コラム【武士が斬る!】vol.12「山本尚貴 涙の理由」- 怪我から復帰までの軌跡 -
3月に開催された開幕戦からすでに2ヶ月。次のレースが早く見たくてウズウズしている頃だと思います。やっと来週、オートポリスで第2戦が行われますね!私も待ちくたびれていますが、この間は鈴鹿でF1、お台場でFormula e、岡山と富士でスーパーGTが開催されて、レースはたくさん見れたのですが、やっぱりSUPER FORMULAのレースを見たいですよね。きっとまたいいレースが繰り広げられると思うので楽しみです!!
そして今回は、開幕戦後のコラムでまだお話ししていなかった“山本尚貴選手”のことを取り上げていきたいと思います。
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入院直後は思ったよりも深刻で、その時はもしかしたらサーキットに戻れないかもしれないという状況でした。そのことを知らされた山本選手は本当に辛かったと思います。「まさか自分がクラッシュで走れなくなるなんて想像していなかった」と山本選手は言っていました。“走れないかもしれない”ということを聞いたときは、その現実をどうやって受け止めようか、受け止めていいのかを必死に理解しようとしていたように見えました。努めて冷静にしているように見えましたが、心の中は拒絶反応をしていたと思います。
“レースができなくなる”、そんなことを受け止められるわけがありません。レーシングドライバーにとって、“走れない”というのは“死”とも言えます。そう簡単に「ああ、そうですか」と言えるわけがないでしょう。ただ、このような危険な思いをすると家族のためにはどうすることが正解なのか——、ということも頭によぎります。自分の人生をかけてここまでレースにすべてを注いできた。でも大きな怪我をして家族に心配をかけてしまってレースを続けてもいいのか——。
事故から手術までの間、山本選手はいろんなことを悩んだと思いますし、いろんな選択をしなければならなかったと思います。手術をしたとて、完全に復帰できる保証はなかったですし、入院直後の状況は、レースを続けられるのか、続けられないのかは経過を見てみなければわからない、、、そんな苦しい状況だったんです。
しかし山本選手は決断しました。レースを続ける、ドライバーを続けるために考えうる最良の治療をするという選択をしました。「またサーキットに戻りたい。またレースがしたい」と山本選手は強い気持ちをもって復帰するために手術することを選択したのです。
手術は無事に成功し、幸い経過も良好。リハビリも早い時期から開始して、できるだけ早くレーシングカーに乗ることにフォーカスしていましたね。「12月のSFのルーキーテストは走れないかな?」ということを聞いたときは耳を疑いましたが(笑)、手術後の山本選手は、はっきりと自分がレースに復帰すること、これまでと同じようにトップを走るためにサーキットに戻ることをイメージしているように感じました。
レーシングドライバーは、どれだけ成績を出していてもずっとシートが保証されているものではありません。SUPER FORMULAとスーパーGTのダブルチャンピオンを2回獲得している山本選手ですら、2024年のSUPER FORMULAのシートが今年もあったというのは、本人も驚いている状況でした。というのも、ここ数年の山本選手の成績は振るわず、翌年にシートがない可能性もある中で欠場を強いられてしまったので、今年も乗れるのかどうかに不安があったことと想像します。でも中嶋悟さんは山本選手にもう一度チャンスを与えました。世界のトップを知る中嶋さんだからこそ、山本選手ならきっと復調してくると、そう信じていたのではないでしょうか。昔はクラッシュによる怪我で何ヶ月も入院して、そして復帰するという事例は珍しくありませんでした。選手の気持ち、背負っているプレッシャー、その苦労や大変さを知る中嶋さんは、山本選手がここまで来るのにどんな努力をしてきたのかを知っているからこそ、シートを用意して待っていたのだと想像します。同じく、育成時代からずっと歩みを共にしてきたホンダとHRCの方々も同じ気持ちだったに違いありません。
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そして2月に鈴鹿で行われたSUPER FORMULAの合同テストでは、どんなコンディションでも精力的に走る姿が印象的でした。特にWETコンディションからドライアップしていったセッション3では2番手タイムを記録します。「ちょっと張り切りすぎてない??」と声を掛けましたが、「もう、我慢できなくて(笑)」と山本選手もタイムが出たことにホッとした様子でした。でも、「痛みはまだあるのでどこまで開幕までに戻ってくれるか…」と不安な面ものぞかせます。2月のこのテストの時点ではまだ決勝のゴールがイメージできない、、、そんな不安な表情もありましたが、SUPER FORMULAの強烈なGの中でも走行できることが確認でき、“速く走るためのセンサー”が鈍っていないと確認できたことが何よりのことだと思いました。
そして開幕戦のレースウィークです。テストから2週間後の搬入日に見せた表情の中に、強い意志を感じました。「最後の最後まで戦ってやる」そんな戦う男の表情でした。テストの時はまだ筋力も戻っておらず痛みもある中で、「本当に走り切れるのだろうか…」という不安があったと思いますが、このインターバルの間でしっかりトレーニングで追い込み、最低限走り切れる準備をしてきたのでしょう。「やることはやった。あとは気持ちで走り切るだけだ!」そんな決意をもってこの鈴鹿に入ったのではないでしょうか。とにかく、何かを期待させるオーラをまとっていました。
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もう身体は戻らないんじゃないか、もう速く走れないんじゃないか、シートがなくなるんじゃないか、レースに戻れないんじゃないか——、どん底の真っ暗闇の中でもがき苦しみ、そんな不安な数ヶ月を病室でひとり過ごしながら、でも、またレースがしたい、速く走りたい、まだまだ自分はやれるんだというところを、お世話になった皆さんや応援してくれるファンの皆さんに走りでお返しがしたい、このままでは終われないんだ!、という強い気持ちで山本選手はこの開幕戦までがむしゃらに頑張ってきたに違いありません。
決勝後、首の痛みはかなりのものだったと思います。でも人間っていうのは、人の気持ちの強さっていうのは、ときに計り知れないパワーを生み出すことがあります。このレースの山本選手はまさにスーパーマンでした。
一度痛みを知ってしまった身体が、アクセルを踏み込むのを躊躇させることもある。クラッシュの状況を記憶してしまった脳が、どこかでブレーキをかけてしまうのではないか——、そんな不安を払拭させてくれる走りをSUPER FORMULA開幕戦では見せてくれました。スーパーGTの開幕戦でも3位表彰台を獲得したことで、イヤな記憶がある中でもまた強い走りができることを証明しました。首の痛みも時間の経過とともに和らいでいると聞いています。たくさんの障壁を越えたからこそ、また深みのある、新しい山本選手が誕生したのではないでしょうか。
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レースができる喜びを改めて感じ、当たり前なことが当たり前じゃなくなることを知った山本選手が、今後どのようなレースを見せてくれるのか楽しみですね(^^)
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written by 土屋 武士
日本のトップカテゴリーで活躍したレーシイングドライバーとして活躍。プライベートチーム「つちやエンジニアリング」のチームオーナーでもある。現役を引退した現在は、ドライバー・エンジニア・メカニックの育成に務め、モータースポーツ界に大いに貢献し多方面で活躍している。
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