沖縄で1人練習に励む花城桜子 フィギュアスケート育成の現場から(10)

松原孝臣

沖縄県唯一のスケートリンク

花城桜子は沖縄県唯一のスケートリンクで練習に励んでいる 【提供:花城桜子】

 その事実を知ると、意外な顔をする人は少なくない。いや、ほとんどと言っていいかもしれない。

「沖縄県にもスケートリンクがあるんですよ」

 聞く人は、へえ、という顔をする。さらにスケートをする人々がいることを聞くと、なおさら、驚いた顔をする。

 那覇空港から車で30分くらいだろうか、那覇市の東、沖縄県南風原(はえばる)町。ここにスポーツワールドサザンヒルがあり、施設の1つとして、沖縄県唯一のスケートリンクがある。通年型のリンクである。

 そこには、スケートを楽しむ人たちの姿がある。

 楽しむ人ばかりではない。沖縄にもアイスホッケーチームがあり、彼らが練習している。そしてフィギュアスケートに打ち込む子どもたちもいる。

 その中に、1人、練習に励んできた高校生がいる。毎日教えてくれる専門のコーチはいない中で、自分自身の工夫と、周囲の支えとともに、練習してきた。

「環境は以前と比べれば大きく変わりました。もちろん、足りないなあと思うところもあります。でも、ここに来たから学べたこともたくさんあります」

 那覇国際高校3年生の花城桜子は弾んだ声で言う。

 なによりも、
「やっぱり変わらない思いがあるし、ずっと続けたいです」
 と加える。

仙台でスケートに打ち込んだ日々

 何が大きく変わったのか。そして、変わらない思いは――。そこには、花城の歩んできた足取りがかかわっている。

 花城は小学2年だった2005年、当時暮らしていたドイツでスケートに出会った。

「やってみたら、ぜんぜん滑れなかったんですけど、うまい人たちの動きを見て、すごいなと思いました」

 それがスケートにとりこになるきっかけだった。

 その後帰国した花城は、仙台に引っ越すと、宮城FSCに入り、フィギュアスケートに打ち込むようになっていた。先輩には、羽生結弦(ANA)がいた。

 羽生も通っていた仙台市立七北田中学1年生のときには宮城県大会で優勝し、東北大会でも2位となった。

「仙台にいるときは、羽生選手だけじゃなく地方大会から全国大会へと勝ち進んでいく先輩たちもいました。身近に見本があったんです。それに、同じ歳にも同じくらいのレベルの子がいて、いい刺激になることが多かったんですね。そういう環境があったからこその成績だったと思います」

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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