1. FCケルン | 槙野智章という男
【@1FCKoeln】
Jリーグのトップクラブで活躍したキャリア
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団し、ユースチームへの昇格を経て、2006年にトップチームに昇格を果たした槙野。2006年から2010年の間、槙野はJ2降格とJ1昇格を経験した。
さらに1年間のローン移籍を経て、2012年から2021年までを浦和レッズで過ごした。浦和ではACL優勝、2度の天皇杯優勝、個人でもJ1ベストイレブンや優秀選手賞を獲得している。
約9年間過ごした浦和を去り、選んだ舞台がヴィッセル神戸だった。神戸ではアンドレス・イニエスタと共演し、持ち前のポジティブなキャラクターで多くのファンに愛された。
また、日本代表でもユース世代からA代表まで約14年間経験し、アジア杯やロシアW杯も経験してチームを支えた。
【@1FCKoeln】
ケルンで過ごした日々
3年前にケルンが、当時浦和に所属していた槙野に行ったインタビューでは、ケルンでの時間をこう語っている。
「ケルンで苦労したのは残留争いの中での移籍だったんだけど、自分の力を100パーセントチームに落としこめなかったこと。結局8試合しか試合には出られなかった。それでも、自分にとっては充実した時間だったと思う。全く後悔はないしケルンに、行ったことを失敗だとは思っていない。もしあのまま残っていたらもっと活躍できたかもしれないって思うけど、どれも正解ではないし不正解でもないと思ってるし、ケルンで過ごした1年間は自分にとってすごく財産になった。」
当時、ブンデスリーガ1部でプレーしていたケルンだったが、槙野がチームに来た時期は残留争いの真っ只中だった。デビュー戦は2011年1月29日のFCザンクトパウリ戦。フル出場を果たした槙野だったが、試合は勝てず。その後はなかなか出場機会に恵まれなかった槙野だが、地元ケルンサポーターとの交流やケルンの文化に触れられる機会には多く参加していた。浦和時代の槙野はこんなことも語っている。
「自分で言うのもなんだけど、オレ1年で相当爪あと残したと思うよ(笑)。何が一番よかったって、その時ケルンの象徴とも言えるポドルスキと仲良くできたから、ファンからもすぐに受け入れられた。ケルンに着いたらすぐにポドルスキと一緒にホームページのトップ画面になったしね。カーニヴァルではドイツ語わからないのにステージでマイクでしゃべらされた。その時にかなり笑いを取れた(笑)。あのときにファンは俺を受け入れてくれたと思うよ。ファンのイベントは誰よりもちゃんとやった(笑)。」
槙野とポドルスキの友情は唯一無二だ。10月にケルンのラインエネルギーシュタディオンで行われたポドルスキの引退試合、そして先日行われた槙野の引退試合にはお互いが参加し合い、2人の仲の良さがSNS上でも話題となった。ケルンで共にプレーしたのは一年のみだったが、ポドルスキが神戸でプレーしていた時期、槙野は浦和でプレーしていたため、ライバル同士として対戦することもあった。
チームメイトのみならず、所属チームのファンにも、どこに行っても愛される男、それが槙野という男だ。
【@1FCKoeln】
現役引退後も人々に愛される槙野智章
ポドルスキの引退試合に参加するためにケルンに再来した際にも、ケルンが各SNSに「おかえり、マッキー!」というメッセージを添えて動画を上げた。そこには日本サポーターだけでなく現地のサポーターからも歓迎のコメントが多く寄せられた。
また、槙野の引退試合の動画をケルンの各SNSに上げた際にも「ありがとう、槙野」など多くの労いの言葉が寄せられ、槙野の影響力は未だ健在だ。
奥寺康彦に続き、ケルンにやってきた「お祭り男」槙野智章という男。その存在は、ただケルンでプレーした日本人選手にとどまらず、いつまでも愛されるだろう。槙野の今後の活躍をケルンは全力で応援していきたい。
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