【台湾プロ野球だより】プレミア12優勝の影響は社会現象に。台湾野球は新たなステージへ
野球の主要大会で初めて世界一に輝いた台湾代表。チーム一丸となり、低かった下馬評を覆し、台湾の名を世界に知らしめた代表メンバーの奮闘ぶりに、台湾のファンは感動、大フィーバーとなっている 【画像提供:CPBL】
11月25日、F-16戦闘機がエスコートするなか、帰国した代表選手たちは、翌26日、祝賀パレードに参加。平日にも関わらず沿道には5万人を超える市民がかけつけた。パレード終了後、総統府で行われた祝賀セレモニーには、大の野球ファンである頼清徳・総統、蕭美琴・副総統が共に出席し、「台湾の名を、国際社会へ知らしめてくれた」と激賞したほか、裏方のスタッフを含め「TEAM TAIWAN」全員の奮闘をねぎらった。
その後も、各選手の所属球団の本拠地や故郷では、球団や自治体主催のパレードやイベントが行われ、普段はスポーツニュースを扱わないメディアでも連日報道された。なかでも、決勝で優勝を大きくたぐり寄せる3ランホームランを放つなど、全選手トップの打率.625(24打数15安打)をマークし、攻守に渡る活躍で大会MVPを受賞したキャプテンの陳傑憲選手(統一セブンイレブン・ライオンズ)は時の人となっている。
政府からの報奨金台湾元700万元(日本円約3260万円)、優勝賞金の分配金のほか、BFA(アジア野球連盟)理事長、WBSC(世界野球ソフトボール連盟)副会長を兼任する中信兄弟のオーナー、辜仲諒氏からのボーナス、さらに地方自治体や所属球団からの賞金も加えると、各選手が手にした賞金は1000万元(約4660万円)を超えそうだ。台湾プロ野球では、おおむね月収50万元(約230万円)以上が一流選手の目安とされるなか、年収を超える臨時ボーナスを受け取ることとなったわけである。
祝賀パレードでも流れたチャンステーマ『台灣尚勇』は子どもたちにもおなじみの一曲となり、アメリカ戦で活躍した潘傑楷選手(統一)が「台湾出身であることを世界に示したい」と、記者会見で着用した、胸に「TAIWAN」と書かれた黒のパーカーは注文が殺到し受注生産となった。さらに、CPBL(台湾プロ野球)が発行する月刊誌『職業棒球』12月号(12月5日発売)は、ポスター付きのプレミア12特集という事もあり、すでに三刷、15万部を突破。台湾で開催中のアジアウインターリーグでは12月7日、過去最多となる4,388人の観客数を記録した。
今回のプレミア12をきっかけに、台湾プロ野球に関心を持った方もいるだろう。今大会の代表メンバー28人のうち、実に26人は台湾プロ野球所属の選手だ。より身近に感じてもらうために、今回は「台湾目線の大会レビュー」をお届けしよう。
決勝で優勝を大きくたぐり寄せる3ランホームラン、全選手トップの打率.625、攻守に渡る活躍で大会MVPを受賞したキャプテンの陳傑憲選手(統一)は国民的スターに 【画像提供:CPBL】
下馬評低かったチームを陳傑憲が率い大躍進 首脳陣の選手起用、アナリストの功績も大
10月7日の代表発表記者会見で、曽豪駒監督(楽天モンキーズ)は選出の基準として「出場意志」、「コンディション」、「データ」の3点を挙げたが、ファンからはCPBL勢主体の投手陣への不安、野手のパワー不足を懸念する見方や、ポジションの偏りなど選手選出への疑問の声もあがり、悲観ムードが漂った。そして、こうした声は首脳陣や選手たちにも伝わることとなった。
