東京五輪・陸上競技(男子):メダル期待の種目は明暗…日本は2つのメダル
【(C)Getty Images】
1年の延期を経ての開催となったTokyo2020(東京五輪)の陸上競技は、大会終盤を迎えた8日目の7月30日に開幕。8月8日までの10日間、熱戦が繰り広げられた。陸上競技では、驚異的ともいえる男女400mハードルの世界記録を含め、3つの世界新記録が生まれるなどトラック種目で続々と好記録が誕生。さらに次代を担う若いスーパースターたちの台頭が顕著となった大会だった。
日本は男女を通じ金メダルこそなかったものの、銀・銅のメダル2を含む入賞9の成績を収めた。これは前回のリオデジャネイロ大会の4を大きく上回り、1992年バルセロナ大会、2004年アテネ大会の「8」を抜き戦後最多。ここでは、特に活躍が目を引いた男子日本選手の結果を中心に、熱戦の模様を振り返ってみよう。
Tokyo2020(東京五輪)での「チームジャパン」の戦いは、まず若手選手たちが好スタートを切ったことで大きく勢いづいた。大会初日に行われた3000m障害予選で、今季2回の日本記録更新を果たして本番に臨んでいた大学2年生の三浦龍司が、優勝候補にも上がる海外選手に臆することなく果敢なレースを展開。なんと自己記録を一気に6秒07更新する9分09秒92の日本新記録で、五輪のこの種目では49年ぶりとなる決勝進出を果たした。
三浦は中2日空けて行われた決勝でも度胸満点の果敢な攻めのレースを繰り広げる。一旦は10番手まで後退しながら、終盤で順位を上げて7位(8分16秒90)でフィニッシュ。この種目における史上初の五輪入賞、トラック種目全体に広げても2000年シドニー大会男子10000mにおける高岡寿成(7位)以来21年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
その三浦が決勝に臨んだ約11時間前となる8月2日のモーニングセッションで、今大会入賞第1号の成績を上げたのが走幅跳の橋岡優輝だ。大会2日目の夜に行われた予選で、予選通過記録の8m15をクリアする8m17を1回目の試技でマーク。トータル3番手で決勝に進出していた。
決勝では、助走のコントロールにやや苦戦したが、3回目に7m97を跳んで、1984年ロサンゼルス大会で7位となった臼井淳一以来となる入賞を確定。最終6回目で8m10へと記録を伸ばして6位に入賞。2019年ドーハ世界選手権の8位から2つステップアップしてみせた。
メダルを期待されていた種目は、明暗を分ける結果となった。まず「メダルに一番近い」とされていた競歩では、8月5日夕方に男子20km競歩が行われた。
暑さを懸念して2019年秋に急遽、北海道札幌市での実施に変更されていたが、記録的な猛暑が続いていた影響で当日も厳しい暑さとなった。スタート時は29℃だったWBGT(湿球黒球温度;暑さ指数)が終了時には30℃に。熱中症予防運動指針において「厳重警戒(激しい運動は中止)」とされる過酷な条件下での勝負となった。
スローな入りとなったレースは、17kmを過ぎで勝負所を迎えた。ドーハ世界選手権金メダリストの山西利和が仕掛けたことで、先頭集団が7人から山西、マッシモ・スタノ(イタリア)、池田向希の3人に絞られる。山西はここで一気にリードを奪う目論見だったが、2人を突き放すことができず、逆に18km過ぎで後れてしまい勝機を逸してしまった。
懸命に追いすがった池田もラスト1周で置き去りとなり、スタノが1時間21分05秒で優勝。池田が1時間21秒14秒で2位、山西は1時間21分28秒で3位の結果となった。目標に掲げていた「金」はならなかったものの、陸上競技にとっては7日目にして獲得した待望のメダル。この種目は五輪でのメダル獲得は今回が初めてで、一度に2つ手に入れる形で悲願を果たすこととなった。
翌8月6日の早朝5時半にスタートした男子50km競歩は、レースが進むにつれて日が高くなり、暑さが強まっていく過酷なコンディション。やはり序盤は有力選手の集団はスローペースで進む展開となったが、28km過ぎで飛び出したダビッド・トマラ(ポーランド)がそのまま逃げきる結果となった。
