ロッテ今岡二軍監督 大事にする心を動かす言葉

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

【選手の心をどう動かすか考える今岡監督】

「選手たちにどのような言葉をどのタイミングにかければ、響くのか。いつもその事を考えている」

心の大事さを、身を持って知っている。だから、千葉ロッテマリーンズの今岡真訪二軍監督が大事にしているのは、どのようにして選手たちの心を動かすかという事だ。自分自身、現役時代に心を動かされ、人生が変わった。だから、二軍監督を任されている今、日夜、頭を巡らし探しているのは選手たちの心を動かす言葉であり、タイミングだ。
 「自分は星野監督の言葉で変わることができた。若い頃はムラのある選手だった。そんなオレが星野監督と出会って変わる事が出来た。いつも言葉で自分をやる気にさせてくれた。奮い立たせてくれた。この人のために頑張ろうと思えた。昨年から、二軍監督をやらせてもらっている。逆の立場になった。選手たちにどのような言葉をどのタイミングにかければ、響くのか。いつもその事を考えている」
 懐かしそうに2018年1月に亡くなった故 星野仙一氏との思い出を振り返った。星野氏は02年に阪神タイガースの監督に就任。当時、プロ6年目でタイガースの主力格であった今岡は、能力は高いが、波のある選手という評価を世間から受けていた。それでもプロ1年目の97年は98試合に出場。98年、99年、01年と120試合以上に出場している。輝かしい実績は残したとはいえない一方で、タイガースのレギュラー格であるという自負はあった。それゆえ世間の評価、論評には少なからず複雑な想いを抱えていた。若さゆえの尖った部分も混在していた。心はいつも体の中心にはなく、右にいったり左へと動いていたりした時期だった。
その若者に就任したばかりの星野氏はニヤリと笑いながら「オマエ、面白いなあ」と話しかけた。今も忘れない一言だ。とても短い言葉だが、深い言葉だった。色々な見方が出来る。そしてこの言葉の真意を表現すること、本人がどう捉えたのかを説明するのはあまりにも奥が深く、難しい。ただ一つ言えるのは当時の今岡は「面白い」と言われたことは初めだったということ。長々と色々なアドバイスをする人はこれまで沢山出会ってきた。野球論であり、根性論。おおよそ予想がつくようなメッセージばかりだった。ただ、この時は違った。意表を突かれた。まだ気持ちの持って行き方が分からずに日々、悩む20代の若者には、この言葉が心に突き刺さった。44歳になった今もあの日、その言葉を掛けられた時の情景を鮮明に思い出すことが出来る。
 「初めて会った時にそう言われた。衝撃だった。短い言葉なのだけど、その時の自分にはピッタリと刺さる言葉だった。自分の心の奥深くに話しかけられている気持ちだった」
 それからの星野氏は今岡の野球観、理論、練習における考え方を尊重するような環境を整えてくれた。自由にさせてくれたと言ってもいい。若者の思う通りに道を作ってくれた。自分の価値観を尊重してくれた。ただ、その時に感じた。これだけのやりやすい環境を作ってもらった。もう言い訳をする余地はない。あとは結果を出すしかない。そうでなければプロ野球選手として終わるだけ。その事実に向かい合った時、背筋に一筋の衝撃が走った。
 「とにかく監督にアピールするのに必死だった。それはプレーとか成績だけではない。グラウンドに出てきた瞬間からアピールした。すべてでアピールした。挨拶から、練習前のアップから、みんなで走っている時も声も、話をする内容も。とにかくアピールしようと。変わった自分の姿をみてもらえるように必死だった」
 その時の必死さ、姿勢があったから、のちの今岡はある。タイトルとは無縁だった男は03年に首位打者を獲得。タイガース18年ぶりのリーグ優勝の立役者となり、星野監督を胴上げした。05年には年間147打点で最多打点を獲得した。その原点には「オマエ、面白いなあ」と語りかけられた言葉がある。

千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章
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