往路2区 早大・中谷雄飛 箱根事前特集『実』 

チーム・協会

【早稲田スポーツ新聞会】

【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 青山隼之介

昨季1万メートルで27分台を記録し、学生長距離界を代表する存在になった中谷雄飛(スポ4=長野・佐久長聖)。更なる飛躍を誓った今季、待っていたのは故障との闘いだった。だからこそ、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)にかける思いは強い。苦楽をともにした仲間、そしてエンジのユニホームとともに臨む、最後の大舞台にかける意気込みを伺った。

※この取材は12月12日に行われたものです。

「すごくもどかしかった」

質問に答える中谷 【早稲田スポーツ新聞会】

――前回の箱根が終わってからは、どんな目標がありましたか

 ユニバーシアード(ワールドユニバーシティゲームズ)に出場したかったので、その選考会に向けてやっていきました。箱根後はあまり休みをとらずに練習量を増やした感じです。

――足の状態は

 関カレ(関東学生対校選手権)まで練習は継続できていました。しかし、(前回の)箱根後に練習量を増やした段階で、左の脛に痛みがあって。それを抱えたままレースに出場し続けていたので、体の状態はそこまで良くなかったですね。痛みがひどいわけではなかったので、走れてはいました。

――ワールドユニバーシティゲームズ選考会を振り返るといかがですか

 ハーフ(マラソン)に関しては3番以内を狙っていたので、納得はいきませんでした。ただ、最終盤まで勝負に絡むことができて、ハーフマラソンを走ったのが初めてだったのですが良い経験にはなったかなと思います。1万メートルでも最低限走ることはできましたが、最後勝負につけなかった点でまだまだ悔しさが残ります。ですが、シーズンインのレースを28分06秒で走れたのは収穫で、やってきたことが間違っていなかったと感じました。

――関カレ以降については

 教育実習中も5000メートルのレースを2本走りましたが、(関カレで負った)故障から100%戻っているわけではなくて。結構ギリギリの状態でやり続けていました。所沢に戻ってきてから回復してきたという感じです。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジは、かなり狙えるという感触を持つことができました。しかしレース中にアクシデントがあり、痛みが再発してしまって。痛めたのが2回目ということで、なかなか治りにくくなってしまいました。

――痛みが長引いた要因は

 痛みがなくなって完治したと思ったら、スピードを出した時に違和感がありました。それでも、大事なレースとの兼ね合いもありますが、夏合宿は万全でいきたいという気持ちもあって。とにかく休みたくないというか途切れ途切れにしたくありませんでした。それでずっとやってた結果、引きずってしまいました。

――9月はどんな状態でしたか

 日本学生対校選手権(全カレ)は足も治り切ってない状態で高強度のポイント練習をした結果、痛みが現れてしまって。治療にもいきつつ足をいたわっていましたが、アップの時に悪化してしまいました。それでスタート前から厳しいと感じていました。

――時期的に駅伝が迫っていて、焦りはありましたか

 そうですね、焦りは結構ありました。ただ、夏前に足を治して、夏合宿は完全な状態で臨めていました。直前の準備段階ではうまくいっていませんでしたが、練習量というか肝心なところは押さえられていたので、いかに調子を上げるかという方向でやっていました。

――駅伝シーズンでは痛みがなかったのですか

 そうですね、出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)は1回危ない場面がありましたが、痛みは特になく走れている状況です。痛みなく伸び伸び走れたのが出雲以降という感じです。

――涼しくなってきて、ということですか

 それもあると思います、暑さは苦手ですが、寒さには強いという感じです。

――スタミナを意識的に強化したことにより、スピードが落ちた感覚はありますか

 そうですね、単発のスピードが落ちた感覚はありましたが、それよりもある程度のスピードで走れる距離が長くなってきた部分が大きいかなと。そういった意味で基盤はできてきたのかなと思います。

――今季の苦しい時期を振り返っていかがですか

 最後のシーズンだったので結果を残したい気持ちもありましたし、記録の面では早大記録を狙えるぐらいまで伸ばしたかったです。全力でそれを狙って達成できなかったら、まだしょうがないと思えるというか、後悔がないと思います。しかし、足の状態が悪くて、まだ余裕があるのにこれ以上走れないというのがすごくもどかしかったです。故障も引きずってしまいましたし、悔しさは常に抱えていました。

――その苦しさを越えるモチベーションは

 応援してくださる方がたくさんいますし、サポートしてくださる方がいるからこそ自分が走れているのはずっと感じていました。最後、良いかたちで結果を残して恩返しができればなと思います。

――4年間で、早大の選手として走るプレッシャーは感じられていましたか

 駅伝で区間賞は1回ぐらいしかとれてないですし、過去の先輩方と比べて、結果を残せていないかなというのは自分でも感じていました。それで周りから厳しいことを言われる時もありました。そういうのを含めると、これ以上どうやったらみんなが納得する結果を出せるのかな、と考えたりしましたし、自分の中で葛藤はかなりありました。

チームについて

早大競技会に出走した中谷 【早稲田スポーツ新聞会】

――『3冠』への気持ちはいつ頃から生じていたのですか

 3年の終わりぐらいで、僕らが主導でやる立場になった時ぐらいです。僕らの代に限らず、チームとしていい選手が集まっているなと感じたので、狙えるものは狙っていきたいというか、可能性にかけて挑戦するべきだというのは常に思っていました。

