“魂”の証明――鄭大世(チョン・テセ)=川崎フロンターレ所属、北朝鮮代表

キム・ミョンウ

日本と韓国に衝撃を与えた2ゴール

 短く刈られた頭、切れ長の目。特徴的な容姿から見る人に強い印象を残すのだが、ピッチ上のプレーでも観客の度肝を抜いたサッカー選手がいる。在日コリアン3世の鄭大世(チョン・テセ)。2007年6月に北朝鮮代表に初選出され、Jリーグの川崎フロンターレで3年目を迎えるFWである。昨シーズンはリーグ戦12得点で、ジュニーニョの22得点に次いでチーム2位を記録。高い身体能力を生かして、前に突破していく力強さがとても魅力的な選手だ。
 そんな彼が一気に脚光を浴びたのが、東アジア選手権大会(2月17〜24日、中国・重慶)の日本戦と韓国戦でのゴールシーンである。

 2月17日。北朝鮮代表選出後、初めての日本戦とあり、彼はチームメートの誰よりも気持ちを高ぶらせていた。それは「日本代表と対戦してゴールを決めて勝利したい」という強い思いがあったからだ。そして彼の思いはゴールへとつながった。前半5分に安英学(アン・ヨンハッ)から受けたパスを自らドリブルで持ち込んで、左足で強烈なシュートを決めたのである。
 そして彼を東アジア選手権の“スター”へと押し上げたのが、20日の韓国との試合である。同じ民族同士の対決に、鄭大世の気持ちは日本戦とはまた少し違っていたが、勝利のためにどん欲になる気持ちはしっかりとプレーに表れていた。試合は0−1で韓国にリードされていた後半27分、DFからのロングボールが前線に渡ると、そこに走り込んできた鄭大世が韓国DFのクァク・テフィ、カン・ミンスを振り切って豪快な同点ゴールを奪った。

 韓国戦の後には、記者から「今大会のスターですね」と聞かれ、「この顔じゃスターにはなれませんよ」と冗談を飛ばした。鄭大世はその人当たりの良さから、日本人ファンからも、在日同胞からも人気が高い。
 そんな日本で生まれ育った在日3世の彼にとって、日本戦と韓国戦のゴールは、純粋なサッカー選手としての喜びだけではなく、ある種、特別な意味を持っていた。

「一番つらかった」と振り返る大学時代

 1984年3月2日、愛知県名古屋市生まれ。父の鄭吉夫(チョン・ギルブ)さん(67歳)と母の李貞琴(リ・ジョンクム)さん(57歳)の2男1女の末っ子として育った。父は日本生まれの在日コリアン2世。国籍は『韓国』、母は日本生まれの在日2世で国籍は『朝鮮』である。
 当時は日本の法律上、父の国籍が子どもの国籍となるため(現在は両親のどちらかの国籍を選択できる)、鄭大世もそのまま国籍が『韓国』となった。
 しかし彼は国籍のことを意識して育っていない。16年間通った朝鮮学校で『在日同胞』としてのアイデンティティーは自然とつちかわれた。
「“民族の魂”を胸に秘めたJリーガー」――この言葉は彼の代名詞でもある。

 日本の愛知県にある愛知朝鮮第2初級学校(当時)、東春朝鮮初中級学校(現在は初級学校)、愛知朝鮮中高級学校でサッカー部に所属。彼は1993年に開幕したJリーグの華やかな舞台を見て、「プロになりたい」と幼いころから思っていた。
 高校時代も高い身体能力でそれなりの実力はあったものの、それは愛知県内でのレベルである。Jリーグ関係者が欲しがるほどの選手ではなかった。
 今後の進路をどのようにしようか迷った末、出した答えが「朝鮮大学校に進学してサッカーを続けること」であった。

「自分は小学校から高校までサッカーで苦労したことがなかった。だから自分をもっと厳しい環境に置きたかったし、朝鮮大学校から初のJ1リーグの選手になってやろうと心に誓った」
“厳しい環境”。当時の朝鮮大学校サッカー部は東京都3部リーグで、いわばプロのスカウトが視察に訪れることなど到底あり得ないリーグだった。このような環境で「果たしてプロになれるのだろうか……」とまだ見ぬ不安と戦う日々が続いた。

 彼は一番つらかった時期は大学時代だと振り返っている。
「大学でのつらい経験があったから、プロになって試合に出られなくてもくさらずに頑張れた。東京都大学リーグ3部の日本の大学は負けてもヘラヘラ笑っているし、試合が終わった後はタバコを吸ったりして、とてもサッカー選手とは言いがたかった。正直、恥ずかしい連中と試合をしてきたわけです。自分はプロになるために頑張っているのに、俺はこんな所で何をしているんだろうって……」

 しかし彼はレベルの低い相手と試合をするときでも、決してくさることはなかったという。
「とにかくレベルを上げて、プロに目をつけられるようなチームにならなきゃいけないと思った。同時に、自分の実力もしっかりつけようと思ったし、絶対にプロになってやるって強く誓った(※同大サッカー部は、05年に東京都1部に昇格。鄭大世がその原動力になった。07年にはその上のリーグである関東大学リーグ2部に昇格)。いわば、当時は実力も力も名声もない、貧乏大学生ですよ。だから誰よりも努力してきた。そんな経験が今に生かされている」

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著者プロフィール

1977年、大阪府生まれの在日コリアン3世。フリーライター。朝鮮大学校外国語学部卒。朝鮮新報社記者時代に幅広い分野のスポーツ取材をこなす。その後、ライターとして活動を開始し、主に韓国、北朝鮮のサッカー、コリアン選手らを取材。南アフリカW杯前には平壌に入り、代表チームや関係者らを取材した。2011年からゴルフ取材も開始。イ・ボミら韓国人選手と親交があり、韓国ゴルフ事情に精通している。

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