「4回転論争」に思う、高橋大輔の存在 世界選手権

青嶋ひろの

2位のジュベール「4回転はもっと評価されるべき」

 男子シングル終了後の記者会見。2位となった前年チャンピオンのブライアン・ジュベール(フランス)が、こんな発言をした。
「ジェフ(優勝したカナダのジェフリー・バトル)は完ぺきなパフォーマンスをした。でも、彼は4回転ジャンプにトライしなかったんだ。その事実について、僕はちょっと混乱している。(スイスのステファン・)ランビールや高橋(大輔=関大)を見てほしい。彼らは4回転に二度、挑戦して敗れたんだ。4回転は、もっと高い点数を与えられるべきではないだろうか」
 常日頃から率直な発言の多いジュベールだが、当のバトルがいる前でのこの言葉だ。多くの記者が驚き、会見場は一瞬、水を打ったように静まってしまった。

 そして次に、意見を求められたバトルはこう語った。
「(4回転ジャンプなしで)高いスコアを得たのは、僕がすべてにおいて一生懸命に練習してきた証です。ジャンプだけじゃない、フィギュアスケートに含まれるすべてのことを、です。ジャンプ、スピン、ステップ、スケーティング……そのすべてが総合されたものが、フィギュアスケート。ジャンプだけじゃない、4分30秒に起きたすべてのことを評価されるのがフィギュアスケートなんです。僕はカート・ブラウニングやブライアン・オーサーの演技を見てスケートを始めたけれど、彼らのことは忘れられない。人々が彼らの滑りを語る時、思い出すのはどんなエレメンツをしたか、ではないでしょう? 彼らがどんなプログラムを滑ったか、でしょう?」
 バトルのこの発言に対し、会場の一部からは賛同の拍手も起こった。

王者にふさわしいのは4回転かスケーティングか

 和やかな祝福ムードに包まれることの多い記者会見。しかも、大会を締めくくる最終コンペティション後の会見での出来事。この夜、プレスセンターはこの話題でもちきりになってしまった。
「ヨーロッパ人はみんな失望しているよ。なぜ4回転を跳んであれだけの演技を見せたジュベールが負けるんだい? フィギュアスケートは、スポーツじゃないのかい?」(ロシア人記者)
「ジェフリーが勝って良かったよ。フィギュアスケートの本質は、美しいスケーティングだ。ジェフの世界一良く滑るスケートは、4回転に匹敵する価値がある。滑りを含め、完ぺきだったのはもちろん彼だ」(米国人記者)

 これは、本当に難しい問題だ。
 私はフィギュアスケートの4回転ジャンプが大好きだ。4回転は、人間の身体がなし得る最も美しい動きの一つだと思っている。豪快な跳躍は男子シングルを象徴するエレメントだと言っていいし、やはり世界チャンピオンには4回転ジャンパーであってほしい。一方で、美しいスケーティングはフィギュアスケートの宝物だ。あの、何にも妨げられることなく、ひたすらなめらかに氷の上を滑って行く人の姿こそが 見る者の心を奥底から酔わせるし、震わせもする。
 現在、世界最高の滑りを見せるバトルが、あのスケーティングに乗ってミスのない完ぺきなプログラムを見せたのだ。彼が今大会のチャンピオンにふさわしくないとは、決して思わない。
 4回転ジャンプを持つが、滑りの質は最上級とはいえないジュベール。最高のスケーティング技術は持つが、4回転ジャンプを跳べないバトル。二人の対決となったとき、どちらの軍配をあげるべきか――。この難しい問題は記者たちの間で熱く語られたし、世界中のフィギュアスケートファンの間でも、論争は続いて行くだろう。

高橋大輔――二つの至宝を得た者の責任

 この問題に対し、さんざん思いをめぐらせて、今、私が行き着いた答えはこうだ。
「簡単なことだ。次は、4回転と美しいスケーティング、両方できる者が勝てばいいんだ!」
 それは誰か? 日本の高橋大輔だ。

 彼がなぜ今季、史上最高得点を記録(※)するまでの高い評価を得たのか。なぜ、日本人のみならず、世界中のスケート関係者から、今大会の優勝候補筆頭に挙げられていたのか? それは、高橋が美しいスケーティングと難度の高いジャンプ、ともに携えることは難しい、男子シングルの誇りと宝を両方持っている選手だからだ。
 今回は、初めて金メダルを本気で狙える位置につけての戦いに、気持ちばかりが先走り、2本ずつ入れられる4回転とトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)、それぞれの2本目をミスした。気持ちの焦りは身体を自由にコントロールする力を奪い、バトルに勝るとも劣らないスケートの滑らかさを、見せきることはできなかった。だが、彼がいつもどおりの持てる力をすべて発揮すれば、ジュベールが4回転2本を決めても、バトルがどんなに美しく滑っても、高橋にはかなわなかったのだ。
 ジャッジは、多くのスケートファンは、両方を持つ者にこそ、完ぺきな力を世界選手権で出し切り、チャンピオンの座に着くことを期待していた。4回転も滑りの美も男子シングルの魅力だからこそ、両方を持ち得る者に勝ってほしかったのだ。それはフィギュアスケートを愛する者の願いだ。だからもし、高橋以上のジャンプ技術とスケーティングセンスを持つ選手が現れたら、私も、彼らも、高橋ではなく、その選手こそが世界チャンピオンになることを望むだろう。

 2007−08シーズンの世界選手権では、持てる力のすべてを発揮できなかった高橋だが、彼のジャンプも、滑りも、失われてしまったわけでは決してない。来年の世界選手権、再来年に控えたバンクーバーオリンピック。彼が依然、優勝候補筆頭であることにも変わりない。

 誰もが得たいと願うのに、世界でたった数人にしか与えられない、フィギュアスケートの二つの至宝をともに得た者として。高橋大輔は、世界チャンピオンになる責任がある。フィギュアスケート男子シングルが、豪快さと美しさを伴った類まれなスポーツであるために。彼はフィギュアスケートのために、チャンピオンにならなければならない。

<了>

※2月の四大陸選手権で世界歴代最高となる264.41点を記録。世界選手権を優勝したバトルの得点は245.17点。
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著者プロフィール

静岡県浜松市出身、フリーライター。02年よりフィギュアスケートを取材。昨シーズンは『フィギュアスケート 2011─2012シーズン オフィシャルガイドブック』(朝日新聞出版)、『日本女子フィギュアスケートファンブック2012』(扶桑社)、『日本男子フィギュアスケートファンブックCutting Edge2012』(スキージャーナル)などに執筆。著書に『バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート 最強男子。』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』(角川書店)などがある

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