筆者も当初は苦戦を予想していた。印象が変わったのは、直前まで台湾シリーズを戦っていたキャプテンの陳傑憲選手らが合流した10月末の二次合宿スタート後だ。陳傑憲選手は「ナショナルチームのユニフォームを着て、台湾を代表し戦える事を誇らしく思う。東京を目指し、全員が100%の力を発揮する」と力強く宣言。非常にムードが良く、モチベーションも高い選手たちを目の当たりにした筆者は「大声援の台北ドームという地の利を生かし、勢いに乗れば、ひょっとするかもしれない」と期待を抱くようになった。
大会を通じ、鍵となった試合を1試合あげるとすれば、やはり、エース格の林昱珉選手(ダイヤモンド・バックス2A)を先発に立て、必勝体制で臨んだオープニングラウンドの初戦、11月13日の韓国戦であろう。
キャプテンの陳傑憲選手は今季、リーグ2位の.334という高打率を残したものの、実はシーズン後半から不振に陥り、壮行試合も調子は上がらず、スタメン落ちの危機に瀕していた。しかし、曽監督は試合前日、陳傑憲選手に3番で先発起用する事を伝えていた。意気に感じた陳傑憲選手は、陳晨威選手(楽天モンキーズ)の満塁ホームランで4対0とリードして迎えた2回裏、2死一塁、韓国先発コ・ヨンピョ投手の真ん中高めに入った133キロの直球を叩き、ライトスタンドへ運んだ。
この2ランホームランも含め、この日、陳傑憲選手は3打数2安打、四球も一つ選んで完全に復調。重要な初戦を6対3でモノにし勢いに乗った台湾は、翌14日のドミニカ共和国戦も、サイドハンド黄子鵬投手(楽天モンキーズ)が6回ノーヒットの好投をみせ、2対1で勝利。最高の滑り出しを切ったのだった。
その後、日本には敗れたものの、勝負のオーストラリア戦は、元埼玉西武の郭俊麟投手(統一)の粘りの投球もあり、大勝してスーパーラウンド進出。結局、オープニングラウンド全5試合を4勝1敗、毎試合3失点以内に抑え、防御率1.80は全12チームトップ。ホームラン6本はグループBでオーストラリアと並びトップタイと、投打共に、完全に下馬評を覆す圧巻のパフォーマンスをみせた。内外野の堅い守備でも投手陣をもり立てた。
ファンは選手たちへの称賛はもちろん、曽監督を始めコーチ陣の選手起用や采配も高く評価した。特に、試合を支配できる強力な先発投手が限られているなか、ブルペン陣の状態を的確に把握し、各投手に最高のパフォーマンスを発揮させ、小刻みな継投を成功させた林岳平投手コーチ(統一)と王建民ブルペンコーチ(中信兄弟)のコンビは絶賛された。
また、今季は主にダイヤモンドバックス傘下2Aでプレーした捕手の林家正選手(FA)も脚光を浴びた。林選手は高校1年の途中でアメリカに留学、現地の高校、大学を経て、台湾人選手として初めてドラフトを経てメジャーリーグ球団に入団した選手だ。代表合宿で初めてバッテリーを組む投手も多数いたなか、十分にコミュニケーションをとったうえで、その日、最も良い球種を軸に勝負する強気なリードで、投手陣をけん引した。
そして、昨年のWBCから本格的に始動したCPBL主導によるデータアナリストと、選手出身のスコアラー部隊による20名以上の分析チームの功績も大きかった。捕手の林家正選手をはじめ、各選手も、提供された分析データが正確だったと、感謝を口にした。
大会前、辛辣だったファンは、勝ち進むごとに「手のひら返し」で熱狂。「謝罪文ジェネレーター」まで生まれ、SNSでは選手やコーチ陣に向けて謝罪する投稿が流行した。
スーパーラウンド進出を受け、急きょ、東京ドームを目指すファンも続出。その数は数千人にのぼったとみられ、東京行きの直行便はほぼ完売。日本の他の空港を経由したり、さらには香港を経由したファンもいた。国会議員でもあるCPBLの蔡其昌・コミッショナーは、航空券が購入できないというファンの声を受け、航空会社に運航機材の大型化を要請、座席確保に奔走した。
