【柏レイソル】理想のキャプテン像を追い求めて「2023Reysol Report Vol.6」

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偉大な前任者のように

キャプテン大谷秀和の後を継いだ古賀太陽 【©️KASHIWA REYSOL】

 先日、古賀太陽はこんなことを言っていた。
「タニさん(大谷秀和コーチ)はチームの調子が悪いときに点を取って、チームを助けてくれました。そうやってタニさんが今まで示してくれていたパフォーマンスを、自分が発揮していけるようにしたい」
 現在、開幕からレイソルは未勝利が続いているが、過去にも白星から遠ざかる難しい時期は何度かあった。古賀は自分がプロキャリアを歩み始めた2017年以降に訪れた苦しい時期に、存在感を示してチームを救った当時のキャプテン、大谷のプレーを挙げた。

 2017年、開幕のサガン鳥栖戦に2−1で勝利したレイソルは、その後リーグ戦では3連敗と調子の上がらない序盤戦を戦っていた。迎えた第4節は、アウェイのサンフレッチェ広島戦だった。その試合において、キックオフ直後のプレーでサンフレッチェのGK林卓人が前に飛び出し、ゴールがガラ空きになったところ見逃さなかった大谷のロングシュートが決まった。この試合開始1分の得点で試合を優位に進めたレイソルは2−0でサンフレッチェを下し、開幕戦以来の勝利を収めた。
 また、同年の第7節ヴィッセル神戸でも、大谷は小池龍太のグラウンダークロスをニアで合わせ、キム・スンギュの守るゴールをこじ開けて先制点を奪っている。2−1でヴィッセルに競り勝ったレイソルは、この勝利を機にV字回復を果たし、8連勝を記録して首位戦線へと駆け上がっていった。

2017年はキャリアハイの年間5ゴールでチームを牽引 【©️J.LEAGUE】

 記憶に新しいところでは2021年の序盤戦だ。8節を終えて1勝1分6敗、第3節から第8節までの6試合は勝ち星がなく、1分5敗と苦しい状況下にあった。
 第9節のガンバ大阪戦、69分に椎橋慧也との交代でピッチに立った大谷は、76分にCKの流れから、チームに久々の勝利をもたらす千金の決勝点を決めた。
 当時の映像を見返すと、この試合の実況を務めていた下田恒幸アナウンサーも「チームを象徴する大谷の一発!」と伝えている。このシーズンは、大谷が負傷で欠場した後、古賀がゲームキャプテンを任された。チームを象徴する選手が、苦しむチームを救うことでどれだけ多くの人が勇気づけられるか、そしてチームに勢いが生まれるか。古賀は腕章を託されることで、その重みを強く感じていた。

2021年のガンバ大阪戦。大谷のゴールに仲間は普段以上に歓喜した 【©️KASHIWA REYSOL】

 今シーズン、大谷の後を継いで古賀は正式にキャプテンに任命された。開幕前から、古賀はことあるごとに「自分もレイソルでタニさんのような存在感のある選手になりたい」「自分にとっては目指さなければいけない存在」と公言してきた。
 ただ、大谷と古賀はプレースタイルもポジションも違う。全て同じというわけにはいかない。その点は、古賀も十分に理解している。
「得点という結果を出せればベストですけど、ポジションが違うので、最後のところで守り切るとか、自分のところでリズムを作るとかで、チームが勝つためにプレーをしなければいけない。今まで以上に自分の力をチームに還元できるように意識しています」
 YBCルヴァンカップのアルビレックス新潟戦から鹿島アントラーズ戦までは中3日。短い準備期間の中で、古賀は感じたことを周りに要求し、常に多くの選手とコミュニケーションを図っている。試合におけるピッチ上のプレーのみならず、日頃からチームに対してどうアプローチしていくか。前任者の背中から学んだ多くのことを、古賀はキャプテンとして実践に移す。チームが勝つために。

【文】柏レイソルオフィシャルライター:鈴木潤

【©️KASHIWA REYSOL】

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著者プロフィール

1940年に母体となる日立製作所サッカー部が創部、1995年にJリーグに参戦。1999年ナビスコカップでクラブ史上初タイトルを獲得。ネルシーニョ監督のもと、2010~2011年には史上初となるJ2優勝→J1昇格即優勝を成し遂げる。さらに2012年に天皇杯、2013年に2度目のナビスコカップ制覇。ホームタウンエリアは、柏市、野田市、流山市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市、印西市、白井市の東葛8市。ホームスタジアムは、柏市日立台の「三協フロンテア柏スタジアム」。主な輩出選手は、明神智和、酒井宏樹、中山雄太。

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