――千明龍之佑駅伝主将(スポ4=群馬・東農大二)は、中谷選手から見てどんな主将ですか

 マイペースですが、やるときはやる、切り替えられるキャプテンです。言う時はしっかり言ってくれますし、チームをうまく引っ張ってくれている頼もしいキャプテンです。チームとしてできていないところに対して声を出していましたし、練習でしっかり引っ張っていた部分もありました。言葉としても行動としてもチームを率いてくれていました。

――半澤黎斗選手(スポ4=福島・学法石川)は

 半澤の方が結構ズバっと言うタイプですね。千明に足りない部分を補っている感じで、チームにとって不可欠な存在です。

――ご自身は、チーム内でどのような役割ですか

 やはり自分には練習で引っ張ることしかできないと思うので、当たり前ですがそれを徹底しました。自分が思ったことを発信するのが得意なわけではないので。もちろん意見が求められる時はしっかり言いましたし、チームの状況が厳しい時に、「このままじゃダメなんじゃないの」とチームに投げかけた時もありました。

――4年生はどんな学年ですか

 学年としてしっかり引っ張るためにも、千明任せにすることはなく、それぞれができることを意識してやっていました。

――中谷選手は後輩とどのように良好な関係を築かれているのですか

 いや、僕そんなに後輩から慕われる感じじゃないですよ(笑)。

――いつも後輩の方といるイメージなのですが

 固定化されてはいるかもしれないです。小指卓也(スポ3=福島・学法石川)とか辻(文哉、政経2=東京・早実)とかですかね(笑)。でもあんまり後輩から声かけられることはないです、怖がられてるのかもしれないです(笑)。もうちょっと僕に近づいてくれてもいいんじゃないかと思いますね(笑)。

――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)からは、4年生に対して「あまり口に出して言う選手はいない」と評されていましたが、いかがですか

 比較的ズバって言える選手はそんなにいないので、僕はその分、結果や行動で示さなければと思っています。ダメなことをそのままにしておくことはないですが、あるべき姿を後輩に対して見せ続けていれば必然的についてきてくれるのかなと思います。あと、ミーティングで意見共有があるなど、チームに対する意見がたくさん出てくるところもあったので、そういった面でチームの軌道修正がなされていたと思います。

――まとまりがいいと感じましたが

 この代は個が強いので、まとまる時はまとまる、うまくいかない時は分解するという紙一重な感じですが、良くも悪くも団結力はあるかなと思います。

――チームに対する思いについては何かありますか

 このチームでやれて良かったなと思っています。このチームだからこそ経験できたこともたくさんあったので、このチームに来て本当に良かったなと思っています。

――ご自身が成長した点は

 高校時代はある程度決められた練習、ルールがあったので、基盤があってレールに沿ってという感じでした。早大は他の大学と違って強制されることはなく、良くも悪くも自分でしっかり考えなさいというチームです。4年間で「この練習の時はこれをした方がいい」というか、「こういう基礎の力をつけたら数か月後にこれだけ結果として表れる」というのが分かったので、実業団に入ってから生きると思います。

「個人としても、チームとしても、『攻めのレース』が優勝のためには必要」

――今のチーム状況はいかがですか

 集中練習の疲労が出始めていますが、核となる選手は練習できていますし、トレーニングの内容からすればみんなしっかりやっていると思います。あとは故障せずに、集中力を保って当日を迎えられればいいかなと思います。

――引き締まってきた感じはありますか

 今は目の前のことに対して集中している感じはあります。また、メンバーが決まってきた部分があるので、ここからよりピリっとしてくるかなと思います。

――箱根にはどんな思いがありますか

 『終わりよければ全て良し』ということで、チームとして優勝できれば良いですし、個人でも区間賞を獲れればと思います。過去4年間で最高の走りをしたいです。ありがたいことに注目はかなりしていただいているので、それを力に変えたいです。僕自身、結果を狙いすぎると固くなってしまうので、良くも悪くも伸び伸びやれればと思います。

――区間についてはどんな想定をしていますか

 経験値でいったら1区かなと思いますし、エースとして2区もありかなと思います。とにかく主要区間で活躍したいです。

――出雲での6区出走は、どのような経緯でしたか

 夏から「出雲では6区に行きたい」と話していたので、それが実現した感じです。一番長い区間で勝負したいと思っていました。

――最後の箱根で、タスキをつなぎたい選手はいらっしゃいますか

同期か、同じ高校の大志(伊藤大志、スポ1=長野・佐久長聖)ですかね。

――今、前回の箱根を振り返るといかがですか

 大崩れはしませんでしたが、攻めきれずに不完全燃焼で終わりました。一言で言うと『守りの駅伝』になってしまったなと。今回は、中途半端な順位はいらないなと思っていまして、守って3位とか6位で終わるぐらいなら、最初から最後まで攻めていきたいです。結果8番とか10番だとしても、気持ち的にこれだけやってこの結果だったらしょうがないかなというか、0か100かみたいな。僕個人としても、チームとしても『攻めのレース』が、優勝のためには必要かなと思います。

――最後に意気込みお願いします

 やはり最後なので、優勝を目指したいと思います。個人としても区間賞の走りをして、チームにいい流れをもたらせたらなと思います。結果がいい時も悪い時も着てきたエンジのユニホームで、思い入れもあるので、最後に着る機会は良い結果で終わりたいです。

――ありがとうございました!

【早稲田スポーツ新聞会】

◆中谷雄飛(なかや・ゆうひ)

 2002(平14)年1月18日生まれ。169センチ。群馬・樹徳高出身。スポーツ科学部2年。5000メートル13分58秒64。1万メートル29分00秒51。貧血で思うように走れなかった時には積極的に食事改善をするなど工夫をしていたそうです。そんな努力家の北村選手は箱根路でも好走を披露してくれることでしょう!
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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