迎えたスーパーラウンド、初戦のベネズエラ戦は惜敗したが、決勝進出のためには負けられないアメリカ戦は、オープニングラウンド同様、中盤までの競り合いを投手陣の粘りでしのぐと、7回のビッグイニングで突き放し8対2で勝利。年齢制限のない大会では2003年の野球ワールドカップ以来21年ぶり、そして五輪、WBC、プレミア12の主要三大大会では初めてアメリカから白星をあげた。
決勝前日、11月23日の午後の試合で、アメリカがベネズエラに6対5で勝利、夜の試合を待たずTQB(得失点率差)で、日本と台湾の決勝進出が決定した。「消化試合」となった夜の直接対決は初回に4失点を喫し終始劣勢に立たされたものの、打撃陣は食らいつき、大崩れしない戦いぶりに、これまでとは違う手応えを感じさせた。
そして、決勝は、「スライド」先発の林昱珉投手が4回1安打無失点と試合をつくると、5回表、読売ジャイアンツのエース・戸郷翔征投手から、林家正選手がソロ、陳傑憲選手が3ランと、いずれも、狙い球の直球を叩いて一挙4点を挙げた。
5回からは、約1年前、肩の怪我の影響もあり埼玉西武を戦力外となり、日本に家族を残し台湾へ渡り、無給の練習生期間を経て富邦入りした張奕投手が、3回を投げ2安打3奪三振無失点。「実力を証明したかった」という言葉通りの熱投を見せると、8回は今季、帰国後最高のパフォーマンスをみせた代表最年長・陳冠宇投手(楽天モンキーズ)が気合の入った投球で3者凡退。いずれも日本で長年プレーし、思い入れも深い2人が、4イニングを無失点に抑え、勝利を大きく手繰り寄せた。
9回裏に登板した林凱威投手(味全ドラゴンズ)は、高校時代の2014年、U18アジア選手権(タイ)の日本戦で先発、好投しながらサヨナラ負けを喫した経験をもつ。1死一塁の場面で巡ってきたのは同大会でも対戦した栗原陵矢選手(福岡ソフトバンク)だった。栗原選手が引っ張った打球は一塁線への強烈なライナーだったが、ファーストの朱育賢選手(楽天モンキーズ)のミットへ。朱選手はすぐにベースを踏みダブルプレーとなり、この瞬間、台湾代表の世界一が決まった。
前回2019年大会では先発投手としてベストナインに輝いた張奕投手(富邦)、今大会は中継ぎとして5試合登板、計8回を4安打、9奪三振、無失点の完璧な内容で、3勝をあげ、優勝に大きく貢献した 【画像提供:CPBL】
プレミア12優勝と日本戦初勝利の台湾野球にとっての意義とは
五輪、WBC、プレミア12の主要三大大会において、台湾代表が決勝に進出したのは、銀メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪以来、実に32年ぶりだ。ただ、この時代はプロ選手は参加していなかった。また、国際大会において、オールプロかつトップチーム同士の日本代表との対戦は、2003年以来、今大会の2試合を含め9連敗を喫しており、実に今回の決勝が初勝利であった。
昨年10月、侍ジャパン・井端弘和新監督誕生のニュースの際、台湾メディアは井端監督を「2013年、台湾全土のファンの心を打ち砕いた人物」と紹介した。その試合とは他でもない、2013年3月8日、東京ドームで行われたWBC2次ラウンドにおける球史に残る名勝負だ。
今大会ではブルペンコーチを務めた王建民氏の6回無失点の好投で試合を優位に進めると、8回表に一度2対2の同点に追いつかれながら、その裏、再度勝ち越した。9回表は2死一塁、勝利まであと一人としたものの、鳥谷敬氏に二盗を決められる。あとワンストライクと追い込みながら、井端弘和氏にセンター前への同点タイムリーを許し、結局、延長10回の末、3対4で敗れ、金星を逃した。
この20年あまり、2004年のアテネ五輪など、リードを奪ったり、競った試合はほかにもあったが日本戦の勝利は遠かった。ただ、今大会の台湾代表は、侍ジャパン相手にも怯まず、何よりも「勝ち」に来ていた。
