【日本プロシニア円谷HDウルトラマン杯】プロ後初の所属先にもなった“思い入れ”の地 51歳の増田伸洋が日本タイトル獲得「この歳になって…」

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【©PGA】

ーーー 最終ラウンド ーーー

シニアツアー2年目の51歳の増田伸洋が、今年のシニアプロナンバーワンに輝いた。1998年にプロ転向し、レギュラーツアー1勝だったが、51歳にして初の日本タイトル獲得となった。初日から首位をキープして最終日を迎え、8バーディ・2ボギーの「66」をマーク。4日間のなかで一番だれにもトップの座を譲らずに、2位に3打差をつけての逃切り優勝となった。

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「今週はキャディのグリーンの読みと、パターに尽きる1週間でした」と大会開催前に新調したパターと、女子選手の真似をしたクロスハンド、そして相棒の読みが噛み合い好スコアにつながった。さらに、「(ゴルフ場の)メンバーさんも『頑張れ、頑張れ』って応援に来てくれたので、そういう後押しも多少あったのかな」と応援が力に変わった。

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舞台となったイーグルポイントゴルフクラブ(茨城県)は、増田がプロになってから「初めてゴルフ場の所属」を結んだゴルフ場だった。「シニアオープンが川間コースということになって、今回プロシニアがイーグルポイントで、どちらも僕にとってはすごく思い入れがあるコース」と前戦の「日本シニアオープン」は千葉県の千葉カントリークラブ川間コースと「全然わからないとこからゴルフを始めたところ」と“思い入れ”がつまった場所。シニアオープンでは、上位で進んだ最終日にスコアを崩してしまい、今週こそは「リベンジ」を遂げたい大会だった。

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「どちらかでは、勝ちたいというのがすごく自分のなかではあった。前回は後半にバタバタ、だったんですけどね。今週、ここで勝てたのはすごくうれしいです」と胸いっぱいの想いに笑顔を見せる。この2試合は増田のなかで「勝ちたい」という気持ちが強く、「シニアオープンのときのほうがすごく強かった」と気負いが焦りに変わり、思うようなプレーができなかった。「今回、平常心にやれたのは、あの経験があったから」と悔しい経験を糧に、前戦の最終日「75」から、今回の「66」とひと花咲かせた。

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1998年にプロ転向し、レギュラーツアーは2006年の「マンダムルシードよみうりオープン」の1勝となかなか勝利を重ねることができなかった。昨年シニアツアーにデビューし「すまいーだカップ」でシニア1勝目を果たしたが、ゴルフ人生において“日本タイトル”獲得を経験したことがなかった。「レギュラー時代には完全に無縁だったのにね。この歳になって日本タイトルが獲れたという。それが一番、本当にうれしいですね」。表彰式では「自分がまさかね」と言っていたが、手が届かないと思っていた栄冠を掴めたことに“うれしい”言葉が尽きる。

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表彰式では大きな優勝カップを手に、ウルトラマンの赤いブラザーズマントを羽織った。「飛んで行っちゃうかなと思ったよ、M78 に(笑)」と報道陣を笑いに包む。今週の会場は大会名の副題にもなっている“ウルトラマン”で溢れた。選手たちはウルトラマン世代ということもあり、懐かしさを感じながら楽しんでいる姿があった。増田もそのなかのひとりで、3日目のスタートホールはウルトラマンのお面を被って登場。「子どものころに戻ったし、 ワクワクしながらゴルフ場に来て、ワクワクしながら楽しい1週間だったね」と充実した4日間になったようだ。

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そして、うれしいことに息子・康輔さんに初めて自身の優勝した姿を見せることができた。康輔さんは、きのうまでレギュラーツアーの「ACNオープン」に出場し、この日は自分の仕事を終わらせてすぐさま会場へ足を運び、表彰式に姿を現した。康輔さん、奥様が増田を挟み満面の笑みで撮影された一枚は、増田家の“宝物”のひとつになったに違いない。

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著者プロフィール

PGAはゴルフの正しい普及と発展を願い、誰にでも愛される「国民のスポーツ」「生涯スポーツ」となるため、日本ゴルフ界のリーダーとして活動しています。PGAの使命は、トーナメントプレーヤーの育成、ゴルフ大会の開催・運営に加え、ゴルフの正しい普及と発展を具現化するために、ティーチングプロ資格を付与したゴルフ指導者を育成しています。さらにPGAでは幅広い分野で積極的な取り組みを行い、地域に密着した社会貢献活動、ジュニアゴルファーの育成など多方面にわたる取り組みを日々歩み続けています。

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