沖縄で1人練習に励む花城桜子 フィギュアスケート育成の現場から(10)
あの日、リュックにスケート靴を押し込んで……
学校は午前中で終わり、いったん家に帰った花城は、練習に備え、昼寝をとった。
午後2時ごろ、目を覚ますと、「クラブの練習の前に一般の時間から練習しよう」と出かける準備を整えていた。
そのとき、携帯電話のアラームが鳴った。緊急地震速報だった。
「まさか、と思いました」
それから3秒くらいだったろうか、体験したことのない揺れに襲われた。
「とっさに厚い布団を頭からかぶりました」
揺れが落ち着いてくると、外出していた母と携帯電話で連絡をとって互いの安否を確認し、リュックサックにスケート靴を押し込み、外へ出た。
吹雪だった。母の知人らにも助けられつつ、避難所へ向かった。
「靴の入ったリュックに、いろいろ小物を詰めていきましたね」
その日をめぐる会話の中で、何度も、「靴」と言った。
「真っ先にリュックに入れていました。やっぱり大事だったからかもしれないですね」
と振り返る。
「やっぱり、1人でやる練習はきつい」
「なんだか、ぽかんと穴が開いたような気持ちでした」
2011年の秋、母の故郷である沖縄県へ移住することになった。
沖縄には、リンクがあった。
上山中学校に転校した花城は、スケートを再開した。
受験勉強もあったから、滑る日は限られていた。
再び滑ることができるのはうれしかった。
一方で、こんな思いもあった。
「やっぱり、1人でやる練習はきついなと思いました」
仙台のクラブで練習していたときは、切磋琢磨(せっさたくま)できる仲間がいて、目標とする先輩がいて、なによりも、毎日見てもらえるコーチがいた。それと比べれば、スケートをめぐる環境は劇的に変化したと言ってよかった。
それでも、「高校に入ったら、インターハイを目指そう」と思い描いていた花城は、2013年春、那覇国際高校に進学する。
高校生活の中で、思わぬできごとや、悔しい思いをした。
一方で、あらためて確認できたフィギュアスケートへの思いと魅力、そして芽生えた決意があった。
(第11回に続く/文中敬称略)