【浦和レッズ】たとえ試合に出られなくても…淡々と準備する岩波拓也に重なるあの選手の姿「今とはまた違う未来が…」

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

 まだ実感はない。妻の妊娠が分かってから心の準備を進めてきたつもりだが、いざ『父』になってみても、ピンとは来ない。

 岩波拓也が父になり、2週間ほどが経った。

 おむつを替えたり、ミルクをあげたりしながら玉のような息子を見ていると、ふと思う。

「何か不思議やな……」

 自分が父になっていること、目の前に小さな生き物がいること。それに関するあらゆることが今までにない経験であり、得も言われぬ感覚になる。

「実感は少しずつ出てきましたが、まだ不思議な感覚ですね」

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 自身はインターハイ出場経験もある父に幼少期から鍛えられ、『特訓』で得たものが最大の武器になっていることを、プロになって以降も実感している。

 だが、息子にはさまざまなスポーツを経験してほしいと思っている。実感がはっきりしない分、それもまた漠然とはしているのだが。

 ただ、息子を「かわいい」と思うことと、もう一つはっきりと思い浮かぶことがある。

「やっぱり試合に出たい。早くピッチに立ちたい。もっと試合に出たい」

 岩波がプロキャリアで今季ほど出場機会を得られなかったことはない。浦和レッズ加入以降、過去5シーズンでJ1リーグの出場試合数が20試合を切ることもなかった。

 今季は連戦におけるYBCルヴァンカップや天皇杯でこそ出番が回ってきたが、J1リーグで初めて先発出場の機会が巡ってきたのは8月25日の湘南ベルマーレ戦。開幕から半年以上が過ぎ、25試合目のことだった。

 38試合中37試合に出場した2021年、34試合中31試合の2022年と、ほとんどの試合に出場した過去2年とは状況が違いすぎる。

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 それでも湘南戦を含め、公式戦5試合中4試合に出場した8月下旬から9月上旬の時期は手応えを感じた。

 長短織り交ぜたパスで後方から攻撃を組み立て、チャンスも創出した。

 いずれの試合でも本分である守備も含めて90分間を闘い抜いた。

「力を示せたと思います。自分はまだまだピッチで闘えるということが分かりましたし、結果も出せていましたし、失点もほとんどない状態でした」

 しばらく試合から遠ざかっていても、急に出場した試合で自分の力を出し切れることが分かった。

 試合に出続けていたこれまでには分からなかったことだが、試合に出続けていれば感じる必要のないことでもあり、

「あまりうれしくはない発見」だったが、「分かってよかった」と岩波は思っている。

「だから、これから出場機会が増えてくるだろうと思っていました」

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 しかし、事はうまく運ばなかった。センターバックは11枠のうちの2枠、しかも選手が代わることが比較的少ないポジションだ。それぞれに特長があるとはいえ、岩波がポジションを奪えないというより、強固な守備を築き続け、大きなミスもないふたりのセンターバック、アレクサンダー ショルツとマリウス ホイブラーテンに外される理由がなかった。

 継続して試合に出場し、公式戦のピッチで持ち味を十分に発揮した。

 それでもまだスタメンを奪えない。感情が揺さぶられることもあった。

 悔しさを失ったら選手として終わりだと思っている。選手によって考え方はそれぞれだが、岩波自身は「その瞬間に辞めたほうがいい」と思っている。

 ただ、試合ごとにメンタルが上下する状況は好ましくないとも思っていた。

 そんなとき、思い浮かぶ選手がいた。

「レッズには尊敬できる先輩がたくさんいましたが、鈴木大輔選手は今でも忘れられない存在です」

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 3年前の2020シーズン。ルヴァンカップを含めて開幕2試合に出場した鈴木は、新型コロナウイルス感染症の拡大によってリーグが中断したあと、出場機会を失った。

