育成年代からの“大和シルフィード改革”を導く指導者・川辺学。ビタミンオレンジのDNAを育む哲学とルーツに迫る
【大和シルフィード】
小田急線・大和駅からほど近い大和なでしこスタジアムをホームとする女子サッカークラブ、大和シルフィード。2022プレナスなでしこリーグ2部を戦う傍ら、5月には国内女子サッカー史上初となる日産スタジアム開催を経験したり、プロテニス選手の大坂なおみ選手が中心となって取り組む『プレー・アカデミー with 大坂なおみ』とのコラボレーションを実施するなど、ピッチ内外で活動の幅を広げる一年を過ごした。
2023シーズンの1部昇格が決まり、クラブのプロ化とWEリーグ参入の実現に向けて邁進するビタミンオレンジは、一方でクラブの将来を担う選手たちの育成にも力を入れ始めている。育成年代を中心に35年以上の指導歴があり、スフィーダ世田谷FC(当時なでしこリーグ2部)のトップチームでも監督を務めたことがある川辺学をU-18監督として招聘し、シルフィードの礎ともいえる育成組織の強化と充実を図ることとなったのだ。
なでしこジャパン(女子日本代表)のみならず、WEリーグやなでしこリーグから大学・高校まで幅広く出身選手を擁する大和シルフィードは、川辺の指導力を通じて、これからどのような道筋を描こうとしているのか?本稿では、豊富な経験を持つ川辺のサッカーキャリアを辿りつつ、シルフィードの育成年代に対する取り組みに迫る。
ダイヤモンドサッカーに学んだ中高時代を経て、YMCAでスタートした指導者キャリア
【大和シルフィード】
やがて東亜学園高校に進学するも、練習環境は大きく変わらなかった。テレビ東京系で放送されていた『三菱ダイヤモンドサッカー』をおいて他に教材と呼べるものはなく、中学時代同様の日々だったという。
その後、入学した明治学院大学のサッカー部でも指導者は変わらずだったが、帝京高校、藤枝東高校、韮崎高校などからやってきた先輩たちの中でもまれた。「往年の体育会系の文化らしく、先輩後輩の上下関係は厳しかったですが、全国トップクラスの高校から来た先輩たちを間近で見て、“これが全国クラスなのか”と実感したのを覚えています」と、川辺は当時のことを振り返る。
サッカーの指導に触れた大学時代は、川辺のキャリアにとっても転機だった。当時の知人が川崎YMCAでサッカーコーチのアルバイトをしており、川辺もこれに加わることとなった。当時のサッカースクールとしては珍しく、YMCAはコーチと子どもたちが一緒になって楽しむエンジョイ志向だった。ここで始めたコーチの仕事が35年以上に渡る川辺のコーチングキャリアの第一歩となった。
クラブチーム、スクール事業の立ち上げを経験しマルチプレイヤーに。なでしこリーグでの指導を通じて得た気付きとは
【大和シルフィード】
コーチングとマネジメントの双方に知見を持つ人材へと成長した川辺は、2006年にフットサル運営会社のスクール事業部長として、「ShunsukePark FUTSAL COURT YOKOHAMA」の施設及びスクール事業立ち上げに携わった。フットサルコートはその名の通り、中村俊輔(元日本代表選手)がプロデュースしている。
ここから3年間、川辺はShunsukeParkでスクールマスターを務める傍ら、東京ヴェルディ、クーバー、PUMAなどいくつものサッカースクールの立ち上げ運営を行い、クラブの運営サイドとしてもスキルを磨いた。2009年に株式会社シュンスケパークが設立されると、川辺はスクールマスターに加え、施設マネージャーとしても活動することとなった。
「ShunsukePark Soccer Schoolでの11年間はプレッシャーもありましたが、大変貴重な経験でした。この仕事を任されて、色々なことに挑戦させてくれたので、会社(シュンスケパーク)にはとても感謝しています」と、川辺は当時を振り返る。
