拝啓、日本サッカー協会様 東京に向けA代表と五輪監督を兼任に

川端暁彦

「リオ」の教訓を「東京」へ

メダルを目標に挑んだリオ五輪で、グループリーグ敗退に終わった日本。日本サッカー界として「リオ」で得た教訓を「東京」へ生かさぬ手はない 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 1勝1分け1敗でグループステージ敗退。リオデジャネイロ五輪男子サッカー日本代表は日本時間8月11日をもって解散が決まった。4−5で敗れたナイジェリア戦、2−2で引き分けのコロンビア戦も含めて決して絶望的な差を感じさせる試合ではなかった。ただ、8強に届かなかったのが現実だ。選手個々は今回の悔しさを噛みしめて財産にしてもらえればと思うが、日本サッカー界としては「リオ」で得た教訓を「東京」へ生かさぬ手はない。

 大会を振り返ったときに「敗因」として浮かぶのは何と言ってもナイジェリアとの初戦だろう。過緊張に陥った選手たちが心理面でパニックに近い状態になって基本的なミスを繰り返す様は手倉森誠監督にとっても想定外だったとは思うが、「なぜ」そうなってしまったかは突き詰めておく必要がある。「ビッグトーナメントの初戦」が重要なのは絶対的とも言えるセオリーだが、その初戦でチームは心理面で壊滅してしまっていた。

「経験不足」があったのは確かだ。大きな注目を浴びる中で、「勝ってくれ」という思いを託されて戦うのは容易ではないし、世界大会独特の空気感もある。この世代がU−20ワールドカップ(W杯)に出られなかった影響もあれば、A代表でそうした経験を積み上げた選手が不在だったというのもあった。MF遠藤航、DF植田直通といったA代表の親善試合ではない公式大会にかすった選手もいるにはいるが、彼らにしてもレギュラーとして何かを背負った経験を持っているわけではない。アジアレベルを超えたA代表のビッグトーナメントという意味では、誰もその経験を持っていなかった。

OA選手へかかり過ぎた重圧

興梠(写真)らOAとして加わった選手たちには大きな重圧がかかった 【Getty Images】

「U−23」という制約がある中で、そうした経験値を持った選手を抱えるのが難しいという一面もあるが、それを補う意味を持つべきオーバーエイジ(OA)選手たちも同様に「経験不足」だった。世界大会に初挑戦するという3人の選手(興梠慎三、藤春廣輝、塩谷司)に過剰な期待をできないことは想定内でもあり、手倉森監督も彼らに「柱」としての役割を託すというより、足りない部分を補う仕事を期待していた節がある。

 ただ、そうした指揮官の想定以上にOAとして加わった選手たちの責任感は強過ぎたのかもしれない。特に初戦で強く感じられた気負いは、彼らのプレーから本来のクオリティーを奪っていた。ナイジェリアの英雄でもあるMFジョン・オビ・ミケル(チェルシー)が落ち着き払った立ち居振る舞いとプレーの安定感でチームを底支えしていた様子とは何とも対照的で、敗因の一つだったことは否めない。

 こうなると、OAの人選がそもそも妥当だったのかという議論も出てくるが、「そもそも」手倉森監督はフリーハンドでOAの選手を選べたわけではなかった。A代表のW杯予選にエントリーする予定がなく、国内でプレーしていて、ロシアW杯を狙える年齢の選手となると、実際のところ幅はかなり狭い。今回補強した3つのポジションで言えば、国内に彼ら以上の経験を持った選手がいるかとなると、かなり難しかった。

 またOA選手をもっと早くチームに加えてなじませる、戦術理解を促すことをしておくべきだったという議論もある。彼らを加えてアウェーの国際試合を経験したのが直前のブラジル戦のみでは、自信を持って大会に臨めと言っても確かに無理があった。これらの問題を個別的に解決するのは難しいだけに、東京五輪へ向けては逆転の発想が必要になってくるのではないだろうか。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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