【鳩スタ殿の13人】#018 浜崎武洋(鎌倉インターナショナルFCシティ 選手)ー地域とともに、クラブと『鳩スタ』が成長していってほしい

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 神奈川県リーグに所属する鎌倉インテルが、民間の力だけでつくり上げた自前のホームグラウンド「みんなの鳩サブレースタジアム」(通称「鳩スタ」)。雑草の生い茂っていた古都・鎌倉の広大な空き地に誕生した「鳩スタ」は、その名の通りに「みんなの思い」が形になった場所だ。

 ここでは「鳩スタ殿の13人」と題して、「鳩スタ」に関わる人々のそれぞれの思いに迫る。今回は、地元・鎌倉の出身で鎌倉インテル・シティの選手としてプレーする浜崎武洋。

(文・本多辰成/スポーツライター)

「鳩スタ」周辺は、子ども時代の思い出が詰まった場所

現在『鳩スタ』ができた土地でサッカーをしていた少年時代。浜崎は前列左から2番目 【鎌倉インターナショナルFC】

 鎌倉インテル・シティの選手としてプレーする浜崎武洋にとって、「鳩スタ」のある深沢地区は生まれ育った場所だ。

「もともと私は鎌倉の生まれで、小学校3年生からサッカーをしていました。本当に今『鳩スタ』のある場所の近くで育ったんですが、『鳩スタ』ができた土地には以前は国鉄の社宅があったんです。ちょうど今、センターサークルがあるあたりだと思うんですが、昔はそこに30メートル四方くらいのフェンスに囲まれた土のスペースがあって、そこでサッカーや鬼ごっこなんかをしていたのを覚えています」

 現在、「鳩スタ」がある場所に存在した社宅には浜崎の友だちも多く住んでいたが、時代の流れとともにそこは何もない空地へと変わっていった。浜崎にとって、それは寂しい記憶として残っている。

「中学になるとその社宅に住んでいた幼馴染の同級生たちがどんどん引っ越していって、最終的には空き家になって廃墟となってしまった。しばらくは封鎖されて入ることもできない状態になってしまいましたから、それは寂しい思い出です。引っ越していった同級生に『今、あの場所はこんなふうになっているんだよ』と伝えてあげたいですし、戻ってきたら驚くと思います」

鎌倉にサッカークラブ…最初は「ピンと来なかった」

クラブ創設時の鎌倉インテル・シティでプレーをする浜崎 【鎌倉インターナショナルFC】

 浜崎と鎌倉インテルの出会いは、クラブ創設前の2017年頃までさかのぼる。きっかけは、クラブの創設に関わった野口雄介。鎌倉インテルの代表である四方と同じくシンガポールを拠点とし、ビジネス街ど真ん中でそば屋を営み、日本の蕎麦文化を発祥している野口と、浜崎は中学の同級生だった。

「鎌倉にサッカークラブをつくるという話が進んでいるというのを、シンガポールの野口くんから聞いたのが最初でした。その後、四方さんやGMの吉田(健次)さんから連絡をいただいて、何かちょっと力になってくれないかという感じで。何ができるのかは分かりませんでしたが、少しずつ関わらせてもらうようになっていきました」

 浜崎はサッカーボールの寄付などでクラブの立ち上げに協力したものの、最初は鎌倉にサッカークラブをつくるという計画には「ピンと来なかった」と振り返る。鎌倉の地でサッカーを続けてきた者ならではの、複雑な思いも当初はあったという。

「鎌倉にJリーグを目指すクラブをつくるということに関しては、最初は何を言ってるんだろう、という思いがありました。まず、神奈川には多くのJクラブがありますし厳しいだろうと。それから、私は小学年代のサッカーコーチもしていたので、鎌倉インテルがジュニア年代のスクールなどをすれば競合になるという声も周囲にはありました。そういった面も含めて、当初は複雑な思いもあったんです」

 一方で、鎌倉インテルに関わるようになってうれしい出来事もあった。

「私の同級生の子どもさんが、友達関係がうまくいかなくてサッカーをやめてしまったんです。その子が鎌倉インテルのスクールに来て復活したようで。『インテルのおかげで息子が変わったよ、ありがとう』と同級生から言われたことは本当にうれしかったですね」

