日本に求められる「守備の再考」 問題が明確だったサッカー五輪代表

大住良之

(3)試合プランは良かったか

初戦で得点を挙げた南野を、手倉森監督はコロンビア戦で「切り札」として手元に残した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 手倉森監督が好むのは、「切り札」を手元に置き、勝負どころで投入して勝利をつかむという形のようだ。ナイジェリア戦でもFW浅野拓磨を先発から外し、遠藤を「アンカー」に置いた守備主体の布陣でスタートした。しかし守備力を高めるための布陣の中で個々の守備が甘くなったら意味がない。

 コロンビア戦では、MF南野拓実とMF大島僚太を手元に置いて後半の勝負どころに備えた。それで0−2から追いついたのだから、狙いどおりだったと言えるだろう。

 だが「いつ勝負に出るのか」を見誤ったと私は感じた。後半の立ち上がりに浅野のシュートがバーをたたき、矢島慎也のシュートが大きく外れたとき、そこが「勝負のポイント」だった。ここで2人を投入していれば、コロンビアは崩れただろう。

「後半開始直後」は手倉森監督のプランとしては早過ぎたのかもしれない。しかし日本が一瞬出た「虹」をつかまないうちにコロンビアが先制し、ビハインドの状況になってから手倉森監督は「切り札」を投入しなければならなかった。

「世界を経験したことのない監督と、世界を経験したことのない選手が出会って、世界大会でここまで戦った」と、スウェーデン戦後、手倉森監督は選手たちに語ったという。そのとおり、Jリーグでの経験しかない監督としては、際だった采配を見せた手倉森監督だったが、コロンビア戦の勝負どころの見極めだけは残念だった。

(4)守備力は十分だったか

 3試合で7得点は、フィジーが入ったC組の3チームを除けば最多。同時に、3試合で7失点は、フィジー(23失点)を除けば最多。問題ははっきりしている。サイドの守備の弱さだ。

 これは今大会明らかになった重要なポイントである。日本のSBは共通して体が小さく、当たりもヘディングも弱い。その選手が攻撃面でも大きな仕事を期待されている。当然、穴ができ、そこを狙われる。

 前線に興梠、浅野、中島翔哉、南野、さらには矢島、鈴木武蔵などがそろった今大会、私はSBには、まず守備がしっかりできる選手を入れるべきだと感じた。極端に言えば、DFラインにCBタイプの選手を4人並べる形だ。塩谷は右SBも十分こなすし、左SBができるCBには浦和の槙野智章がいる。W杯を目指すヴァイッド・ハリルホジッチ監督も、「日本のSB像」を見直すべきだと公言している。

 12年ロンドン五輪の成功(4位)は、堅固なDFラインに支えられた。基本は10年W杯で岡田武史監督が示した「堅守速攻」で、ロンドン大会を率いた関塚隆監督はOAに共にDFの吉田麻也と徳永悠平を起用した。徳永は左SBとしてプレーしたが、攻撃よりも守備に長所のある選手で、身長180センチ、所属のFC東京ではCBでもプレーしたことがある。

 堅固な守備を築くことにより、D組の3試合ではスペイン、モロッコ、ホンジュラスを相手に無失点、準々決勝でもエジプトに3−0で勝った。このチームは「手倉森ジャパン」のような攻撃の多彩さはなく、ひたすら永井謙佑らFW陣のスピードを生かすというものだったが、結果としては見事な成績を残した。

 激しく当たられても突破していける中島など、今回の攻撃陣は「個」で十分プレーできる選手たちだった。その選手たちが日本のお家芸であるコンビネーションを駆使した時には、対戦相手の守備は混乱の極みに陥った。それは手倉森監督が言ったとおり、日本のサッカーに新しい希望を与える現象だった。

 世界の舞台でも、日本のサッカーは主導権を握って勝利をつかむことができる――。それだけの攻撃力を身につけつつある。だからこそ、「守備の再考」が急務なのだ。

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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