田澤ルールとは何か?経緯を振り返る 日本球界が才能の流出を懸念

阿佐智

野茂の活躍でメジャー挑戦が本格化

1995年に「トルネード旋風」を巻き起こした野茂の活躍をきっかけに日本人のメジャー挑戦が本格化した 【写真:ロイター/アフロ】

 野球以上にグローバル・スポーツ化しているサッカーの世界では、パワーハウスである欧州の強豪リーグによる才能の青田買いが世界規模で進んでいる。ここ10年で南米勢の優勝は1回のみというクラブ・ワールドカップの結果が示すように、かつて欧州と肩を並べていた南米の諸リーグは、すっかり欧州諸リーグのセカンダリーリーグになってしまい、看板選手が軒並み欧州のビッグクラブに移籍していく流れができている。その他の地域のリーグも同様で、「マッスル・ドレイン(筋肉流出)」と呼ばれる欧州へのタレント流出は止むことがない。野球界においても、1990年代以降、MLBのグローバル戦略が本格化にともない、アメリカへの「筋肉流出」は、加速化している。

 64年、南海に入団して3年目、20歳の村上雅則は、野球留学先のジャイアンツ傘下A級のシーズン後にコールアップされ、アジア人として初めてメジャーのマウンドに上がった。これに対し、南海側は村上の保有権を主張。ジャイアンツと争う姿勢を示したが、結局両リーグのコミッショナーが仲裁に入り、村上は翌年もジャイアンツでプレーし、66年から南海に復帰することになった。

 これをきっかけとして、66年にMLB、NPBの両リーグは、互いに選手保有権を尊重し、他方のリーグ所属の選手と交渉する際には、身分照会を必須とする協定を結んだ。しかし、まだ日米のプレーレベルの差は大きく、その後NPBから海を渡りMLBでプレーする選手は長らく出なかった。日本人選手の「メジャー挑戦」が本格化するのは、95年以降だ。当時、近鉄のエースだった野茂英雄が、ドジャースとマイナー契約を結んだ後、メジャーの舞台に上がり、全米に「トルネード旋風」を巻き起こしてからのことである。

アマ選手獲得については紳士協定のみ

 野茂の活躍以降、NPBのトップ選手はもちろん、アマチュア球界からもアメリカを目指す選手の流れが起こった。それに対し、才能の流出を懸念したNPBは98年にMLB側とあらためて協定を結び、トレードや「任意引退」による選手流出を防ぐ一方、フリーエージェント制による移籍に加え、ポスティングシステムという選手を失う球団にもメリットのある移籍の道筋をつくった。しかし、NPBの支配の及ばないアマチュア選手については、両リーグは獲得したい相手国の選手の「身分照会」を行い、当該選手がドラフト対象であった場合には獲得を控えるという「紳士協定」を約束するにとどまった。この「紳士協定」を破る形で、レッドソックスが獲得したのが田澤であり、その「協定破り」に対するNPB側の措置が「田澤ルール」である。

 この流れにアマチュア球界も同調した。13年、エディオン愛工大OB BLITZ(クラブチーム)所属の沼田拓巳投手が、ドラフト凍結対象の社会人野球1年目の選手であるにもかかわらずドジャースとマイナー契約を結ぶと、社会人野球を統括する日本野球連盟は、沼田を再登録を認めない除名処分、つまり「永久追放」とした。そして18年には、吉川峻平投手が所属先のパナソニックに在籍のまま、ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだとして、同様の処分を受けている。吉川は、この年の夏に行われたアジア大会日本代表のエースと期待されており、その秋のドラフト上位候補だった。

 これらの措置は、メジャー志向をもつドラフト候補生たちに、アマチュアから直接の渡米を思いとどまらせる要因になったのだろうか? また、逆に田澤の帰国に合わせるかのように「ルール」が撤廃されのはなにゆえのことなのだろうか? 次回は、実際に日本からアメリカへ渡った、それぞれ違う立場の元マイナーリーガーの事例から、そのことを考えていきたい。

<11月12日掲載の第2回に続く>

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著者プロフィール

世界180カ国を巡ったライター。野球も世界15カ国で取材。その豊富な経験を生かして『ベースボールマガジン』、『週刊ベースボール』(以上ベースボールマガジン社)、『読む野球』(主婦の友社)などに寄稿している。

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