万全な状態で臨めなかった鈴木と高橋 日本競歩陣に必要な強さと綿密な戦略
「金メダル」から「メダル」へ狙いを変える
恥骨の炎症が良化しないまま大会に臨まざるを得なかった鈴木。日本チームとしても誤算となってしまった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
その大きな要因となったのは、今年3月に世界記録保持者となった鈴木雄介(富士通)が、5月から痛みが出ていた恥骨の炎症が良化しないままで大会に臨まざるを得なかったことだ。
鈴木は「想定していた6割程度の練習しかできなかったが、今回の優勝記録は1時間19分前後。そのくらいなら出せる練習はしてきている」と、金メダルではなくメダル獲得にターゲットを変更していた。
早朝にはわずかな雨もぱらついていたが、スタートの午前8時半(現地時間)になる前には日もさし始めて、暑くなることが予想されたレースだった。それは「暑さ対策はできているから、暑くなればそれだけ僕らのアドバンテージになる」と鈴木が話していたように、日本にとって追い風になると思えた。
6キロ過ぎで痛みが強くなり棄権
レース序盤は好位置につけていたが、6キロ過ぎにでた痛みに我慢できず、棄権となった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
陳が集団に吸収された5キロからは、ハーゲン・ポーレ(ドイツ)が先頭に立ったが、7キロ手前からは中国勢が先頭に出てガッチリペースをキープした。
一方、鈴木はスタートからハイペースで飛び出した中国勢を追い、集団でも好位置をキープ。様子を見ながら後半勝負に備えているように見えた。
だが9キロ付近から徐々に集団の中盤以降に位置を取るようになると、11キロを44分21秒で通過した後、すっと集団から離れる姿が見える。
その直後、コース脇に立ち止まり、今村文男コーチと話をする姿が画面に映し出された。
「アップをしている時から痛みはあったが、6キロ過ぎから痛みが強くなった。10キロまでは我慢して先頭集団についていたが、入賞できるかどうかギリギリの感じだと思ったので、無理をするのではなく、ここで止めた方がいいと思い、痛みがひどくなる前に止めた。痛み止めを飲んで2日前くらいからは胃が痛くなっていたりで、状態を整えきれなかった」
中国勢のペース作りで負担が大きくなった
1キロ4分前後のラップで歩ける方法を探っていたが、中国勢のペース作りに崩された 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
それでも大会に向けては、恥骨に負担がかからないような歩き方を探り、1キロ4分ペースで歩けるような練習はしてきた。本人もそれを20キロ通し、勝負どころで踏ん張れば1時間19分前後の記録でゴールはできるだろうと踏んでいた。
だが中国勢が支配したレースは、1キロ4分前後のラップを刻んではいたが、時々にペースの上げ下げがあった。そのことで負担がかかり、痛みが大きくなってきたのだ。
「このまま継続しても最後までそのペースで歩き通すのは難しいし、自分が望んでいるような結果は出ないと(鈴木が)自分で判断しての棄権だった」と今村コーチは説明する。
それは鈴木にとってこの世界選手権は、経験を積むところではなく、結果を出すべきところだったからだ。