「鳩スタ」のこけら落としで「神奈川公立高校クラシコ」を実現

「鳩スタ」で開催された湘南高校サッカー部OBと鎌倉高校OBによる「神奈川公立高校クラシコ」 【鎌倉インターナショナルFC】

 鎌倉育ちのサッカー人だからこそ、すぐには「ピンと来なかった」という鎌倉インテルの存在。「鳩スタ」の建設プロジェクトについても「実現したらすごいこと」とは思いながら、リアルに思い描くことはできなかった。しかし、クラブ創設4年目を迎えた昨年10月、浜崎が子ども時代を過ごした思い出の土地に実際に「鳩スタ」は誕生した。

「率直に、すばらしいものができたなと思っています。景観としても本当にいいですし、世代を問わず空いている時間にはみんながあの場所を利用することができる。鎌倉と藤沢の間にあるという立地も最高ですし、サッカーに限らず多くの人たちが気軽に集まれる場所になっていけばいいなと思っています」

 浜崎は神奈川県の古豪、湘南高校サッカー部OBだ。鎌倉インテルのホームタウンである鎌倉市の鎌倉高校も同じく県下の古豪であり、クラブには両校サッカー部のOBが複数関わっている。そんな背景もあって「鳩スタ」のこけら落としイベントとして両校のOB戦が行われることとなり、浜崎が中心となってその一戦の開催に尽力した。

「鎌倉高校OBの神川明彦さんをはじめ、クラブに関わっている方には両校のOBが多くいるので『神奈川公立高校クラシコ』をやろうということで。40代、50代のOBを集めて、当日はサプライズで湘南高校サッカー部の伝説の監督である鈴木中先生にも来ていただいて、伝統の一戦を再現することができました。その日は天気がよかったのでけっこう多くの人が見に来てくれましたし、何十年かぶりの再会や縦のつながりなんかもできて、やってよかったと思っています」

地域とともに、クラブと「鳩スタ」が成長していってほしい

FiNANCiE杯決勝では副審を務める 【鎌倉インターナショナルFC】

 クラブと地域の人たちをつなぐ存在になること。現在も鎌倉を拠点とする浜崎は、それが自らの役割だと考えている。

「クラウドファンディングだとかトークンだとか、クラブがやっている先進的なことに対して鎌倉の人たちはまだ追いついていないというか。何言ってるんだ、という感じの人も多いと思います。そのあたりを噛み砕いて地元の人たちに伝えていくのが、私の役割でもあるのかなと。それから、『鳩スタ』もハードとしてはまだまだ課題が多くありますから、クラブ側に見えていない面、耳の痛いことも含めて地元の声を伝えていければと思っています」

 浜崎にとって思い出深い深沢の土地は、時代の流れによって一度は廃れてしまった。しかし今、「鳩スタ」の誕生によって再び明るい未来も感じられるようになっている。

「高度成長期にはすごく元気だったけど廃墟になってしまったというような場所がたくさんあると思いますが、深沢もそんな場所のひとつで、老人ばかりの街になってしまうのかなと思ったこともあります。でも『鳩スタ』ができたことで人が集まり、そうなれば当然、地価も上がってこれからV字回復していくかもしれません。地域の人たちと共存して、鎌倉インテルと『鳩スタ』が成長していったらいいなと思っています」

「鳩スタ」が現在の形のままあるのは、早ければ2024年に同地区で始まる鎌倉市の本開発が実施されるまでの数年間だ。その先、「みんなのスタジアム」プロジェクトはどんな展開を見せるのかまだ誰にも分からないが、育った街がフットボールによって再び盛り上がる未来を浜崎もクラブとともに描いている。

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著者プロフィール

鎌倉インターナショナルFC(通称:鎌倉インテル)は、世界で最もグローバルなスポーツであるサッカーを通じて未来の日本を国際化していくため、2018年に設立された新しいサッカークラブです。現在は神奈川県社会人リーグに所属していますが、プロサッカークラブ(Jリーグ参入)、そして世界を目指して活動をしています。『CLUB WITHOUT BORDERS』をビジョンに掲げ、日本と世界を隔てる国境をはじめ、性別、年齢、分野、そして限界、あらゆる“BORDER”(境界線)をもたないサッカークラブを目指しています。

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