ロッテ 中村奨吾 新選手会長がチームを引っ張る。見てくれている人、応援してくれている人たちの力になれるようなプレーをみせる。
イーグルス今江監督と千葉県こども病院を訪問したマリーンズ中村奨吾選手 【千葉ロッテマリーンズ提供】
11月27日、契約更改会見に姿を現した中村奨吾内野手は悔しさを隠そうとはしなかった。23年シーズンは137試合に出場して打率・220、11本塁打、48打点。中村奨吾にとっては満足できる数字ではなかった。
「チームに迷惑をかけた。悔しいシーズンになった。5月はちょっと良かったけど、他はずっと、もがきながらやってきた。なかなか調子を上げることが出来なかった。今はこの一年の悔しさを来年に繋げたい想い」と振り返った。
満足いく結果が出なかった理由をメディアから問われると「実力、技術不足です!」とキッパリと言い放ち、少しばかり天井を見上げた。
もがいたシーズンの中でも、キャプテンとしてチームを引っ張った。負けた試合後に野手をベンチ裏のミラールームに集め、語り合ったこともあった。練習には誰よりも早く姿を現し、振り込んだ。それを一年間、休むことなく続けた。その背中を若い選手たちを見せた。
苦しい時に支えとなったのはいつも早くから練習に付き合ってくれる裏方スタッフの人たちの存在だった。「苦しんでいる時にスタッフの皆様に声をかけていただいた。その人たちのためにもという想いがあった」と感謝の気持ちを述べる。
プロ10年目の来年は二塁のポジションだけではなく三塁などにも挑戦。新たに選手会長にも就任して挑むシーズンとなる。さらにチームを引っ張る想いと責任感を胸に強い気持ちで挑む。
「10年目は区切りだけど、もう一度、再スタートの気持ち。成績を出して全試合に出るために取り組む。もう一度、鍛え直さないといけない。引き締め直す。自分の中ではまだまだ若いと思っている。つねに前向きに色々と試しながらやっていく。ポジションが変わると景色も変わる。チャレンジしていく。振り込んで、走り込んで、練習方法と練習量を増やしながら取り組む」と話す。
中村奨吾には忘れられない出来事がある。2019年9月。球場でファンであるという中学生と面会をした。彼の名前もまた「しょうご」(尚吾)だった。重い病気を患っていたが、わざわざ球場まで応援に来てくれた。マリーンズを応援すること、特に同じ名前の中村奨吾が活躍することが楽しみで元気が出ると目を輝かせながら語ってくれた。しかし、尚吾くんはその年の12月に天国に旅立った。
彼の両親から「あの子はマリーンズが勝つことで元気をもらっていました。毎日、病室で中村選手の応援歌をかけて手拍子して歌っていました」と教えてもらうと、熱い想いがこみ上げてきた。それまではちっぽけな存在だと自虐的な発想をもっていた自分を見直すキッカケとなった。
「そんな風に応援してくれている人がいる。調子が悪いとか結果が出ないとか身体が疲れているとか弱音を吐いてはいけないと思いました。自分たちのプレーを見て元気になってくれる人たちがいる。楽しみにしてくれている人たちがいる。そういう人たちのために、どんな時でも諦めてはいけない。力になるようなプレーをしないといけないと思いました」
中村奨吾は12月21日、千葉県こども病院を訪問した。元々は今江敏晃 現イーグルス監督がマリーンズ時代に慈善活動の一環として訪問をしていると伝え聞いて「一緒にいかせてもらえないか」とお願いをして昨年から一緒に訪問をしている。活動に興味を持つキッカケをくれたのもあの時の出会いがあったからだ。
「子供たちの喜んでいる顔や保護者の方の喜んでくださる姿を見て、こういう活動をやってよかったなあと思いますし、自分も力をもらいました」と語った。
若い頃はちっぽけだとしか思っていなかった自分の事を今はしっかりと見つめ、プロ野球が持つ影響力、発信力の強さを自覚するようになっている。だからこそ、シーズン中は弱音を吐かなかった。どんなに身体が悲鳴をあげてもグラウンドに出て何事もないようにプレーをすることを選択してきた。見てくれている人がいる。応援してくれている人がいる。どんなに苦しい時も、その想いが背番号「8」をいつも突き動かした。
マリーンズは21年に優勝マジック3まで行きながら141試合目で夢がついえた悔しい経験をした。そして2023年は本拠地ZOZOマリンスタジアムで行われたクライマックスシリーズファーストステージで延長十回に3点のリードを許しながらその裏に4点をとりサヨナラ勝利するという感動も経験した。優勝を逃した悔しさを忘れずにさらなる感動を見てくれている人たちに提供するために新選手会長がチームを引っ張る。来年もマリーンズの中心には背番号「8」がいる。
