【すまいーだカップ/FR】明日が父の命日 増田伸洋がシニアツアー初優勝「うちの親父が練習場を作らなかったら僕はいない

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すまいーだカップ シニアゴルフトーナメント 最終ラウンド


2日目は悪天候のために競技中止となり、36ホールの短縮競技となった「すまいーだカップ シニアゴルフトーナメント」。初日に6アンダーで単独トップに立った増田伸洋が、1イーグル・6バーディ・2ボギーの「67」でトータル11アンダーまで伸ばして後続を振り切り、シニアツアー初優勝を手にした。



今年3月に50歳を迎え、ルーキーイヤー9試合目での勝利に「うれしいです。まさかこんなに早く勝てると思っていなかったので、本当にうれしいです」と喜びを爆発。2打差のトータル9アンダー・2位にタワン・ウィラチャン(タイ)、トータル8アンダー・3位には横尾要。3打差から逆転優勝を狙った片山晋呉はトータル7アンダーで4位に終わった。

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トップからスタートした増田だったが、1番ではグリーン左手前のバンカーから1.5メートルに寄せるも入らずボギー、5番ではセカンドショットがシャンクしてボギーと、5ホールで2つ落とし、すぐに追う立場に変わる。最終日は同い年の横尾要との最終組で、「カナメがいい感じで伸ばしていたので、追いつこうというのはありました。朝からお互いに『共倒れはやめような(笑)。どっちか勝とうな』と言っていた」。

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前半は6番と8番に2つのパー5を残していたため、「そこで獲ってイーブンで折り返せば、まだ何とかチャンスがあると思った」と増田。その言葉通り、6番パー5ではグリーン横から3打目のアプローチを1.5メートルに寄せ、8番パー5では2オン・2パットでバーディで、スタート時のトータル6アンダーに戻す。前半最後の9番パー4では、セカンドショットを3メートルにつけて、横尾に追いついた。



折り返してからは横尾、そして最終組の1つ前を回るウィラチャンとの三つ巴の様相を呈し、片山も後ろから迫る大混戦となった。

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増田は10番パー3でバンカーから寄せきれず一歩後退。しかし11番パー4でセカンドショットを50センチにつけてバウンスバックを決めると、13番では4メートルを沈めて、トータル8アンダーでウィラチャンと首位に並んで15番パー5を迎えた。ウィラチャンは2オンに失敗し、バーディも決められずにパー。それを後ろから見ていた増田は「ここでバーディを獲って、あと3ホール頑張ろう」と考えていた。その予想は良い方に外れ、7メートルに2オンさせたボールを沈めて「おまけのイーグル」。一気に3打のリードをつけた。



16番では2.5メートルのパーパットを沈めて耐えると、続く17番では6メートルのバーディパットを入れて「勝てるかな」と優勝を確信。ウィラチャンと2打差をキープして最終18番パー5を迎えた。結局、ウィラチャンは18番をパーとして伸ばせず、増田は手堅く3オン・2パットのパーでまとめ、両手を広げて勝利のガッツポーズを見せた。

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明日19日は2011年に66歳で亡くなった父・一仁(かずひと)さんの命日。「ダンロップフェニックスのときにちょうど亡くなって、こないだ13回忌をやりました。うちの親父とじいさんが練習場を作って、それがなかったら僕はゴルフをやることはなかった。ありがたく感じています」と話す。増田は小学生のときに母を亡くし、高校時代はラグビーに打ち込んだ。6つの大学から誘いがあるほどの有望選手だったが、2人兄弟で、「兄はゴルフをやらなくて、(練習場に)プロゴルファーがいないといけない」と、急きょプロゴルファーを目指すことになった。



そのとき高校のラグビー部の先生は大反対。「先生は親父を呼べと言うので、うちの親父が学校に行って、『ゴルフをやるっていうからやらせてください』って頼んだ(笑)」。高校卒業後は千葉カントリークラブ・川間コースの研修生をしながら、父が営む千葉県柏市の練習場『双伸ゴルフセンター』で打ち込み、腕を磨いた。その7年後、25歳となった98年にプロ転向すると、33歳の2006年には「マンダムルシードよみうりオープン」でレギュラーツアー初優勝を遂げた。

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増田が生まれた1972年にオープンした『双伸ゴルフセンター』は今年で50周年。夏に行われたその記念コンペには、宮里優作や永野竜太郎などレギュラーやシニアのプロたち30人が参加し盛大だった。



この練習場には若き日の宮本勝昌も練習に訪れている。「僕が18歳でゴルフを始めた頃に、同い年の宮本は大学生で、うちの練習場に4年間ずっといたんです。僕が研修生をしていたゴルフ場から戻ってくると、一緒に練習して、一緒にうちで飯を食っていましたね」。その宮本は日本大学の1年生だった1991年に「日本アマ」を制している。そのときに2位が日大4年の丸山茂樹、3位が同じく日大1年の片山晋呉だった。



また、来年の「日本シニアオープン」(2024年9月12~15日)は増田が研修生をしていた千葉カントリークラブ・川間コースで行われる。「本当に出たくて、今年頑張ってきた。これで出られる」と満面の笑み。増田は今年の活躍で、『23年のシニアツアー賞金ランキング上位30人』を、この勝利で『23年度本競技翌週から当年度本競技前週までのシニアツアー競技優勝者』の出場資格を得た。

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優勝賞金1000万円を加えて、シニアツアーの賞金ランキングは13位から4位まで浮上。このまま4位以内でシーズンを終えれば、来年の海外シニアメジャー「全米プロシニア」と「全米シニアオープン」の出場権が得られる。この話を向けると「来週頑張る(笑)。一回レギュラーの頃に全米オープンに行っているけど、この年になっても、出られるからには行ってやってみたい」と目を輝かす。



父が作った練習場で育った息子は、50歳となった今もゴルフを楽しんでいる。そして、今月16日に21歳になったばかりの長男・康輔さんも千葉県の平川カントリークラブで研修生をしながら、増田と同じ道、ツアープロを目指している。康輔さんは次週の最終戦「いわさき白露シニアゴルフトーナメント」でキャディを務める予定だ。「2人で楽しみながら来週はやりたいなと思います」。ルーキーは父の顔になり、再び笑顔を見せた。

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著者プロフィール

PGAはゴルフの正しい普及と発展を願い、誰にでも愛される「国民のスポーツ」「生涯スポーツ」となるため、日本ゴルフ界のリーダーとして活動しています。PGAの使命は、トーナメントプレーヤーの育成、ゴルフ大会の開催・運営に加え、ゴルフの正しい普及と発展を具現化するために、ティーチングプロ資格を付与したゴルフ指導者を育成しています。さらにPGAでは幅広い分野で積極的な取り組みを行い、地域に密着した社会貢献活動、ジュニアゴルファーの育成など多方面にわたる取り組みを日々歩み続けています。

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