こどもたちの「食」をサポートする。川崎フロンターレが目指す新たな取り組み

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

川崎フロンターレが川崎市と連携し、こどもたちの「食」の支援を始めていく。

8月7日、試合前の等々力陸上競技場ではそんな新たな取り組みが発表された。

「川崎市×川崎フロンターレSDGs連携協定締結、並びに川崎フロンターレパートナー企業とのかわさきこども食堂ネットワーク支援開始記者会見」でのこと。壇上での川崎フロンターレの吉田明宏社長が言う。

「単なるサッカークラブではなく、地域の社会インフラとしての役割、つまり生活の一部としてなくてはならない存在としてのクラブを目指してまいります」

近年、新型コロナウイルス感染拡大の影響による不安定な経済状況により、貧困に苦しむ家庭は増えている。川崎のような都市でも、それは例外ではない。

では地域のプロスポーツクラブとして何かできることはないのか。それを検討していく中で知った活動が「こども食堂」の存在だった。

簡単に説明すると、「こども食堂」とは子どもが無料または低額でご飯を食べられる食堂のことである。

2012年、東京都大田区のある商店の店主が、子どもたちを助けるために食事を提供する活動が始まりと言われ、そこから全国的に波及。川崎市内にも「こども食堂」は点在しており、2017年では17カ所だった数が年々増加している。

それぞれの課題や悩みを共有し協力し合う体制を作るべく、2018年9月に設立されたのが「かわさきこども食堂ネットワーク」で、現在約40か所が連係。その佐藤由加里代表とコンタクトを取り、クラブスタッフが現場に訪れたことから、少しずつ話が進み始めたのだという。

かわさきこども食堂ネットワークの佐藤由加里代表 【©KAWASAKI FRONTALE】

クラブは今シーズンから「川崎フロンターレSDGs」と銘打ち、より良い世の中の実現に向けた多くの活動を行なっていくことを宣言している。「こども食堂」のほとんどは地域住民や自治体が運営しており、資金や物資などのリソースに多くの課題を抱えていた。相談をしていく中で、クラブと結びつきのある企業や団体とマッチングして解決に向かう手伝いができないだろうか。こうした流れから動き始めたという。管理部企画担当シニアマネージャーの井川宜之が振り返る。

「すぐにクラブが出来ることとして試合観戦の招待や寄付を含めて考えたのですが、それも少し違うかなと思ったんです。そこで代表の佐藤さんに『何だったら助けになりますか?』と聞いたんです。幸いにもフロンターレにはスポンサー、パートナー企業さんがたくさんいて、中には食品関係の企業もいる。やはり子どもにお菓子は喜ばれると。じゃあ、お菓子ならロッテさん。お味噌ならマルコメさん。果物や生鮮食品ならドールさん。最初にロッテさんに相談したら、『素晴らしいことですね。ご一緒しますよ』と快く返事をいただき、それがきっかけですね。マルコメさんもドールさんも、二つ返事でOKしてくださりました」

こうした経緯から、ロッテからコアラのマーチやキシリトールガムの提供はすでに行われ、今後はマルコメから味噌や米麴製品、ドールからバナナなどの提供が行われる予定だ。そして、現時点でフロンターレの他パートナー企業でも何か継続的に支援できることはないか検討しているところもあるとのこと。現場からのニーズと合った食品提供に、発表会見での佐藤代表も「子どもたちが大好きな商品がいっぱいあり、ものすごくみんな喜んでいて、次はいつなんだろうともう話しているという状態です」と感謝の言葉を惜しまなかった。

ロッテのお菓子を手に喜ぶ子どもたち 【©かわさきこども食堂ネットワーク】

一方で、抱えている課題は食品の提供だけではない。
とりわけ大きなネックとなっていたのが、保管場所の確保だった。こども食堂の多くは地域住民や自治体で運営されている団体のため、それぞれの活動日も違えば、規模にバラつきも大きいのが実態だ。例えば月一回だけの食堂もあれば、2週間に一回という食堂もあるという具合である。

