デイン・コールズ(後篇)~愛すべきニッポンで迎えるラストチャプター~
JAPANでのクールな体験
12月24日、大阪・ヨドコウ桜スタジアムでの静岡ブルーレヴズ戦でついにスピアーズデビューを果たすコールズ選手。こうしたシーンが試合でも見られる 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
「確かに、ウチの子どもたちも日本の便座のことは話していましたね。うーん、そうですね。私が『日本』を感じるものは本当にたくさんあります。まず、ニュージーランドとは違い、日本ではコンパクトなマンションでの生活になります。交通機関も、ニュージーランドではクルマで移動しますが、ここでは電車とバスが中心です」
取材日の前日も、家族と一緒に電車で原宿まで出かけてきたという。混み合う電車に、賑やかな街の雑踏。それらは「とてもクールな体験」だったという。
「この日本という国は、私が育った環境とは様々なものが異なります。私の故郷は、人口が3万5000人ほどしかいない、小さな町なんです」
あの走力はいかにして生まれたのか
この走力は子どものころの、とある経験によって養われた? 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
「ニュージーランドではほとんどの男の子が5歳くらいになるとラグビーを始めるんです。私もその年齢になったところで父親に強制的に練習に連れて行かれました」
そのころからすでに体は大きかったのか。その質問に、彼は「イエス。ファットキッド、太った子どもでした」と苦笑いを浮かべた。少年時代に1年間だけフルバックをやったことがあるものの、基本的にはポジションはずっとフロントロー。それももちろん積極的な選択ではなく、のちに大きな武器となる走力も、まだ開発される前段階にあった。
「フロントローとしては足は速いほうでしたが、ものすごく速く走れたかと言えば、そういうわけでもありませんでした。スピードがなかったので、フルバックをやったのも1年間だけでしたし」
しかし、これは第一線で活躍するアスリートに共通する部分なのかもしれないが、コールズも負けず嫌いな性格の持ち主。フッカーの定義を覆したとも言われるあの機動力の根底にあるもの。それは持ち前の負けん気の強さである。
「公園で遊びでラグビーをやっているときも、楽しみながらも、友達には負けたくないという競争心は持っていました。スピードを養うためのトレーニングをやっていたわけではありません。大切なのは『心』や『気持ち』なのです」
そうした心と気持ちを持って、「やるべきことをキャリアを通してやってきた」とコールズは語る。ただ、本当にスピードトレーニングはやっていなかったのか。実際には何か特別な練習をやっていたのでは?
「私は子どもころヤンチャだったのですが、イタズラをしても、そのあと捕まらないようにさっと逃げてしまう、ズル賢い悪ガキでした(苦笑)。ピンポンダッシュ? まさにそんな感じです(笑)。ニュージーランドにも、同じようなイタズラがあるんです。他人の家のドアをノックして、ダッシュで逃げていました」
コールズのランニングスキルはニュージーランド版ピンポンダッシュで養われたものだった!?
日本の、どこが好き?
「ラーメンは大好きですね。以前、ニュージーランドのラーメン店にも行ったことがあるのですが、日本のお店とはまったくクオリティーが違いました。私は日本の食事は全般的に好きで、今回はいろんな食べ物に挑戦したいと思っています」
そんなコールズには、この国には食べ物以外にも大好きなものがあるという。それは温かい便座でもなければ、クールな電車移動でもない。
「日本の人たちは、他の人たちにリスペクトの気持ちを持って接しています。私が日本で一番好きなのは、そうした日本の人たちの他者を敬う心です」
敬意には敬意を。このクボタスピアーズというチームは「私のことを本当にあたたかく迎え入れてくれた」という。コールズにとって、今シーズンが自身のラグビー人生の正真正銘のラストチャプター。次節、12月24日、ヨドコウ桜スタジアムでの静岡ブルーレヴズ戦。世界を震撼させせた伝説のフッカーが、満を持してピッチに立つ。
「半年間のシーズンですが、ここで自分の全てを出し切りたいと思います。次の試合、グラウンドに出ることをすごく楽しみにしています」
文:藤本かずまさ
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
クボタスピアーズというチームには「日本、南アフリカ、トンガ、オーストラリアなど様々な文化が混ざり合い、高いエナジーを感じる」とコールズ選手。立川理道キャプテンいわく、チームに馴染むのも早かったという 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
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