フットサルコートのオープンから11年が経った2017年、ShunsukePark Soccer SchoolはJリーグの横浜F・マリノスが運営する「マリノスサッカースクール」と統合。以降現在に至るまで、川辺は施設マネージャーとして運営を行いながら、マリノスサッカースクール ShunsukePark校のコーチを務めている。
ピッチ外でも活躍しながら指導者としての歩みも進めたShunsukePark時代の川辺だが、この間に意外な方角から再び転機が訪れていた。川辺は2009年から、平日の午前中とスクール業務のない土・日に、縁あってスフィーダ世田谷FC(当時なでしこリーグ2部所属)のママチームを指導していた。すると、川辺にスフィーダのトップチームからオファーが届いた。当時すでにJFA A級ライセンスを取得していた川辺はこれを引き受け、2015年にスフィーダ世田谷FCのトップチームコーチに就任。翌2016年には監督も務めた。
「スフィーダでの監督時代は女子選手の特性を見るようにしていました。男子と女子とではボールの伸び具合が違ったり、男子サッカーの感覚からすればゆったりとした独特なテンポや、一つひとつの動作の瞬発力で大きな違いを感じました。たとえば、練習試合でスフィーダのトップチームの選手が男子中学3年生に瞬発力だけで抜かれてしまうというシーンもありました。
一方、テクニック面では男女差を感じることがなく、女子選手はパスでボールがずれた時の修正の幅が狭いため、プレー精度はむしろ女子選手のほうが上回っているようにも思いました」
世田谷の監督退任後はマリノスサッカースクールでの指導に戻り、スクールでの指導の幅を広げていた。すると、今度は大和シルフィードからの誘いが川辺のもとに届く。
U-18を“選ばれるチーム”に。育成戦略の柱『シルフィードスタイル』の構築・浸透へ
【大和シルフィード】
【大和シルフィード】
大和シルフィードは1998年に女子中学生チームとして創設された。川澄奈穂美選手(NY/NJ ゴッサムFC=アメリカ)、上尾野辺めぐみ選手(アルビレックス新潟レディース)、杉田亜未選手(ノジマステラ神奈川相模原)など日本代表選手を輩出し、U-18チーム、トップチーム、O-30チームを結成するなど、神奈川県大和市をホームタウンとするチームとして活動の幅を広げている。
そんな中、クラブの源流ともいうべきU-15チームは全国大会に6度出場、うち3度は3位に輝くなど実績を挙げてきた。神奈川県内各地から集った選手たちがオレンジの門を叩き、なでしこジャパンの将来を支える選手たちを今なお育んでいるシルフィードだが、川辺の言うように、育成組織へのテコ入れが必要であると考えられていた。
「シルフィードは伝統あるチームなので、それを絶やしてはいけません。ですが、U-15を卒団した選手たちは県内の高校サッカー部に進むことが多く、U-18チームへの昇格が少ないことがシルフィードの課題となっていました。高校選手権への憧れがあったり、以前は全国的に女子サッカークラブのトップチームがプロ化されておらず、将来の選択肢としての線が薄かったというのが、短い期間ですがここまで見てきた上での印象です。
ただ、2021年にWEリーグが開幕して女子プロサッカー選手というキャリアが拓かれましたし、シルフィードのトップチームもプロ化とWEリーグ参入を目指して活動しています。その一環として、高橋和幸アカデミーフットボールダイレクターやU-15の神塚廉彰監督と連携しながら、育成組織からトップまで共通した『シルフィードスタイル』を確立するべく、U-18チームの指導を行っています」
シルフィードのトップチーム監督を務める高橋和幸は、クラブ全体のフットボールダイレクターを兼任している。高橋と川辺はマリノスサッカースクールShunsuke Park校時代のコーチングリーダーとコーチの間柄で一緒に仕事をしており、かねてから何でも話せる間柄だった。そんな高橋が大元となる指導方針を立て、それを基にU-18チームでもトップチームと同じシステムを採用したり、U-15とU-18の選手編成を総合的に最適化するなど、選手のレベルに合った指導を計画している。