 その後しばらくして岩波もベンチスタートの日々を迎えて気持ちが腐りそうになったが、隣には出場機会を失っても全力でトレーニングに励む先輩がいた。

「彼はかなりメンタルも強い選手でしたし、難しい経験もしている選手でした。ああいう選手にはなれないかもしれないですが、学ぶべきことは多かったと思います」

 レッズでの共闘はそのシーズン限りとなったが、今、鈴木がジェフユナイテッド市原・千葉のキャプテンとしてJ1リーグ昇格を目指すチームをけん引していることは、岩波にとっては驚きではない。

 一方、鈴木は4年前、どんな状況でも全力でトレーニングに励むことについて、こんなふうに話していた。

「あまりチャンスをもらえていない状況で怒った仕草をしてみたり、荒れてみたりする。そうやって自分を奮い立たせてチャンスをつかんでいく選手も見てきました。

 それが『主張する』ということなのであれば、自分にはない。でも、スタイルは人それぞれだと思うし、淡々とやることが自分の性に合っているんです。何より、フレッシュな気持ちで毎日プレーしたいと思っているんです」

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 淡々と。今の岩波にも合う言葉かもしれない。

 こだわりがない。あっさりしている。『淡々』という言葉には、そんなネガティブな意味もあるが、鈴木や岩波のスタンスに、その意味が当てはまらないことは言うまでもないだろう。

 ショルツやマリウスとは異なる武器――後方からのビルドアップやフィードをトレーニングから積極的に出し、ときに「普通にプレーするだけならチャレンジしないようなパスも出してみたりする」こともある。

 あらゆる苦楽を共にした関根貴大は、そんな岩波のパスに「憧れる」と語る。

「僕はようやくFWの動きに合わせたパスを出せるようになってきた段階ですが、タク君は誰とでも合いますし、『動いて』というようなパスを出せる」

 そんな岩波に、こだわりがないはずもない。

 感情の起伏を抑え、冷静に、実直に試合に向けた準備を進める。100パーセントが前提。それはいつも変わらない。だから、淡々と。

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「『出たい』とわがままを言って出られるならそうしますが、そういうものではありません。だから準備を続ける以外に方法はない。出る試合で100パーセント出せるように準備するだけ。そういう考えに変わりました」

 そのスタンスは、ルヴァンカップ準決勝第1戦の前とは状況が異なる第2戦に向かううえでも変わらない。

 第2戦は酒井宏樹が出場停止になるため、出番が訪れる可能性がある。

 しかし岩波は、「今それを考えても仕方ありません」と冷静な姿勢を崩さない。出番が来るまで100パーセントの努力を続けることに変わりはない。

 29歳。まだまだ老け込むには早過ぎる。まだまだサッカー選手としての未来がある。

「ここで頑張れば、今とはまた違う未来が待っていると思います」

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 果たしてどんな未来が待っていると期待しているのだろう。

 それは、「もっと試合に出たい」と改めて思わせてくれる存在が、感情を持って岩波の勇姿を見るために母と一緒にスタジアムに来る未来だろうか。

「その実感が出てくるのはこれからじゃないですかね。もう少し大きくなってからですかね」

 SNSで発信した愛息との写真の表情とは違う、照れくさそうな笑顔で岩波はそう言った。

「どんな未来が待っているのか、どんな選手になるのかは分かりませんが、ひとつ大人になってチームをしっかりと見られるような選手になれると思っています。

 実際に今の僕のような経験を経て良くなった選手も見てきました。自分もそうなれればいいと思いますし、そうなったときにこれも必要な時間だったと思えるようにしなければいけません」

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 今日も岩波は淡々と、自分の出番に向けて全力で準備を進めている。

 ルヴァンカップ決勝進出をかけた10月15日の横浜F・マリノス戦なのか、もう少し先なのか、それは岩波の未来と同じように分からない。

 ただ、岩波が次の出番で自分の持ち味を出しながらチームに貢献することは、分からずとも予想できる。

 そしてそのとき、我が物顔でこう言いたい。「分かってたよ」と。


(取材・文/菊地正典)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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