千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章
「チームに迷惑をかけた。悔しいシーズンになった。5月はちょっと良かったけど、他はずっと、もがきながらやってきた。なかなか調子を上げることが出来なかった。今はこの一年の悔しさを来年に繋げたい想い」と振り返った。
満足いく結果が出なかった理由をメディアから問われると「実力、技術不足です!」とキッパリと言い放ち、少しばかり天井を見上げた。
もがいたシーズンの中でも、キャプテンとしてチームを引っ張った。負けた試合後に野手をベンチ裏のミラールームに集め、語り合ったこともあった。練習には誰よりも早く姿を現し、振り込んだ。それを一年間、休むことなく続けた。その背中を若い選手たちを見せた。
苦しい時に支えとなったのはいつも早くから練習に付き合ってくれる裏方スタッフの人たちの存在だった。「苦しんでいる時にスタッフの皆様に声をかけていただいた。その人たちのためにもという想いがあった」と感謝の気持ちを述べる。
プロ10年目の来年は二塁のポジションだけではなく三塁などにも挑戦。新たに選手会長にも就任して挑むシーズンとなる。さらにチームを引っ張る想いと責任感を胸に強い気持ちで挑む。
「10年目は区切りだけど、もう一度、再スタートの気持ち。成績を出して全試合に出るために取り組む。もう一度、鍛え直さないといけない。引き締め直す。自分の中ではまだまだ若いと思っている。つねに前向きに色々と試しながらやっていく。ポジションが変わると景色も変わる。チャレンジしていく。振り込んで、走り込んで、練習方法と練習量を増やしながら取り組む」と話す。
中村奨吾には忘れられない出来事がある。2019年9月。球場でファンであるという中学生と面会をした。彼の名前もまた「しょうご」(尚吾)だった。重い病気を患っていたが、わざわざ球場まで応援に来てくれた。マリーンズを応援すること、特に同じ名前の中村奨吾が活躍することが楽しみで元気が出ると目を輝かせながら語ってくれた。しかし、尚吾くんはその年の12月に天国に旅立った。
彼の両親から「あの子はマリーンズが勝つことで元気をもらっていました。毎日、病室で中村選手の応援歌をかけて手拍子して歌っていました」と教えてもらうと、熱い想いがこみ上げてきた。それまではちっぽけな存在だと自虐的な発想をもっていた自分を見直すキッカケとなった。
「そんな風に応援してくれている人がいる。調子が悪いとか結果が出ないとか身体が疲れているとか弱音を吐いてはいけないと思いました。自分たちのプレーを見て元気になってくれる人たちがいる。楽しみにしてくれている人たちがいる。そういう人たちのために、どんな時でも諦めてはいけない。力になるようなプレーをしないといけないと思いました」
中村奨吾は12月21日、千葉県こども病院を訪問した。元々は今江敏晃 現イーグルス監督がマリーンズ時代に慈善活動の一環として訪問をしていると伝え聞いて「一緒にいかせてもらえないか」とお願いをして昨年から一緒に訪問をしている。活動に興味を持つキッカケをくれたのもあの時の出会いがあったからだ。
「子供たちの喜んでいる顔や保護者の方の喜んでくださる姿を見て、こういう活動をやってよかったなあと思いますし、自分も力をもらいました」と語った。
若い頃はちっぽけだとしか思っていなかった自分の事を今はしっかりと見つめ、プロ野球が持つ影響力、発信力の強さを自覚するようになっている。だからこそ、シーズン中は弱音を吐かなかった。どんなに身体が悲鳴をあげてもグラウンドに出て何事もないようにプレーをすることを選択してきた。見てくれている人がいる。応援してくれている人がいる。どんなに苦しい時も、その想いが背番号「8」をいつも突き動かした。
マリーンズは21年に優勝マジック3まで行きながら141試合目で夢がついえた悔しい経験をした。そして2023年は本拠地ZOZOマリンスタジアムで行われたクライマックスシリーズファーストステージで延長十回に3点のリードを許しながらその裏に4点をとりサヨナラ勝利するという感動も経験した。優勝を逃した悔しさを忘れずにさらなる感動を見てくれている人たちに提供するために新選手会長がチームを引っ張る。来年もマリーンズの中心には背番号「8」がいる。
千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章
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