【柏レイソル】細谷真大 柏のエースが日本代表へ「2023Reysol Report Vol.20」

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「次節は出場停止の選手もいますが、今こそチームが一つになるべき。自分だけじゃなくて全員が引っ張る意識が必要だと思う。立ち上がりからしっかり戦っていきたい」
 前節の鹿島アントラーズ戦、77分にゴール前に走り込んだ細谷真大は、植田直通にユニフォームを引っ張られながらもバランスを崩さず、マテウス・サヴィオのパスをゴールへ流し込んだ。しかしレイソルは終盤に追いつかれ、1−1のドローに終わり、残留決定とはならなかった。冒頭の言葉は、アントラーズ戦後に発した、サガン鳥栖戦へ向けた細谷のコメントである。

11/11鹿島戦では日本代表経験DFたちをものともせず、力強くゴールを決めた 【©️J.LEAGUE】

 細谷の武器は、ダイナミックな縦への突破と強靭なフィジカルである。さらに2種登録選手だった高校3年生のとき、トップチームでJリーグの公式戦に出場しても全く物怖じしなかったように、堂々とした性格もまた、彼の魅力の一つだ。
 プロ4年目の今季は、ここまでリーグ戦で得点ランキング5位、日本人2位タイの13得点を記録している。もちろん、この数字は細谷にとってもキャリアハイの成績だ。昨季と比べて一つひとつのプレーに凄みが増し、ゴール前では冷静さが備わったことで決定力は大きく跳ね上がった。

デビューは高3の3月。当時ネルシーニョ監督は細谷の才能を見出し、大抜擢した 【©️J.LEAGUE】

 そんなプレー面での活躍以上に目を見張るものが、彼の内面的な成長である。
 シーズンの序盤から下位に沈み、苦しい戦いを強いられた今季のレイソルだが、その中で細谷は気を吐き、チームを勝たせようと得点を重ねた。そして、チームの結果が出ないときには、いかなる試合内容であっても自らに矢印を向け、敗戦の非を自分自身に求めた。自分が得点を決めた試合でも、「自分がもう1点取っていれば勝てた。チームを勝たせられなかった責任を感じています」と悔しさを滲ませた。その姿からは、エースとしての矜持が感じられた。
 前節のアントラーズ戦後も、残りの2試合に向けて残留への意気込みを問われると「引き続き自分が点を取って勝たせるだけ」と力強い言葉を放った。
 11月13日、細谷は合流していたU-22日本代表から、急遽FIFAワールドカップ・アジア2次予選を戦う日本代表に招集された。元レイソルの先輩、伊東純也と中山雄太との共演が実現した。16日、ホームでのミャンマー戦に途中出場した細谷は、続くアウェイのシリア戦でも同じく途中出場でピッチに立ち、82分には伊東のパスを受けて記念すべき日本代表での初ゴールを記録した。

 中東への遠征を終え、水曜日に帰国。木曜日からはレイソルの練習に合流した。井原正巳監督は、日本代表として数々の修羅場を潜り抜けてきた自身の現役時代の実体験から「タフな試合と日程をこなさなければならないのが代表選手の宿命」と言い、帰国直後の細谷の表情を見て「自信を深めて帰ってきた」と成長を感じた。井原監督は、代表帰りの細谷に期待することを次のように述べた。
「急遽A代表に呼ばれて、彼自身も刺激になったと思います。2試合とも途中出場ですけど、試合に出場することができて、2戦目はゴールも挙げました。自信や刺激を受けて帰ってきたので、チームでもっとやらなければいけないと、代表で刺激を受けた部分を還元してくれればと思っています」
 今シーズンの戦いを通して、ひと回りもふた回りも大きく成長した細谷は、今回の日本代表の戦いでも、確実に経験値を上積みして帰ってきた。2023年シーズンのホーム最終戦、彼はチームの勝利のためにピッチに立つ。“レイソルのエース”としての矜持を胸に秘めて。

【文】柏レイソルオフィシャルライター:鈴木潤

チームの先頭に立ち、サポーターからの期待に応え続けている 【©️J.LEAGUE】

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著者プロフィール

1940年に母体となる日立製作所サッカー部が創部、1995年にJリーグに参戦。1999年ナビスコカップでクラブ史上初タイトルを獲得。ネルシーニョ監督のもと、2010~2011年には史上初となるJ2優勝→J1昇格即優勝を成し遂げる。さらに2012年に天皇杯、2013年に2度目のナビスコカップ制覇。ホームタウンエリアは、柏市、野田市、流山市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市、印西市、白井市の東葛8市。ホームスタジアムは、柏市日立台の「三協フロンテア柏スタジアム」。主な輩出選手は、明神智和、酒井宏樹、中山雄太。

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