ポスト谷繁を狙う中日・松井雅人の成長 控え捕手から兼任監督のライバルへ
谷繁監督(奥)からもノックを受けるなど後継者としての期待がかかる松井 【写真=大賀章好】
谷繁監督による特別なノック
「どうした! レギュラーをとる気はあるのか!?」
声の主はノックバットを手にした谷繁兼任監督。その視線の先ではキャッチャー用具を身にまとった松井が、息も絶え絶えに体勢を整えていた。
「それ、本当は全然聞こえてなかったんですよ。後で誰かから聞いて『そんなこと言われていたのか』って」
松井はそう苦笑するが、それくらいに無我夢中だった。約1時間、350球のノックを受け切った後は疲労困憊(こんぱい)。サブグラウンドを後にする足取りはおぼつかなかったほどだ。
「キャンプで一番疲れました。でも、谷繁監督からの個人ノックは入団してから初めて。なかなかそんなことはやってもらえないですし、光栄ですね」
ほかの11球団なら、監督が期待を寄せる有望株を特別に鍛えたという話に落ち着くだろう。だが、谷繁は昨年に引き続き捕手としてマスクをかぶりながら、同時にチーム全体の指揮を執るプレーイングマネジャーだ。監督と選手というだけではなく、両者は正捕手の座を争うライバルでもある。
冒頭の言葉も、単なるその場限りで奮起を促すものではなかっただろう。
捕球練習に取り組んだ日々
活躍へとつながった捕球練習は日課となっており、技術は日々向上中だ 【写真=大賀章好】
谷繁兼任監督も当時は選手専任。故障を抱えながらも扇の要として100試合以上に出場しており、ルーキーにとっては高すぎる壁だった。
「当時は特に誰がいるということは気にしていなかったですね。とにかく自分のことで精いっぱいでしたから」
それでも松井は開幕1軍を勝ち取り、4月29日の巨人戦(ナゴヤドーム)では早々に初スタメンに抜てきされている。結局13試合の出場にとどまったものの、将来の正捕手候補に名乗りを上げた。
しかし11年は10試合、12年は4試合の出場に終わり1年目すら超えられない日々が続いた。
「1軍に行ったりファームに行ったりの繰り返しでした。なかなか定着できなかったし、自分自身、そこまでの力がなかったと思います」
何かを変えなければいけない。熟考の末に導き出した答えが「捕球」を磨くことだった。「キャッチャーとしてまずは捕ることをしっかりやるようにしました。捕らないと投げられないし、ポロポロしているようだと投手の信用もない。自分も自信を持ってサインを出せませんからね。例えばランナーが三塁にいる場面で後逸の不安があれば、投手に落ちるボールは要求しづらくなってしまいます。でも、そこでサインを出さないで打たれたら悔いが残ってしまうし、それだけは嫌だったんです」
来る日も来る日も捕球練習に明け暮れる日々。地道な努力だったが、徐々に練習の成果が実を結び始める。
「後ろに逸らす数が減ってきました。それに何より、自分の中で練習を“やらされている”んじゃなくて“やっている”んだと意識が変わりました」