オランダで奮闘する日本人コーチ 2つの国で感じた指導者の在り方

中田徹

エクセルシオールでコーチを務める小坂

エクセルシオールU−19でコーチを務める小坂献。将来の夢を語ってくれた 【中田徹】

 オランダに修学旅行へ来ていた藤枝明誠高校サッカー部2年生を対象とした、エクセルシオールのサッカークリニックのコーチングスタッフの中に、1人の日本人がいた。小坂献(27歳)は現在、エクセルシオールU−19チームでコーチを務めている。

 小坂の夢は将来、高校サッカーの指導者になることだ。

 10歳の頃、地元の日大藤沢高校が全国高校サッカー選手権大会でベスト8に勝ち進んだ。優勝校の市立船橋には完敗を喫するも「すごいな」という憧れが生まれた。指導者としてあの舞台へ立つため、小坂は立命館大学へ進学して間もないうちに現役を引退。大学在籍時から京都紫光クラブのジュニアユースのコーチを務めた。また、大学を1年休学し、UEFA(欧州サッカー連盟)のコーチングライセンス取得のためイングランドに留学。ワトフォードU−16で研修を経験した 。

 大学を卒業した2012年の3月、小坂はフェイエノールトとエクセルシオールで研修を受ける機会を得た。

「オランダのトップだけあって、フェイエノールトの育成は洗練されていました。選手のレベルも高かったですし、使えるお金も違う。しかし、自分が日本に帰ったときのことを考えると、規模が大きすぎてまねできることがありませんでした。

 また、フェイエノールトはどちらかというとチームを伸ばす育成で、戦術練習を止めながら『こういう風にやらないと駄目だよ』という方法を取っていました。それに対し、エクセルシオールは個人を伸ばす育成で、選手を褒めながら育てていたので選手が笑顔でした。練習もあまり止めないので、プレー時間も長かったです」

日本の街クラブでの経験から学んだこと

U−19チームの指導を行う小坂(右)。日本でも多くのことを経験したと言う 【中田徹】

 小坂は12年夏から、エクセルシオールU−19のコーチを1年間務めた。それから柏原FC(大阪)、SCH.FC(神奈川)という日本の街クラブでの指導者生活を挟み、16年夏から再びエクセルシオールU−19のコーチとしてオランダに戻ってきた。

 これから指導者としてのキャリアを積んでいく上で、オランダから日本、日本からオランダへと行ったり来たりするのは、小坂も「効率が悪い」と苦笑いする。しかし、その選択の背景には「海外で学んだ指導者が日本でうまくいかないことも多い。それは日本には日本の指導法が求められるから。だからこそ、僕は日本でもしっかり指導者としての勉強をしたかったんです」という本人の強い意志もあった。

 京都紫光クラブとSCHには育成世代を専門とする指導者が多くいた。そこで小坂は薫陶(くんとう)を受けた。
 
「京都紫光とSCHは名門クラブなだけあって、それぞれ独自のスタイルを持った指導をしていました。オランダよりも優れている部分も多く、指導者の皆さんは人としても尊敬できる方々でした。質の高い選手も多く、これから活躍するはずなのですごく楽しみにしています」

 小さな街クラブの柏原FCではサッカー以外での重要さを学んだ。
 
「中1から中3まで12人しかいない、つぶれそうなクラブがあるので立て直してくださいという依頼を受けて柏原FC U−15の監督を引き受けました。地元の少年団を回って交流を深めたり、練習会をやったりして1年目に12人、2年目に16人の新しい選手が入ってきました。この時の僕の売りが『オランダで学んだことを指導します』というものだったんですが、地域が求めていることと、父兄が求めていることは違うと気付きました。

 柏原FCはプロを目指す子が集まるクラブではないので、サッカーのことで厳しく言うと子どもたちがつまらなくなってしまい、クラブ内、親、少年団の方たちから『それはどうなの!?』と言われてしまう。また、サッカーを教えるだけじゃなく、子どもたちの私生活もきっちり見ないといけない。

 親が求めるのは、子どもがサッカーをうまくなることではなく、子どもにサッカーを通じて成長してほしいということ。あの時、自分は24歳でしたが、まだ人間として不十分な監督だと痛感しました。やはり日本だと指導者は教育者であることが求められます。そのことは小さな街クラブでも、名門クラブでも変わりません」

 柏原FCで小坂は「エクセルシオールという小さなクラブだからこそ、学んだことを将来、日本に持ち帰ることができる」と再び感じたという。

「僕は、マルコ(・ファン・ローヘム、エクセルシオールのアカデミー長)のすごさをあらためて柏原FCで感じました。サッカーの部分ももちろんですが、それ以外の部分、たとえば親との関わりだとか、選手のモチベーション管理がうまかった。一言でみんなを動かすことができ、そのタイミングもすごい。戦術的な面もですけれど、それ以上にマルコは人間として素晴らしかった」

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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