自身を変えた「ターニングポイント」〜秋田ノーザンハピネッツ #21 長谷川暢 前編〜

秋田ノーザンハピネッツ
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【秋田ノーザンハピネッツ】

ミニバス優勝という「ターニングポイント」を経て、能代工業へ進学。秋田の大地でバスケ選手としての素地を培った、長谷川暢選手の歩んだ道を振り返ります。

「全中優勝」からの「能代工業」入学

「全中優勝」。これが長谷川暢選手のターニングポイントだ。兄と始めたミニバスにハマり、それからはバスケ漬けの日々。現在まだ25歳だが、バスケで多くのことを学び、経験を積み上げて今の自分があるという。いかに真摯にバスケと向き合って来たか、それは彼のプレーを見れば分かるだろう。

執拗にボールを追う、アグレッシブなディフェンス。一瞬の隙を見逃さず、チャンスを生み出すオフェンス。それは、例え逆境でも「頑張ることは止めない」というメンタリティーの賜物だ。これからもターニングポイントはきっとある。しかしその都度、長谷川選手はさらにたくましく成長していくに違いない。もちろん今シーズンも然り、である。

「小さい頃から負けず嫌いで、試合に出たら点数を決めたい、そんな子どもでした。そのためたくさん練習しましたし、監督さんや先生と話をするなど、積極的に取り組んでいました」というのは長谷川選手の記憶。きっとそうだったのだろう。もし、子どもの頃の長谷川選手を見ることができれば、その面影に今の彼を見出だすのは簡単なはずだ。

一生懸命取り組んだミニバスから、次なる目標は「全国中学校バスケットボール大会」(全中)へ。地元の中学に入学した後、部活以外にも自宅から少し離れた上尾市のクラブチームで練習をしていた。

「そのクラブは練習の厳しさで有名でしたが、公式戦があるわけではなく、いわゆるバスケ塾。親が協力的で、毎日送り迎えしてくれました」

それがきっかけで、中学2年生の時、上尾市立大石中学へ転校する。大石中学は2学年上のチームが全中ベスト8の好成績を残し、通っていたクラブの先輩たちも数人がプレーしていた。

「知っている人たちが全中に出場している、そんな感覚でした」と、全中は身近な目標であり、大きな目標でもある。そんな先輩たちと一緒にプレーをしたものの、自分が活躍できるという手応えを感じていたわけではないという。

「高いレベルでバスケをやらせてもらっていました。ただ、上手くなるとは思っていなくて、周りのレベルに付いていくので精一杯、大袈裟ですけどその一日を生きるのが大変、みたいな…。その日のスケジュールをこなすのに必死で、気づいたら3年生になっていたという感じです。ただ、練習はたくさんやっていたので」

長谷川少年は、ことバスケについては、この頃すでに胸に刻む信念があった。

全中優勝で広がった未来

目標としていた全中の出場を果たし、先輩を超えようと話し合っていたベスト8を飛び越えて、見事に優勝を勝ち取った。この直後から、バスケキャリアは想像以上の広がりを見せることになる。主力選手としてチームを優勝に導いた実力が認められ、高校進学の際は強豪校から声がかかった。
<続きは「クラブハピネッツ」で>

文・羽上田昌彦
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