1軍用具担当の松本正志 46年在籍の球団に別れ 「幸せな人生」
【オリックス・バファローズ】
写真:ピッチングマシンを点検する松本用具担当 【オリックス・バファローズ】
◆正志さん節
数多くの球団スタッフが聞かされているという自慢話。スマホを取り出して愛くるしい赤ちゃんの写真を見せ「これ見て?な、可愛い?そうか、やっぱり可愛いか。…うちの孫や」。続いてスマホの画面を何度かスライドした後、きらめく神戸の夜景を披露。「これ、うちのマンションから見える景色。きれい?」
これに限らず自慢話は松本のお家芸。これまでもアルバイトやスタッフに「俺、夏の甲子園で一回も負けたことない」と朗々と輝かしい武勇伝を語ってきた。自分が取り上げられている新聞記事を人目につく場所に置いておき「見たか」と周囲にアピールする。
だが最近、奥様にたしなめられたそうだ。大谷翔平選手が「自慢は恥」を信条としてることを知り「お願い。いい加減自慢やめて」と。自他ともに認める愛妻家である松本。「もう今は謙虚にいかなあかんと思てる」。それでも自慢話をやめられないところが、松本らしい。
写真:ネットを運び、笑顔を見せる松本用具担当 【オリックス・バファローズ】
◆キャンプを回す
用具担当として最も思い入れのある仕事がキャンプだったという。「昔はものすごい大変やった。キャンプが無事に終わったら1年が終わったと思うぐらい気を張ってた」と振り返る。
89年から92年にかけて沖縄県糸満市でキャンプが実施された時には、グラウンドキーパーはいなかった。松本たちが土を運びブルドーザーでグラウンドをならし、マウンドをプロ仕様に整えた。選手のロッカールーム用テントを建て、椅子とテーブルを借りに公民館までトラックを走らせた。「ほとんど手作りやった」という。
必死に作ったテントが風で飛んでいくこともあった。雨が降ればずぶ濡れでグラウンドにシートをかぶせた。それでも「自分がキャンプを回している自負があった」。体調不良に襲われても体温をあえて計らず「熱あったら負けや」と、ド根性でやりきったという。「今ならあかんよね。その時、蕁麻疹出てもうたし」と笑い飛ばす。
写真:グラウンドで笑顔を見せる松本用具担当 【オリックス・バファローズ】
◆仰木監督とのエピソード
「練習できないのか」という仰木監督の言葉に「このスタッフの人数では無理です」と返すと「俺がやる」。仰木監督自らシートを持ち上げ始めた。すると近くにいたスタッフはもちろん、球団社長、コーチ陣、新聞記者、カメラマンまでもが続々と加わった。最後は80人近くが集まり、シートを一斉に持ち上げて移動させた。無事練習ができ「マツ(松本用具担当)、できるやんか」と仰木監督。「監督だからできたんですよ」と笑顔で返した。
「普通は軍手をつけてやる作業やけど、みんな素手で手伝ってくれた。汚れ仕事が多くて大変な用具担当の仕事も少しだけわかってもらえる良い機会だったかも」といたずらっぽく笑う。
写真:甲子園のマウンドに立つ松本用具担当 【オリックス・バファローズ】
◆マウンドで思い出作り
「入団した年に優勝して、優勝した年に退職する。しかも最後は自分が育てられた甲子園で日本シリーズまでできた。本当に自分は(運を)もってる人間。幸せな人生やと思うよ」。しみじみと振り返る。
せわしない毎日を送っていただけに、退職後にはやりたいことがたくさんある。楽しみとして最初に口にしたのはオリックスの試合だった。「僕には野球しかなかい。だから野球をもっと楽しみたい。これからはテレビでじっくりオリックスの試合を観られる」と顔をほころばせた。
取材の最後にはこうささやいた。「嫁さんと二人で世界クルーズ旅行もする予定。すごいやろ?」。松本らしい自慢話で締めくくられた。第二の人生に向けて、その顔はいつも以上に輝きに満ちていた。(西田光)
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