最年少の川野将虎が40kmまで2位集団でレースを進めたが、内臓にダメージが出て41km中盤で路肩に倒れ込む状態に。しかし、再びレースに戻って2位集団に追いつく執念を見せる。残り4kmを切ったあたりでメダル争いには届かなくなったものの最後まで粘りきり、6位でフィニッシュ。世界大会初挑戦にして入賞を果たすとともに、2008年北京大会から続いているこの種目の連続入賞を「4」に伸ばした。
トラック&フィールド種目で「金メダル」を目標に掲げて五輪に臨んでいたのは、2008年北京大会で銀、2016年リオ大会で銀の実績を残してきた男子4x100mリレー。特に前回のリオ大会からの5年間で100mの9秒台スプリンターが4人へと増えるなど、個々の走力も高まってきたことでその達成が現実味を帯びたなかで本番に臨んでいた。
しかし、リレーが始まる前に行われた個人種目の成績が振るわない。男子100mに出場していた多田修平、山縣亮太、小池祐貴、さらには200mに出場したサニブラウン・アブデルハキーム、山本潤、飯塚翔太の全員が予選敗退に終わる。さらに100mを制したラモントマルチェル・ヤコブス(イタリア)が9秒80の欧州新記録、また準決勝では中国の蘇炳添が9秒83のアジア新記録をマークするなど、ライバル国が選手たちの好調もあって予断を許さない状況で予選を迎えた。
8月5日に行われた予選は、多田修平、山縣亮太、桐生祥秀、小池祐貴のオーダーで臨み、ジャマイカ、イギリスに次いで3着(38秒16)でフィニッシュ。無事に着順での決勝進出を決めたが、記録が予選全体の9番目にとどまっていた。そのため決勝はバトンパスでの利得を最大に生かすべく、各選手がぎりぎりを突くバトンパスのスタート位置で臨んだ。しかし、これが裏目に出て1・2走のバトンが繋がらず、まさかの途中棄権。2000年シドニー大会からの5大会で続いていた連続入賞も逃す結果となった。
男子4x100mリレーとは異なる形で悔しい結果となったのは男子4x400mリレー。「マイルリレーメンバー」は、国立競技場で行われるオリンピック最終種目となる決勝進出と、日本記録の更新を目標にしていた。全2組の実施となった予選1組が高いレベルの記録となったことで、上位3着以内に入るか、日本記録を大きく上回る2分58秒91を上回るタイムをマークしなければならない状態でレースに挑むこととなった。
日本は伊東利来也、川端魁人、佐藤拳太郎、鈴木碧斗のオーダーで臨んで着順での通過は叶わなかったものの、上位記録で通過する可能性がある5着でフィニッシュ。1996年アトランタオリンピックで5位入賞を果たした際にマークした3分00秒76(当時、アジア新)に並ぶ日本タイ記録をマークしたが、1組目の記録を上回ることができず決勝に駒を進めることはできなかった。
その他、走高跳の戸邉直人が予選で2m28を1回で成功して全体の4番目で予選を通過。1972年ミュンヘン大会の冨沢英彦以来の決勝進出を果たしたが、決勝は2m27をクリアすることができず13位にとどまった。
110mハードルでは泉谷駿介が全体6番手、金井大旺が全体10番手のタイムで予選を通過。決勝進出も狙えるラインで、1964年東京大会の安田寛一以来となる準決勝進出を果たした。しかし準決勝では金井が転倒して最下位、泉谷はハードルとの接触による減速で、全体で10番目となり決勝進出はならず。通過した記録にはわずか0.03秒の差であった。
陸上競技すべての最終種目となったのは、8月8日に札幌で行われた男子マラソン。出場106名中30名が途中棄権する、過酷なコンディションでレースは行われた。日本勢では、このレースで一線を退くことを表明し、不退転の覚悟で臨んでいた大迫傑が最後まで2位集団が見える位置に食らいつき、6位(2時間10分41秒)でフィニッシュ。
男子マラソンの日本勢としては、2012年ロンドン大会の中本健太郎選手以来で、不振が続いていたこの種目の未来に光を射し込む結果と残した。さらに、この入賞「1」が加わったことによって、今大会における日本の入賞数は「9」に。前日の競技終了段階で1992年バルセロナ大会と2004年アテネ大会に並んでいた入賞数「8」を上回る戦後最多成績を日本にもたらし、自らの花道を飾った。
