【ジェフユナイテッド市原・千葉】“戻ってきた”漢が熱い!大ケガを乗り越えた新戦力・安井拓也の「気づき」が、チームの進化を加速させる
8カ月ぶりのピッチ。サッカーができる幸せを実感しながら
この冬、FC町田ゼルビアからジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍を決断したMF安井拓也は、クラブハウスの端にある小さな打ち合わせスペースで静かにそう話した。
膝のケガでピッチに倒れてから約9カ月。当初は全治6カ月の予定だったが、リハビリの過程で別の箇所に痛みが出たこともあり、結局、8カ月近くもピッチから遠のくことになった。
長かった。それを強く実感していたからこそ、1月の沖縄キャンプ終盤で練習試合のピッチに立つことができた時は素直に感動した。
「サッカーができることをこんなに幸せに感じられるのがめっちゃ久しぶりで、それが本当に嬉しくて」
さかのぼること8カ月前の2024年6月12日。安井は町田GIONスタジアムのピッチにいた。ただし、25分間しかいられなかった。
天皇杯2回戦。相手は筑波大学。その前半22分――。
計算どおりのCKはニアサイドのフリックからペナルティーエリア内のぽっかり空いたスペースに転がり、後方から走り込んだ安井は相手選手と交錯しながらスライディングシュートを放った。
“格上”の町田に安堵感をもたらす見事な先制ゴールだった。しかし、背番号41は自らのゴールを喜ぶことはおろか、立ち上がることさえできなかった。
それから約2週間後、クラブはケガの詳細を発表した。
右脛骨骨幹部骨折。全治6カ月。長期の戦線離脱を強いられる大ケガを負ったのは、サッカー人生で初めてのことだった。
「いろんなことを言われる試合になってしまったんですけど、僕自身はとにかく悔しくて。点を取ることはできたけど、そのあとピッチに立てなかったこともそうだし、チームが勝てなかったことに悔いがありました。『もしも自分が点を取らなければ』とも考えたりして。結果論ですけど、あそこで突っ込まなければずっとピッチに立っていられたかもしれない。でも、自分の判断で1点を取りにいった結果なので」
あんな状態の自分に声をかけてくれたこと。それが決断の理由
「それまでの自分は言ってしまえば“使い勝手のいい選手”で。どこでもできる。ある程度のプレーができる。そういう雰囲気で使われることが多かったので、結果を出して、それを変えたかった」
1週間前の6月5日。セレッソ大阪とのルヴァンカップ・プレーオフラウンド第1戦。安井はシーズン初のスタメン出場で78分間ピッチに立ち、勝利に貢献した。しかし4日後の第2戦では、ベンチ入りしながら最後まで声がかからなかった。
「そういう流れがあったので、天皇杯では『自分はやれる』という自信を結果で示したくて。だから気持ちは入っていたと思います。でもまあ、しゃあないですよね。起きてしまったことは」
自分にそう言い聞かせながらも、“今季絶望”の現実を完全に受け入れるまでにはかなりの時間を必要とした。本当の意味で受け入れた頃には、長いシーズンが終わろうとしていた。
ジェフユナイテッド市原・千葉からオファーがあったのは、ちょうどその頃だった。
「迷いました。町田には自分の復帰を待ってくれている人がたくさんいたし、移籍してもリハビリから始まることはわかっていたし。でも、そんな状態の自分に声をかけてもらえたことが素直に嬉しかった。最終的にはそれがすべてです。もう一度、自分自身の可能性に懸けたいと思ったし、その可能性を信じてくれたジェフで自分のできることすべてをぶつけたいなと」
輪の中にいて、自分も変わらなきゃいけないと本気で思った
それでも、チーム変革期の真っただ中にあった2021年は満足なチャンスを得られず、シーズン途中に当時J2を舞台とした町田への完全移籍を選択。2022シーズンは30試合、2023シーズンは23試合に出場してクラブ史上初のJ1昇格に大きく貢献した。
ここからが勝負――。そう感じていた矢先の大ケガだった。
「ただ、こういう大きなケガをして改めて自分のキャリアを振り返ると、本当に“人生を懸ける”という気持ちでやれていたのかなと思うところがあって。その時はやっていたつもりだったけど、サッカーができなくなった自分として改めて振り返ると、本当に本気で向き合えていなかったんじゃないかと。そのことに気づいたんです」
