーがあったように思う。自らも「後半、集中力が欠けるプレーがあった」と反省していた。恐らく、1−1から決勝点を奪いにいくべき85分過ぎに、相手のクリアボールを拾った場面のことを話しているのだろう。バイタルエリア(相手ディフェンスライン前)でスペースがある状態だったのに、ボールコントロールがやや大きくなってしまった。ボールを奪われた直後、相手にカウンターを浴びてしまう。これには、ホームの観客からブーイングが飛んだ。
一方、地元紙の記者は稲本をこうも評価している。
「とても重要な選手。守備をオーガナイズする役割を担っている」(『フランクフルト・アルゲマイナー』紙、ウーべ・マルクス記者)
76分にはカウンターの状況からディフェンスライン裏にスルーパスを通されたが、自陣深くまで戻り、相手のスペースを消した。相手の決定機を摘む動きは、勝敗にかかわるビッグプレーだった。
「守れて、攻められる」イメージを突き詰めて戦う稲本を、もっともっと見てみたい。これが本来のイメージだったので。
小野に課せられた「自由」という名の「責任」
38分、右サイドの低い位置で相手に囲まれると、巧妙なフェイントでそれをすり抜け、ドリブルで前に進んだ。スッと右のアウトサイドキックで左に展開したプレーには、アウエーサポーターから小さなどよめきが沸いた。
42分、中央でボールを受けると、大きく右サイドにボールを展開。その時のヒョっと右足で軽く相手をかわす姿は、よく見慣れた彼のプレーそのもの!
特に前半は「ハードワークができた」と言うとおり、左右のスペースに流れ、FWにより近い位置から攻撃の起点になっていた。FKを自ら蹴り、ガンガンと味方選手に自分の考えを強く伝えようとするシーンもあった。
試合後、ミックスゾーンの取材で聞かずにはいられなかった。
――日本にいた時よりも、攻撃的なポジションで生き生きとプレーしている印象でした
「まぁ、自由にやらせてもらっているのでね。そういう指示が出ています。もっともっとボールをコントロールして、いい攻撃を展開していきたい。まだまだ、それができていない。結果として、満足いくようなことができていないですね」
――結果とは、ゴールに絡むこと?
「そうです。そこを意識してやっていきたい」
実は、翌日のスポーツ紙『ビルト』の採点は、先発22人の中で最も低かった。マルセル・コラー監督も「私が望んで獲得した選手。テクニックはかなりの魅力だ。しかしまだ負傷明けで、体力的な問題を抱えている」とやや厳しいコメントを残している。ドイツではこのポジション、ゴールに直接結び付くプレーがなければ「ボール扱いがうまい」という評価で終わってしまう。小野自身もその理由を分かっていて「満足していない」と言っているに違いない。
そんなドイツ人の評価はさておき、トップ下で躍動する小野の姿はこちらにはかなりのインパクトだった。ぜひ、日本のスタジアムでもお見せしたいくらいだ。
小野は日本では、ボランチや左サイドでの出場が多かった。フランス、ブラジル、ドイツ(北米経験豊富)出身の監督たちは、攻撃のタクトを執らせる機会をほとんど与えてこなかった。なぜだろう? 日本国内では、このタレントが生きるであろうポジションで、ほとんど起用されなかったのだ!
ドイツという国は、もうひとつ言うと「自分がこれを担う」と決めた範囲内のことにはかなり強い責任感を発揮する国。しかし、責任の範疇(はんちゅう)以外のことにはびっくりするぐらい無関心な国でもある。小野伸二が「責任」として「自由」を与えられ、パフォーマンスを取り戻したなら、ちょっとわれわれも考え直さなくてはならない。彼が本来発揮してきた才能が、何だったのかという点をね。マイナスの部分ばかりを見すぎてきたのではないか、と。
そんなことを想った、「日本人対決」でした。
<了>