【浦和レッズ】主務とグラウンドキーパーが語るACL決勝進出までの裏側

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

8月25日(木)、AFCチャンピオンズリーグ ノックアウトステージ 準決勝 全北現代モータースFC戦は、目まぐるしい展開だった。前半に先制しながらも後半にPKで追いつかれ、延長後半も残り5分を切ってリードを許した。

しかし、チームの主務を務める塚越健太郎は、うろたえることはなかった。

ピッチを見ても、スタンドを見ても、誰も諦めていない。ACLの出場権を得た昨年の天皇杯決勝 大分トリニータ戦も90分に追いつかれながら、後半アディショナルタイムの槙野智章(現ヴィッセル神戸)のゴールで優勝を決めた。そしてあらゆる人々が埼玉での開催、そしてレッズが勝ち上がるために尽力してくれた。

「勝つべくして勝ったというわけではないと思います。ただ、負ける心配はしていませんでした」

チームにとってはメリットしかなかった。選手たちを間近で見ていた塚越は、3週間ほどタイに滞在したグループステージとは明らかな違いを感じていた。

「日本で戦えることはメリットでしたし、ましてやホームの埼玉で戦えるということで、試合の流れでいえば普段のJ1リーグと変わらない形で臨めました。選手たちもストレスなく戦えていたと思います」

相手は海外のチームという違いはあれど、たとえばホテルに滞在するなどして隔離状態になる通称『バブル』内で生活する必要もなく、選手たちは自宅で生活することが許され、普段と同じ流れで試合に向かうことができた。

「スタジアムに関しても、たとえば関東の近場での開催だったとしても、年に1度か2度戦っているとはいえ、やり慣れているわけではありません。ピッチ、スタジアムの設備面を含めて、ストレスなく臨めたと思います」

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チームにとっては歓迎というほかない状況だったが、埼玉スタジアムのグランドキーパーのチーフを務める佐藤亮太さんにとっては、まるで違った。

「これは大変だ」

AFCチャンピオンズリーグ(ACL)のさいたま集中開催が決まったと聞いた瞬間、佐藤さんは青ざめた。しかしそう思うと同時に、頭をフル回転させた。

18日から25日の1週間で5試合。1日で2試合続けて行う「ダブルヘッダー」の日もあり、通常であれば考えられないスケジュールだ。それだけに、ある種の潔い諦めもあった。ピッチコンディションは悪くなる一方。前の試合以上にピッチコンディションが良くなるということはありえない。

「なので、私たちはで最後の試合まで、できる限りいいピッチコンディションを維持し、提供できるかということを考えました。何の機械を使ってどれくらいの人数をかけ、どうやって整備していくか。そういった作業の段取りや時間について、瞬時に考えていました」

元来、佐藤さんは「どんな時期でも芝のことを頭の片隅でずっと気に掛けている」が、ACLの期間中は加えて「気が張っていてなかなか寝付けない」緊張状態に陥っていた。

昨年夏に同じく過密日程だった東京五輪の経験もあったが、今回のACLもまたこれまでになかった経験。瞬間だけを切り取っても、いつもと同じように作業することはできなかった。

たとえば、レッズの試合であれば、試合前やハーフタイムの流れを把握しているため、作業の方法や時間をあらかじめ決めることができる。だが、普段やり慣れていないチームであれば、様子を見ながら判断するしかない。

特に大変だったのは8月18日と19日、ラウンド16が2日連続で行われた日だった。しかもレッズが戦うのはラウンド16の2日目と準々決勝の2試合目。佐藤さんにとっては、「最後まで勝ち残ってほしい」という気持ちがやりがいになっていたチームを、ピッチ状態がより悪化した状態で迎えなければならなかった。

「まず18日の試合が終って翌日の準備のために整備しなければなりませんでしたが、翌日の朝からだと限られた時間になってしまうので、試合が終わってからすぐ整備に入りました。作業員を増員し、普段の倍くらいの人数で夜中の3時くらいまで整備していました」

普段の倍ほどの人数を集めるといっても、当然ながら誰でもいいわけではない。佐藤さんは技術を持った人たちの重要性を説くとともに、協力してくれた人たちに感謝を惜しまない。

「技術を持っている方たちに来ていただいて、この大会が成功できたと思っています。最後は人なんですよね。もちろん機械の力もありますが、技量を持った人の腕が芝生のメンテナンスの精度を高めていきます。そういった方々を集めることがとても大事でしたし、手伝っていただいた方々はもちろん、手配してくださった方々にも感謝したいです」

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ダブルヘッダーとなった8月22日(水)の準々決勝は、1試合目のヴィッセル神戸vs全北現代モータースFCが延長まで120分の試合となった。

神戸vs全北が終わったのは18時30分ごろ。レッズがウオーミングアップを開始するのは19時すぎ。時間は1時間もない。

ピッチコンディションはどうなのか。それは塚越だけではなく、レッズの選手やコーチ陣も心配していたことだった。

今季はグループステージも含めて集中開催となったが、通常のACLでは各チームとホーム&アウェイで対戦する。中にはその試合だけのために準備していたはずなのに、劣悪なピッチもあり、それはアジアに限らず、日本でも稀にあることでもある。