実は、昨シーズンの頭から考え方に変化があった。
J1でも快進撃を続けた町田にあって、しかし自分の定位置を確保するのは簡単じゃなかった。現代サッカーに不可欠な“強度”を特長とするチームの中で、技術を武器とする自分もそれに適応しなければチャンスを与えられない。存在感を示すことができない。プロとして生き残れない。
「サッカーにも時代があって、それって変化するじゃないですか。スタイルが変われば選手を評価する基準も変わると思うんです。それまでの自分は上手ければ上手いほどいいと思っていたし、それだけを追求していました。でも、今の時代はそれじゃ勝てなくて。求められているのはもっと基本の部分。球際のハードーワーク。走ること。身体を張ること。町田はそれを突き詰めてJ2で優勝して、J1でもあれだけのパフォーマンスを発揮して。その輪の中にいて、自分も変わらなきゃいけないと本気で思いました」
自分を変える。時代に適応させる。そのチャレンジを途中でぶった切られてしまった悔しさも手伝って、ほとんどボールを蹴れなかった8カ月の間に「本気」に対する想いを改めてめぐらせた。
2月のある日。ゲーム形式のトレーニングでは鋭い読みと出足でショートパスをインターセプトし、球際の攻防でボールを奪い切る安井の姿があった。
「昔は本当に守備が苦手で、相手のパスコースを限定するくらいしかできなかったんですけど。今はもう、1人で奪い切るところまでできないと話にならないと思っているので。走り負けないこともそう。そこは普段のトレーニングからめっちゃ意識しています」
チームはスケールアップした安井拓也の力を必要としている
真剣な表情で、安井は話を続けた。
「昨シーズンは『このままじゃ絶対に試合に出られないと』と思うところから始まって、だから自分の意識を180度変えるしかないと考えて、毎日の行動もトレーニングに対する意識も変えました。ケガをする前に少しずつチャンスをもらえるようになって、それを掴み切れなかったことは自分のせい。でも、とにかく気づけたことは大きかったと思いますし、気づかせてくれた町田に感謝しています」
小林慶行監督が就任してからの千葉も、まさに選手個々の“強度”をベースとするチームとして2年間積み上げてきた。だからこそ、このタイミングで両者の思惑が合致したことは間違いない。
「うん、そうですね。だから僕はここに来たんだと思います」
今年27歳。チームにはそれぞれの紆余曲折を経て生き残ってきた同学年の選手がいる。そのひとりであり、2016年のSBSカップでともにU-19日本代表のユニフォームを着た髙橋壱晟は、安井についてこう説明する。
「雰囲気だけでうまいとわかる選手っているじゃないですか。完全にそれです。ボールに対する柔らかさと軽やかさがあって、常にボールを懐に入れている感じというか……あれはうまいですね」
髙橋も“適応”することで生き残ってきた。2023シーズン途中からの右サイドバックへのコンバートは小林体制の千葉を象徴する出来事のひとつだ。昨シーズンのチーム内最多試合出場数を誇る背番号2は、「慶行さんのサッカーを誰よりもわかっているつもり」と自負する。
「だからと言って、僕から拓也に言えることなんて何もなくて。互いに生き残るために必死だし、だから勝手に頑張るだろうし。拓也は真面目だし、自分で考えて答えを見つけられるタイプだから。俺らはもう、“一緒に頑張ろう”みたいな年齢じゃないですからね(笑)」
その話を安井に向けた。
「本当にそう。やるしかないんですよね。思い描いたとおりのキャリアを歩んでいるわけじゃないけど、まだどうにでもできるし、自分の中のエネルギーが小さくなる感覚もまったくないので。チームとしても、個人としても、まずはJ1に上がります。それからJ1で個人のタイトルを獲りたい」
それからこう続けた。
「ケガをしてめっちゃ大切なことに気づけたので、今はもう、楽しみな感情のほうが圧倒的に大きいですよ」
田口泰士、エドゥアルド、品田愛斗、小林祐介、風間宏矢、横山暁之が名を連ねる千葉の心臓部は激戦区だ。彼らが積み上げてきた小林慶行のサッカーを進化させるために、悲願のJ1昇格を成し遂げるために、チームは、“適応”によってスケールアップした安井拓也の力を必要としている。
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