文=児玉育美
日本は男女を通じ金メダルこそなかったものの、銀・銅のメダル2を含む入賞9の成績を収めた。これは前回のリオデジャネイロ大会の4を大きく上回り、1992年バルセロナ大会、2004年アテネ大会の「8」を抜き戦後最多。ここでは、特に活躍が目を引いた男子日本選手の結果を中心に、熱戦の模様を振り返ってみよう。
Tokyo2020(東京五輪)での「チームジャパン」の戦いは、まず若手選手たちが好スタートを切ったことで大きく勢いづいた。大会初日に行われた3000m障害予選で、今季2回の日本記録更新を果たして本番に臨んでいた大学2年生の三浦龍司が、優勝候補にも上がる海外選手に臆することなく果敢なレースを展開。なんと自己記録を一気に6秒07更新する9分09秒92の日本新記録で、五輪のこの種目では49年ぶりとなる決勝進出を果たした。
三浦は中2日空けて行われた決勝でも度胸満点の果敢な攻めのレースを繰り広げる。一旦は10番手まで後退しながら、終盤で順位を上げて7位(8分16秒90)でフィニッシュ。この種目における史上初の五輪入賞、トラック種目全体に広げても2000年シドニー大会男子10000mにおける高岡寿成(7位)以来21年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
その三浦が決勝に臨んだ約11時間前となる8月2日のモーニングセッションで、今大会入賞第1号の成績を上げたのが走幅跳の橋岡優輝だ。大会2日目の夜に行われた予選で、予選通過記録の8m15をクリアする8m17を1回目の試技でマーク。トータル3番手で決勝に進出していた。
決勝では、助走のコントロールにやや苦戦したが、3回目に7m97を跳んで、1984年ロサンゼルス大会で7位となった臼井淳一以来となる入賞を確定。最終6回目で8m10へと記録を伸ばして6位に入賞。2019年ドーハ世界選手権の8位から2つステップアップしてみせた。
メダルを期待されていた種目は、明暗を分ける結果となった。まず「メダルに一番近い」とされていた競歩では、8月5日夕方に男子20km競歩が行われた。
暑さを懸念して2019年秋に急遽、北海道札幌市での実施に変更されていたが、記録的な猛暑が続いていた影響で当日も厳しい暑さとなった。スタート時は29℃だったWBGT(湿球黒球温度;暑さ指数)が終了時には30℃に。熱中症予防運動指針において「厳重警戒(激しい運動は中止)」とされる過酷な条件下での勝負となった。
スローな入りとなったレースは、17kmを過ぎで勝負所を迎えた。ドーハ世界選手権金メダリストの山西利和が仕掛けたことで、先頭集団が7人から山西、マッシモ・スタノ(イタリア)、池田向希の3人に絞られる。山西はここで一気にリードを奪う目論見だったが、2人を突き放すことができず、逆に18km過ぎで後れてしまい勝機を逸してしまった。
懸命に追いすがった池田もラスト1周で置き去りとなり、スタノが1時間21分05秒で優勝。池田が1時間21秒14秒で2位、山西は1時間21分28秒で3位の結果となった。目標に掲げていた「金」はならなかったものの、陸上競技にとっては7日目にして獲得した待望のメダル。この種目は五輪でのメダル獲得は今回が初めてで、一度に2つ手に入れる形で悲願を果たすこととなった。
翌8月6日の早朝5時半にスタートした男子50km競歩は、レースが進むにつれて日が高くなり、暑さが強まっていく過酷なコンディション。やはり序盤は有力選手の集団はスローペースで進む展開となったが、28km過ぎで飛び出したダビッド・トマラ(ポーランド)がそのまま逃げきる結果となった。
最年少の川野将虎が40kmまで2位集団でレースを進めたが、内臓にダメージが出て41km中盤で路肩に倒れ込む状態に。しかし、再びレースに戻って2位集団に追いつく執念を見せる。残り4kmを切ったあたりでメダル争いには届かなくなったものの最後まで粘りきり、6位でフィニッシュ。世界大会初挑戦にして入賞を果たすとともに、2008年北京大会から続いているこの種目の連続入賞を「4」に伸ばした。