そういうピッチ状態かもしれない。それは『かもしれない』という想定よりも、『だろう』という諦めにも近かった。しかしピッチを見た瞬間、塚越は目を見開いた。

「本当に驚きました。この短時間で整備を満足にすることはできないだろうと思い、ピッチコンディションを心配しながらいざピッチに入ってみると、普段とそれほど差がない状態でした」

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そして次の瞬間には佐藤さんをはじめグラウンドキーパーの方たちへの労いと感謝の気持ちが自然と沸き上がってきた。

「120分の試合の直後に普段と大差がない状態だということは、試合までの準備で相当苦労されたのだろうと感じました。普段使用している大原サッカー場のピッチもそうですが、1、2週間でピッチが劇的に変わることはありません。1ヵ月単位、半年と長いスパンをかけて整備されているものだと思います。その準備に関して感銘を受けました。なかなかあのようなピッチは作れません。僕らのスタイルとしてはパスをつなぐことが重要ですので、ピッチに左右されずに自分たちの強みを出しながら、いつもどおりの試合運びができました」

いつもどおり。この言葉を塚越は何度も繰り返し、時に強調した。スタジアムやピッチだけではない。埼玉開催ということもあり、現場レベルではいつもどおりの人たちがサポートしてくれていたが、そのみんながいつもどおりにサポートしてくれたことがありがたかったと塚越は言う。

「日頃から練習場を整備してくださっている方々、清掃をしてくださっている方々、食事を作ってくださっている方々、洗濯してくださっている方々。試合に目を向ければ、試合用に洗濯してくださる方々、バスを運転してくれる方…。関わってくれる方々が、変に気を使うことなく、いつもどおりの環境を作り上げてくれていました。ノックアウトステージで1つ勝ったからと言ってうわついて接してくる方もいませんでした。いつもどおりの流れでいつもどおりにやってくれたことを、関わってくださったみなさまに感謝したいです」

その中の1つを塚越は具体例を挙げて説明した。

中2日での連戦は1年に数回はある。ただ、普段の国内での試合とACLで明確に違うことがあった。その1つが、ユニフォームの準備だ。塚越は昨季まで副務を務めていたため、連戦の際に試合で着用するユニフォームや用具の準備の大変さも知っているが、ここがイレギュラーだった。

「たとえばユニフォームはJ1リーグだと事前に決まっていることが多いので、それを見越して準備することができます。一方ACLでは試合の前日にマッチコーディネーションミーチングあり、そこで最終的に使用するユニフォームが決まります。前日の昼過ぎまで動くに動けない。準備する側もそうですが、クリーニングをお願いしている業者さんも睡眠時間を削って対応してくれたと聞きました。本当に大変そうでした」

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また、いつもどおりの人たちだけではなく、外部の協力も欠かせなかった。集中開催のため、結果次第で次の試合までの日程が変化する。結果として準決勝まで戦ったため、次の試合までの期間は通常とはあまり変わらない1週間強だったが、もしラウンド16で負けていれば、一気に2週間空くことになってしまっていた。

「スケジュールのベースはありつつも、たとえば準々決勝で負けてしまえば、最悪ラウンド16で負けてしまえば、次の試合まで期間が空いてしまいます。その場合はトレーニングマッチを入れたいですが、負けた後では対戦相手を探すのが難しい。チーム状況を伝えてトレーニングマッチを打診させてもらい、快く受け入れてくれたチームもありました」

スタッフを含めたチームの奮闘、そしてあらゆる方々のサポートにより、レッズはACLで3年ぶりの決勝進出を決めた。

塚越はACLノックアウトステージの戦いを通して、あらためて感じることがあった。

「プレーするのは選手であり、指導するのは監督、コーチではありますが、選手たちが持っている力を発揮するにあたって、携わってくれている方々は数多くいます。いい環境で試合ができたというのは、当たり前ではありません。そういう感謝の気持ちが選手の心にあればいいなと思います。僕自身、自分たちだけではできないということはずっと思っていますが、当たり前が当たり前じゃないということをあらためて感じました。いろいろな人たちが自分の時間を削ったりした中で成り立っていることだと思いますので、そういう心情的なところに疎い選手がいたら伝えていきたいと思います」

そしてチームがそうであるように、ACLノックアウトステージが終わった瞬間から、佐藤さんにとっては9月10日(土)に行われる、次の埼玉スタジアムでの試合に向けた準備が始まっていた。

「僕にとっては緊張感を維持するためにあえてストレスをかけて駆け抜けたような1週間でしたが、芝にとってはない方がいいストレスがかかった1週間でした。次の試合、9月10日にはまたしっかりとした芝生の上でレッズさんにプレーしてもらいたいです。芝の世界で『完璧』という言葉は使いませんが、10日にはそれに近いところまで持っていけるように日々頑張っています」

今シーズンのJ1リーグのホームゲームは残すところ5試合となった。
さらに9月25日にはJリーグYBCルヴァンカップ プライムステージ 準決勝 第2戦 セレッソ大阪戦を戦い、今回のACLに続く決勝、そしてその先のタイトルを目指す。あらゆる方々からの熱いサポートを受けながら。

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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