日本に求められる「守備の再考」 問題が明確だったサッカー五輪代表

大住良之

日本はグループリーグ3試合を終え、惜しくも準々決勝進出を逃した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「これまでの日本サッカーは、世界大会では押し込まれて耐えて勝つというイメージがあった。しかし大会が進んで調子が良くなってきた時には、ペースを握って試合ができるということが分かった。日本選手のボールの持ち方、仕掛け方というのが確立しつつあるように感じた」

 リオデジャネイロ五輪のグループリーグ3試合を終え、惜しくも準々決勝進出を逃した五輪日本代表の手倉森誠監督。「これからさらに良くなる」という時点での敗退を「受け入れがたい」としながらも、日本のサッカーに希望をもたせる内容の試合ができたことを誇らしげな表情で語った。「リオ2016」の手倉森ジャパンを総括してみよう。

(1)選手選考は適切だったのか

 キーはオーバーエイジ(OA)枠の3人だった。今年1月の最終予選で試合ごとに力をつけ、多くの選手が自信をつけた日本。だが最多6試合を戦う大会では異常に少ない18人という登録選手数を考えると、OA枠の使い方が戦力に直結する。

 今大会を見ると、OAの選手がリーダーシップを握るチームが大多数だった。しかし日本のリーダーは間違いなくMF遠藤航。手倉森監督はリーダーより「職人」、すなわちあるポジションやある仕事のスペシャリストを選んだ。センターバック(CB)の塩谷司、左サイドバック(SB)の藤春廣輝、そしてFWの興梠慎三である。

 落ち着いたプレーができるCBが必要であることは、予選の段階で分かっていた。塩谷はまさに適切な人材だった。だが藤春の選出は必要だったのか。攻撃力を買っての招集だったのだろうが、攻撃力だけを考えれば亀川諒史でも十分戦えたはずだ。攻撃面より守備の硬さを考えた選出もあったのではないか。

 興梠については手倉森監督の大ヒットだったと思う。マイペースでこれまで代表にそれほどの意欲を見せてこなかった興梠だが、ボールを収め、キープするテクニック、そして最前線での守備の的確さなどで、興梠自身、非常に充実した3試合を過ごした。このチームのエース格だった久保裕也が直前に参加不能になったことで、興梠の存在感はより一層際立つものとなった。

(2)準備は最適だったか

チームはエース久保を欠いていただけに、前線での興梠の存在感は際立っていた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 2014年ワールドカップ(W杯)での失敗を受けて、今回のコンディショニングはとてもうまくいったように感じられた。ナイジェリア戦で2−5から2点を返し、コロンビア戦では0−2から同点に追いつき、スウェーデン戦では時間の経過とともに運動量で相手を圧倒した。交代選手が効果的に働いたことも、コンディショニングの成果だった。

 ただ、7月30日(現地時間)に行われたブラジルとの親善試合(0−2)は、この大会の特に初戦に大きな影響を与えたように思えた。

 初戦を5日後に控えた時点で地元ブラジルと戦う――。選手たちはどんな意識でこの試合に臨んだのだろうか。

 実際に起きたのは、ブラジルの攻撃陣にまったくプレッシャーをかけず、ただ待ち構えるだけの守備。コンディションが仕上がる前の試合とはいえ、あまりに緩かった。本大会で威力を見せた攻撃も、厳しいプレスがあってのもの。攻撃面でもほとんど何も出せないまま終わってしまった。

 初戦のナイジェリア戦では、遠藤ら何人かは厳しい守備を見せるようになっていたが、チーム全体としては相手の縦パスに厳しくいくことができず、それが大量失点の根本的な要因となってしまった。最終的にはGKやDF間のミスによる失点だったが、まるで相手を恐れるような試合ぶりが最後に響いた。

 06年ドイツW杯の直前にジーコ監督率いる日本代表はドイツと戦い、2−2で引き分けた。だがこの試合で日本選手たちは勘違いしてしまい、それが初戦オーストラリア戦の逆転負け(1−3)につながった。

 チームがせっかく細心の準備でコンディションを上げたのに、無考えなマッチメークがまたもチームの努力を台無しにした。日本サッカー協会は「大会準備」というものをもっともっとまじめに考えなければならない。

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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