イチロー流 球児へ「メンタル編」
「導いてくれる人は誰なのか」
「苦労して習得するから人の厚みが出る」
そういうこと、よくあるよね。頭が真っ白になるのは仕方がないけど、それを相手に悟られないようにしたいね。やせ我慢でもいいから、立ち居振る舞いは堂々とする。そういう状況は相手だって怖いんだから。
日々の練習では自分なりに頑張る、それを重ねていくことがとにかく大事。
ピンチのときは「相手も同じ」と考える 【バーチャル高校野球】
マネジャーとも会話した 【バーチャル高校野球】
ボールの握り方を実演した 【バーチャル高校野球】
イチローさんと高校野球
20年秋に行った講演では、次のように語っています。
「高校野球は『野球』をやっている。大リーグは『コンテスト』なんです。どこまで飛ばせるかとか。野球とは言えない。高校野球にはそれが詰まっているんです。めちゃくちゃ面白い」
「僕はプロ入り前の野球にすごい興味がある。高校野球とか学生野球の指導者には、そんなにプロ経験者はいません。野球人としてこれから(野球界に)何かお返しできたらと思っています」
球児への指導は、20年12月の智弁和歌山を皮切りに、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳、高松商(香川)、22年は新宿(東京)、富士(静岡)、23年は旭川東(北海道)、宮古(沖縄)と、これまでに8校を訪れました。
21年までの訪問先は学校側の要望や部員からの手紙をきっかけに、決めていました。
新宿と富士については、ともに地域の小学生らを対象に野球の普及にも熱心に取り組んでおり、その活動に関心を持ったイチローさん自ら、訪問を決めました。
また、21年からは女子チームの強化プログラムの一環として、女子高校生の選抜チームと自身が率いる草野球チームとの試合を開いている。
イチローさんは「今後もそれぞれのスタンスで野球に取り組んでいる高校生たちと一緒に野球をやってみたい」と話しています。
イチローさんの歩み
1973年10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高(愛知)から91年秋のドラフト4位でオリックスに入団し、94年から7年連続で首位打者を獲得した。
1月に阪神大震災が起きた95年は「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝、翌96年は日本一に大きく貢献した。
2000年オフにポスティングシステムを利用して大リーグのマリナーズに移籍し、01年に首位打者、盗塁王を獲得してア・リーグMVPに。04年に262安打で大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。01年から10年連続シーズン200安打。
12年途中からヤンキース、15年からマーリンズでプレーした。16年には大リーグ史上30人目、日本選手では初となる通算3000安打を達成した。18年にマリナーズに復帰し、19年3月に引退。右投げ左打ち。