理想は希望する日に希望するものを送ってもらうことだが、言ってしまえば、企業の都合で余っている食品を引き取る形であるケースも少なくない。スケジュールがイレギュラーになりやすかったり、また個人の自宅で活動しているこども食堂もあるため、受け取る側が捌き切れないことがあった。とはいえ、これらの問題はこども食堂側が声をあげても、企業側にはなかなか届かない。そこで川崎フロンターレが呼びかけることで川崎市と企業に協力してもらいながら、うまくマッチチングできるような調整役を担い始めたということだ。現在は一時保管場所を含めて、置き場と配送の問題なども解決していけるように動き始めている最中である。

現状では富士通の川崎工場を活用しており、富士通スタジアム川崎や、来年完成予定のフロンタウン生田も保管場所として活用していく予定だという。配送業者とも交渉中で、他にも協力してくれるパートナー企業があれば、ぜひお声がけいただきたいとのことだ。

いかんせん、まだ始まったばかりでもある。
「大事なことは、長く続けていくことだと思ってます。そのためには仕組み作りと協力体制ですね。まだ半年ぐらいで未完成ですが、まずはやれることからやり始めてみました」と井川は言う。

いま重要なのは、まずは存在を知ってもらうことかもしれない。
例えば貧困などの事情を抱えている家庭は、地域の情報にも疎いことも珍しくない。こども食堂の存在自体を認知していなかったり、知らない人が集まる場所にこどもを行かせたくないなどの理由から利用を躊躇している家庭もあるかもしれない。

そこに川崎フロンターレが関わることで、社会に必要な地域コミュニティとして認識してもらい、子どもの居場所づくりや、地域の憩いの場としての役割を果たしてもらう。そうやって積極的にこども食堂を利用してほしいというメッセージが伝わっていけば、そこが最初の一歩になっていくはずだ。井川はこうした地域コミュニティの果たす重要性に力を込めた。

「子供の頃ってちょっとしたイベントやお祭り、地域の人の触れあいが楽しかったじゃないですか。それはコミュニティがあって形成されたものですよね。今はコロナもあって地域のコミュニティも難しいですが、こども食堂はそれを形成している地域にとって大切な存在だと思います。僕らもフロンターレという地域にとっては比較的大きなコミュニティを作っているコミュニティ団体のひとつ。等々力に行くと、知っている人でも知らない人でも、そこでちょっと会話のきっかけができる。フロンターレというキーワードだけで仲良くなれる可能性が高まります。地域コミュニティというのは生きていく上で心の助けになったりもします。そのスモール版がこども食堂ならば、地域スポーツクラブとしてサポートしていくのは当然ですよ」

将来的には、選手も協力していく取り組みになっていければという思いもあるだろう。思えば選手が水色のサンタクロースに変身し、小児科病棟を慰問するブルーサンタ活動や川崎フロンターレ算数ドリルの実践学習も、最初はどこか手探りだった。ただ地道な種まきを継続していくことで、数年後にはしっかりと芽が咲き始めた実感がある。

ブルーサンタは1997年から、川崎フロンターレ算数ドリルは2009年から継続している 【©KAWASAKI FRONTALE】

つい先日もクラブスタッフのアルバイトに申し込む学生から「小さい頃からお父さんやお母さんと等々力に通っていました。一家全員フロンターレサポーターです」、「6年生のときには待ちに待った算数ドリルをやっていました」と面接で熱く語られたのだという。それも1人ではなく、数人からだ。彼ら・彼女らの「自分の生活の一部で、家族の絆になっているフロンターレというクラブに貢献したい。だからフロンターレで働きたい」、「川崎を良くしていきたんです」という思いを聞いて泣きそうになったと井川は微笑む。

「この取り組みは日本初のようなのでフロンターレでの取り組みがうまくいくようだったら、他の地域や他のスポーツ団体でもぜひやっていただけるといいなと思います。子供は社会の宝ですから、それをみんなで支援していきたいし、地域プロスポーツクラブの役割としてできると思ってます」

単なるサッカークラブではなく、生活の一部としてなくてはならない存在に。今度は、クラブがこどもたちの「食」をサポートしていくことで、新たなの輪がもっと広がっていくのかもしれない。まだまだ始まったばかりだが、新たな取り組みとして注目していきたい。

(文・いしかわごう)
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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