決勝前日、日本と台湾の決勝進出が決定したことを受け、台湾は「消化試合」となった夜の試合の先発を変更し、今大会のエース、林昱珉投手を24日の決勝に「スライド」で起用。林投手は4回無失点の好投で、5回のビッグイニングを呼び込んだ。WBSC側に罰金を払ってでもエースを「温存」した起用法は非難も浴びたが、曽監督は23日の試合後、なお食い下がるメディアに対し、日本側を混乱させた事を詫びたうえで、「決勝で侍ジャパンと素晴らしい戦いを繰り広げたい。そうした思いから決断した」と説明した。
なお、CPBLの蔡其昌・コミッショナーは大会後、ダイヤモンド・バックス側と林投手の球数上限引き上げの交渉をしたものの、最終的に75球と通達されたこと、連投も禁じられていたことを明らかにした。
決勝の試合後、台湾メディアは陳傑憲選手に向け、昨年のWBCの決勝前、スター軍団のアメリカ代表について「憧れるのをやめましょう」と呼びかけた大谷翔平(現ロサンゼルス・ドジャース)のように、決勝の試合前、何かナインに呼びかけたのかと尋ねた。陳傑憲選手はこれを否定したが、日本戦のみならず、世界の強豪国と十分に渡り合っての優勝について、「今後、台湾の選手はより自信をもって、国際大会で世界の強豪国と戦っていけると思う」と、その意義の大きさを語った。
また、代表28人中26人が台湾プロ野球所属の選手で、優勝を成し遂げたことにも大きな価値がある。過去、台湾プロ野球は、幾度も八百長など不祥事があり、観客が激減、複数の球団が解散や身売りに追い込まれ、リーグ存続の危機に直面したこともある。
2013年、前述したWBCをきっかけに野球人気が復活、1試合平均の観客動員数は2,433人から約2.5倍に増え6,079人と、1992年以来、2度目となる6,000人台を達成。以降、各球団の経営努力に加え、電子音楽導入やチアリーダー増員など、応援を中心としたエンターテイメント路線も功を奏し、5,000人台をキープした。
パンデミックを経て、昨年は2013年以来、史上3度目となる6,000人台をマークすると、今季は台鋼ホークスが参入し、2008年以来16年ぶりとなる一軍6球団制が復活、さらにファン待望の室内球場、台北ドームの運用もスタートし、年間観客動員数は276万6,386人、1試合平均は7,684人と、いずれも35年目で史上最多を記録した。そして、台湾プロ野球にとって最高のシーズンを、プレミア12優勝という、これ以上ない形で締めることとなった。今から来季の盛り上がりが楽しみだ。
ただ、来季の開幕前、台湾代表にはまだ大きな戦いが待っている。WBC予選だ。昨年2023年のWBC、1次ラウンドのA組で台湾代表は、他の4チームと共に2勝2敗で並んだものの、初戦パナマ戦の大量失点が響き、失点率で最下位となり、予選に回ることとなった。
コーチ陣はプレミア12とほぼ同じ顔ぶれだが、代表選手の顔ぶれは一新される。11日にCPBLから発表されたリリースによると、ラージリスト35人のうち「海外組」が12、13人を占め、プレミア12の代表選手は陳傑憲選手のみとなった。CPBL組では、プレミア12をコンディション不良で回避した主力選手の出場が期待される。
台北ドームで開催される予選A組に入った台湾は、来年2月21日から25日にかけ、ニカラグア、スペイン、南アフリカと2枠をかけ戦う。無事に予選を突破し、2026年の本戦では再び、日本と熱い戦いを繰り広げてもらいたいものだ。
※情報は12月14日時点のもの
文:駒田 英
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