【スポーツマンシップを考える】 なぜ、いまさらスポーツマンシップなのか(前編)

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野球への注目が高まった2023年

 2023年は野球に注目が集まる年になった。3月のWBCでは栗山英樹監督率いる侍ジャパンが14年ぶりに世界の頂点に立った。プロ野球の世界でも、阪神タイガースが38年ぶり2回目となる日本一に輝き、岡田彰布監督の「アレ(A.R.E.)」が流行語大賞の年間大賞にも選ばれた。そして年末には、2度目のアメリカンリーグMVPを受賞した大谷翔平選手が、10年1015億円という契約でロサンゼルスドジャースへ移籍することが大々的に報じられた。

 夏の甲子園では、慶應義塾高校野球部が107年ぶりの優勝を果たした。決勝の仙台育英高校戦でのスタンドの応援のあり方を巡って賛否両論が巻き起こるなど、グラウンド内外で大きな話題を呼んだことは記憶に新しい。

 その慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦氏が、チームづくりを進めるうえでひとつの核に据えていたのが「スポーツマンシップ」だった。彼は著書『Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』の中で、こう述べている。

 高校野球において、選手のみならず指導者も含めて、一番の土台に据えなければならないのが、“スポーツマンシップ”です。
 (中略)
 こうした真のスポーツマンシップを自分のものにしていくことが、高校の部活動の一つの目標であり、選手をそういう人間に育てていくことが指導者の使命だと考えています。
 私であれば、高校野球というツールを使いながら、そういう心を持った人間を育てて世の中に送り出していく。土台はそのスポーツマンシップを育てることであり、その上に野球の技術や戦術、戦略などが乗ってくるというイメージです。
 もちろん、野球の技術や戦術、体力などに優れていれば選手としては素晴らしいですし、戦力としても大きなプラスになりますが、土台となる心にスポーツマンシップが身に付いているかどうかがすごく大事です。そして、そういう選手を育てることが、私に課せられた使命の一つです。

 森林監督と私は中学3年間のクラスメイトでもある。彼にこのスポーツマンシップを伝えて以来、この概念を野球部の核に据えてチームづくりを進めてきた。JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部は「人間力なくして競技力向上なし」と掲げているが、スポーツマンシップについて考えることは、スポーツの本質的価値と向き合うことであり、プレーヤーの人間力向上へと導く鍵となる。すべてのコーチが意識してほしい概念であるといえよう。

説明できないスポーツマンシップ

 現在私は、日本スポーツマンシップ協会の代表であると同時に、2023年4月に開設された立教大学スポーツウエルネス学部の教員でもある。キャンパスで向き合う大学生たちに「スポーツマンシップという言葉を聞いたことがある人?」と尋ねると、ほぼ全員が「ある」と答える。しかし、「スポーツマンシップとはなにか?」という問いかけに対しては、誰も答えることができない。おそらく、大学生に限らず、私たちの多くが困惑することだろう。

 ちなみに、「スポーツマンシップ」という言葉を耳にした場面について問うと、彼らからは「選手宣誓」という言葉が返ってくる。スポーツイベントの開会式などで宣言される「宣誓、我々はスポーツマンシップに則って正々堂々と戦うことを誓います!」という、例のフレーズである。

 ではそこで、あらためて考えてみよう。スポーツマンシップは、私たちがスポーツを愉しむ上で理解しておくべき大切な概念である、ということは多くの人が共感することだろう。一方で、説明することのできないスポーツマンシップに、果たして「則る」ことは可能だろうか。その事実から目を背け、説明できないスポーツマンシップに則ることを宣言させる大人と、宣誓させられるプレーヤーたち。それこそは、不健全といわざるを得ないのである。

スポーツとはなにか

 はじめに、「スポーツ」とは何かを考えておこう。

 スポーツは運動、身体活動である。しかし、単なる運動ではない。たとえば、高齢者が健康やリハビリのために散歩することも、赤ちゃんがハイハイすることも運動だが、それだけでは、スポーツではない。運動に、「ゲーム」の要素を加えることではじめてスポーツとなるのである。ゲームとは、「ルール」に則り「競争」する「遊び」のことである。

 スポーツをする時に、「ゲーム(Game)」を「プレー(Play)」するという。試合のことをゲームと呼び、またゲームの参加者を「プレーヤー(Player)」と呼ぶ。この「プレー(Play)」という英単語には遊ぶという意味が含まれる。

 大切なのは、ゲームや遊びは誰かに指示されて無理やりやらされるようなものではないし、いやいややるようなものではない。主体的に自ら愉しむものであり。愉しくなければスポーツとは呼べないのである。

 スポーツの語源は、ラテン語の「deportare」といわれる。これは、「何かを取り去る」という意味から転じて、「日常から離れる」「仕事から離れる」となり、「気晴らし」「休養する」「愉しむ」「遊ぶ」という意味で使われた言葉だった。それが後に16世紀のイギリスで「spor」と変化し、私たちが現在スポーツと呼んでいるようなものは19世紀のイギリスで創られることとなった。そのため、イギリスは「スポーツの母国」と呼ばれるが、語源からもわかるように、スポーツが遊びであることを忘れてはいけない。

 スポーツは遊びの一種だが、単に愉しむだけでなく、真剣でなければならない。それはゲームが勝敗をかけた競争だからである。勝利をめざして競争することがスポーツの大前提である。しかし一方で、本来、中世の貴族、紳士たちがたしなんだスポーツは、勝敗にこだわることは下品で、「ゲームにおいてどのように振る舞ったか」が一番重要とされていた。スポーツ本来の趣旨は、勝利をめざしながら、勝利という結果に至る過程を愉しむ遊びだったのである。こうしたことを理解した上で、「真剣」な「遊び」という一見相反する要素を両立させるのがスポーツの本質だ。

 スポーツとは、「いいゲーム(Good Game)をめざして自らプレーする身体活動」のことであり、「運動を通して、ルールに則り、競争を愉しむ真剣な遊び」であるということを理解しよう。

中村聡宏(なかむら・あきひろ) 一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長 立教大学スポーツウエルネス学部 准教授 1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。 【一般社団法人日本スポーツマンシップ協会】

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著者プロフィール

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