【日本オープンゴルフ選手権・第1R】池村寛世がノーボギーの63でラウンド!

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自画自賛の内容で単独首位発進

【報告:M.Ideshima 写真:Y.Watanabe / S.Osawa】

「今日は200点です」の言葉が、池村寛世の満足度の高さを物語っている。
7バーディ・ノーボギーの63は池村自身の国内ツアー最少ストロークタイ。日本オープンに限って言えば、これまでの65を2打更新しての自己新だ。本人曰くそこの意識はなかったと振り返るが、それもそのはずでこの日の目標スコアはそもそもイーブンパーを想定していた。

「どこかでボギーは来るだろうなと思いながらやっていました」と池村。
今回の東京ゴルフ倶楽部は、日本オープン史上屈指のラフの深さを誇っており、そんな状況下では、飛ばし屋に限ったことではないが、多くの選手がティーショットでレイアップを選択したり、ドライバーを抜いたり、ラフに入れないための対策を強いられている。池村もツアーでは指折りの飛ばし屋だが、池村の場合は飛ばすことを選択した。

「ドライバーは10回くらい使いました。今週はドライバーの調子が良いというのもありますが、刻んでラフに入れるなら、飛ばしてラフに入れたほうがいいかなと」
狭く絞られたフェアウェイに深いラフ。「入らないほうがおかしい」という開き直りが、池村に逆に気持ちよくクラブを振らせた。また、火曜日にあまりのラフの深さに練習ラウンドを切り上げたのも、思考を切り替える大きなきっかけになった。

「火曜の練習ラウンドは3ホールでやめたんです。練習ラウンドは水曜にアウトコースを歩いてチェックして、インコースをプレーしただけ。だからアウトは4番ホール以降、練習ラウンドはしていないんです」
ラフに入れて飛距離も出ず、プレーしていても楽しくない。それなら練習場で球を打ったほうがマシだと、完全に気持ちが折れる前に練習ラウンドを切り上げた英断が、この日のスコアを呼び込んだ。
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(公財)日本ゴルフ協会(JGA:JAPAN GOLF ASSOCIATION)は1924(大正13)年10月、神戸・根岸・東京・鳴尾・舞子・程ヶ谷・甲南の全国7クラブの代表により、創設された我が国のゴルフ界を代表する団体です。ゴルフ精神の正しい順守、ナショナルハンディキャップ制度の実施、公式競技の開催、ゴルフ・ルールとエチケットマナーの正しい普及などに努め、ゴルフの健全な発展と普及を図り社会に貢献して参ります。

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