女子サッカーでは中学生選手が高校生チーム、そしてトップでプレーすることが珍しくなく、カテゴリの行き来が柔軟だ。その特徴を活かしながらクラブ全体の強化を図るべく、シルフィードでは週1回、U-18とトップが合同のグラウンドでトレーニングを実施。育成年代の選手でも、チャンスがあればカテゴリを越えていくことができる環境づくりに着手しているという。
改革と転換の波に揉まれ、芽生えつつある選手の主体性。その先に川辺が掲げる想いとは
【大和シルフィード】
「今季からシルフィードU-18を指導するようになって、各大会のスケジュール感や対戦相手との力量差などを見極めてきた部分もありますが、同時に『シルフィードスタイル』の浸透に取り組んできました。具体的には、連動したアグレッシブな攻撃、積極的なプレスでのボール奪取、そして素早い攻守の切り替えにアプローチしてきました。以前は堅守速攻型のサッカーをしていましたが、今季からは先程述べたようなシルフィードらしいサッカーにチャレンジしています」
プレースタイルの転換はしばしば試行錯誤を伴うもので、U-18選手たちは当初苦戦していたという。今季のシルフィードU-18は公式戦全敗に終わったが、前線からの徹底したプレスや、大きく蹴らずに最終ラインから大切にボールを繋ぐビルドアップなど、川辺は今シーズンの出来に手応えを感じている。
「選手個々のレベルにおいて相手との差があったものの、チャレンジを続けてきたことでポジティブな変化がありました。少しずつ成功体験を積み重ね、意図的なプレーをすることができるようになってきたからです。
試合に対して一人ひとりが関与する部分が増えたことで、選手としての主体性も芽生えてきてはいますが、プレーに対して『ここはこういうプレーだ』というように主張するにはもう少し自信が必要かなと思います。同学年の間では仲が良いものの、上は高校3年、下は中学2年と年代に幅があり(※現在U‐18チームでは中学2〜3年生も数名活動)、コミュニケーションがなかなか難しいという側面もあります。
なので、互いに対話できる交ざりあった環境作りであったり、シルフィードスタイルへの挑戦を通じて更に自信を付け、選手が精神的に成長することが現状の課題です」
今シーズンは夏前にトップチームで負傷者が増えた時期があり、代わってユース選手が練習に参加。トップチームのスピード感や球際の競り合いなどを肌で感じ、トップチームの練習から戻ってきた後の取り組む姿勢に変化を見せた選手もいるという。
トップチームとの連携などを通じて選手一人ひとりの成長を促す川辺だが、彼の哲学はより本質的な部分に重きを置いているようだ。
「僕は選手たちにサッカーを楽しんでもらうことが一番だと考えています。技術的・戦術的なアプローチはもちろんですが、楽しむことを履き違えずに、一生懸命取り組む中で得られた達成感と充実感があれば、選手たちは夢中になりどんどん成長していくものだと思うんです。
なので、それを個人としてだけでなく、チームとしても引き出して、みんなで一喜一憂できるようにしていきたいです。そうすることで、“あのチームにいて良かった、あのチームでプレーできて楽しかった”という思いが生まれますし、やがてそれがクラブへの帰属意識に繋がって、将来的に選手としても、ファミリーとしても、ファンとしても、シルフィードを選んで戻ってきてくれる選手が増える。こうしたことを目指して取り組んでいます。
僕はサッカーで仕事をしてきた人間ですが、“スポーツを通して日本を幸せにする”という大きな想いを持ちながら仕事をしています。そのひとつとして僕はサッカーに関わっているので、サッカーを通じて出会った子どもたちに、僕が勉強してきたことや経験してきたことを楽しみながら伝えていきたいです。それを通じて、子どもたちがサッカーをより好きになり、ゆくゆくはみんなが幸せになってくれたらいいですね」
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