【東京2020オリンピックメダリストインタビュー】大野将平:自分の器を大きくすることに意識的に取り組んできました
【東京2020オリンピックメダリストインタビュー(写真:アフロスポーツ)】
大野 将平(柔道)
男子73kg級 金メダル
■日本代表選手たちの頼もしさ
そうですね、それはリオデジャネイロオリンピックの時と変わらずで、達成感よりはホッとした安心感の方が強いです。
――記者会見の中でも「普段の国際大会とは違う」ということを話されていましたが、大野選手が感じる普段の大会とは違うのはどのようなところですか。
逆にリオデジャネイロオリンピックの時は、普通の国際大会と一緒だなというコメントをした記憶があるのですが、自分自身、世界選手権やグランドスラムを含めていろいろな国際大会で戦った経験から、今回は相手選手の熱量や本気度が明らかに違うなというのを感じました。
4年が5年になって1年延びたからなのか、日本で開催されるからなのか、理由をいろいろと考えました。生活がかかっていたり、人生がかかっていたりと、日本という恵まれた国に住んでいるわれわれには分からない苦悩や苦労が国によってはあるので、そういった背景を感じつつ、多くの我慢を強(し)いられる大会でした。
――柔道を極める求道者としての雰囲気が大野選手からはすごく伝わってきますが、一人の柔道の専門家として客観的に大野将平という選手を見た時に今回どこが良かったと評価をされますか。
良かった点は大してなかったと思いますよ。褒められることは正直なかったですね。やはり、こういう大舞台、オリンピックで理想を体現するのは本当に難しいことと、改めて感じさせられた大会でした。
――そういうなかで、逆にどんなところに課題を感じましたか。
そういうのも正直なところ全くないですね。ある意味完成系に近づいてきていて、ないものねだりをするよりは、自分の引き出しの中に持っているものを、その日その日に発揮できるかが勝負だと思います。自分の実力が発揮できた時には勝つし、それができなかった時には負ける。やはりこれからどう進化、変化していくかが自分にとっては一番の課題かもしれません。
――やはり相手も、引き出しを開けさせないようにしようと思って努力してくるわけでしょうしね。そういう駆け引きの中で戦うということですよね。
「自分を倒す旅が続く」といった言葉を、今回お話しされていたのがすごく印象的でした。自分との戦い、自分を極めていくという言葉からは、求道者といった印象を受けます。例えば、団体戦で負けた直後にフランスに対する尊敬の念みたいなことをすぐに発言されていたのがすごく印象的で、自分には厳しいけれども、相手には尊重する姿勢を示す。大野選手が大切にされている姿勢には、スポーツマンシップや武士道精神に通じるものがあって、それがまさにオリンピズム、オリンピックの理念に近いと感じます。こうした思いを子どもたちや、次の世代、多くの皆さんに引き渡していきたいと大野選手は思っていらっしゃいますか。
柔道という競技をやっていると、「自他共栄」という言葉が一番に出てきます。私だけではなく、今回の日本代表選手はやはり男女とも立派な選手が多いので、そういった気持ちを誰もが持っていると思います。団体戦ではフランスチームが本当に強かったですし、一方で、チームメートの試合を普段あれほど近くでまじまじと見ることもないですから、日本代表選手の頼もしさも改めて強く感じました。
自分自身は、かなり理不尽で特殊な環境で育ちました。中学から親元を離れて中・高・大と寮生活を送りました。便利で恵まれたこの日本で、そういった私みたいな古い考え方で育った人間が思うような育て方では、次世代は育ちづらいのかなとも最近は感じています。
オリンピックでアスリートたちを見ていて、「試合を楽しみます」というような新世代の選手が多くなったと感じます。楽しんで勝てるなんてこれほど幸せなことはないと思いますし、そういった新しい考え方で、今後そういったアスリート含めて子どもたちも育っていくのではないかと想像しています。
ただ、自分自身はやはりオリンピックは楽しむ場ではなく勝負の場で、実際なかなか楽しめない場所であり、楽しむ気もないと考えています。柔道という金メダルを使命とされている競技をやっているからかもしれないですが。ただそれでも、そこにこそ真のやりがいと誇りを感じています。
■自ら理不尽を求める異常性と向き合う
「自分の柔道人生は井上監督とともに歩みがある」と語った 【写真:フォート・キシモト】
井上監督が私に話してくださったのは「異常性」という言葉でした。異常にならなければ、オリンピックという異常の場では戦えないということをアドバイスしていただいたのですが、今の時代なかなか異常を押し付けられることはあまりないでしょう。どうするかといえば自分で異常になっていくしかない。自分でそういった理不尽を求めていかないと、やはり柔道という過酷な競技をやっている上ではなかなか金メダルは獲得できない。私は連覇というまた一つ違ったものを目指していたので、とくにそういうことを意識して取り組んでいましたね。
――大会の前に新型コロナウイルス感染症拡大の影響があり1年延期となりました。1年は、競技に取り組む皆さんからしたらものすごく長い時間だと思います。大野選手はどのように向き合っていらっしゃいましたか。
2013年に井上監督となってから自分自身も代表に選出されたので、自分の柔道人生は井上監督とともに歩みがあると思っています。年齢も昨年28歳になり、1年の延期というのは年齢的にも体力的にもどう影響するのか未知数でしたし、そういった意味でも非常に怖かったです。延期になってからの1年間は主観的に自分を見つめて、自分を疑い続けるような日々だったんですね。本当にこのコロナ禍においてどうしようもないことはすごく多くて。ただ、私の柔道人生を振り返ると、時に、どうしようもないことが起きてきた、そういった人生だったんです。もう覆らないことに関して、いらだちや無駄なエネルギーを使うことは、あまり意味がないですよね。自分の中で一つのテーマを受け入れるということだと考えました。
日々、多くの人と会い取材を受けたり、いろいろなお話させてもらったりしますが、どんどんその余裕がなくなってきます。器に例えて考えると、抱えきれずに溢(あふ)れてしまえばどうしてもイライラしたり、ストレスを溜めたりしてしまいます。だからこそ、自分の器を大きくすることに意識的に取り組んできました。
自分のコンディションでこの器の大きさはどんどん変化していきますが、基本的な器の大きさはある程度大きく余裕のある状態で保てたらいいなという思いで意識していました。
――残念ながら、お時間になりました。大変お疲れのところ、貴重なお話をありがとうございました。大野さんが極めてきた道を、ぜひこのように言葉として多くの人たちに分け合っていただけるとうれしく思います。
どうもありがとうございます。
■プロフィール(東京2020オリンピック当時)
大野 将平(おおの・しょうへい)
1992年2月3日生まれ。山口県出身。7歳の時に柔道を始める。小学校卒業後、上京し、柔道家のエリート養成塾「講堂学舎」に所属する。2013年世界選手権では73kg級で初優勝。その後15年でも金メダルを獲得、19年はオール一本勝ちで頂点と3度頂点に立つ。16年リオデジャネイロオリンピックの73kg級で金メダルを獲得。21年東京2020オリンピックでは73kg級で日本男子史上4人目となる2連覇を達成、混合団体でも銀メダルを獲得した。旭化成(株)所属。
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