トラック&フィールド種目で「金メダル」を目標に掲げて五輪に臨んでいたのは、2008年北京大会で銀、2016年リオ大会で銀の実績を残してきた男子4x100mリレー。特に前回のリオ大会からの5年間で100mの9秒台スプリンターが4人へと増えるなど、個々の走力も高まってきたことでその達成が現実味を帯びたなかで本番に臨んでいた。
しかし、リレーが始まる前に行われた個人種目の成績が振るわない。男子100mに出場していた多田修平、山縣亮太、小池祐貴、さらには200mに出場したサニブラウン・アブデルハキーム、山本潤、飯塚翔太の全員が予選敗退に終わる。さらに100mを制したラモントマルチェル・ヤコブス(イタリア)が9秒80の欧州新記録、また準決勝では中国の蘇炳添が9秒83のアジア新記録をマークするなど、ライバル国が選手たちの好調もあって予断を許さない状況で予選を迎えた。
8月5日に行われた予選は、多田修平、山縣亮太、桐生祥秀、小池祐貴のオーダーで臨み、ジャマイカ、イギリスに次いで3着(38秒16)でフィニッシュ。無事に着順での決勝進出を決めたが、記録が予選全体の9番目にとどまっていた。そのため決勝はバトンパスでの利得を最大に生かすべく、各選手がぎりぎりを突くバトンパスのスタート位置で臨んだ。しかし、これが裏目に出て1・2走のバトンが繋がらず、まさかの途中棄権。2000年シドニー大会からの5大会で続いていた連続入賞も逃す結果となった。
男子4x100mリレーとは異なる形で悔しい結果となったのは男子4x400mリレー。「マイルリレーメンバー」は、国立競技場で行われるオリンピック最終種目となる決勝進出と、日本記録の更新を目標にしていた。全2組の実施となった予選1組が高いレベルの記録となったことで、上位3着以内に入るか、日本記録を大きく上回る2分58秒91を上回るタイムをマークしなければならない状態でレースに挑むこととなった。
日本は伊東利来也、川端魁人、佐藤拳太郎、鈴木碧斗のオーダーで臨んで着順での通過は叶わなかったものの、上位記録で通過する可能性がある5着でフィニッシュ。1996年アトランタオリンピックで5位入賞を果たした際にマークした3分00秒76(当時、アジア新)に並ぶ日本タイ記録をマークしたが、1組目の記録を上回ることができず決勝に駒を進めることはできなかった。
その他、走高跳の戸邉直人が予選で2m28を1回で成功して全体の4番目で予選を通過。1972年ミュンヘン大会の冨沢英彦以来の決勝進出を果たしたが、決勝は2m27をクリアすることができず13位にとどまった。
110mハードルでは泉谷駿介が全体6番手、金井大旺が全体10番手のタイムで予選を通過。決勝進出も狙えるラインで、1964年東京大会の安田寛一以来となる準決勝進出を果たした。しかし準決勝では金井が転倒して最下位、泉谷はハードルとの接触による減速で、全体で10番目となり決勝進出はならず。通過した記録にはわずか0.03秒の差であった。
陸上競技すべての最終種目となったのは、8月8日に札幌で行われた男子マラソン。出場106名中30名が途中棄権する、過酷なコンディションでレースは行われた。日本勢では、このレースで一線を退くことを表明し、不退転の覚悟で臨んでいた大迫傑が最後まで2位集団が見える位置に食らいつき、6位(2時間10分41秒)でフィニッシュ。
男子マラソンの日本勢としては、2012年ロンドン大会の中本健太郎選手以来で、不振が続いていたこの種目の未来に光を射し込む結果と残した。さらに、この入賞「1」が加わったことによって、今大会における日本の入賞数は「9」に。前日の競技終了段階で1992年バルセロナ大会と2004年アテネ大会に並んでいた入賞数「8」を上回る戦後最多成績を日本にもたらし、自らの花道を飾った。
文=児玉育美
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